南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 





 宮崎県。
 私が中2~高3という青春(?)の5年間を過ごした県。
 未だに民放が2局しかない県。
 陸の孤島と言われ、宮崎リニア実験線を視察した運輸大臣時代の某都知事に「ブタ小屋しかない」と言わしめた、交通機関が未発達の県。

 少し前までは日本で最下位を争うほどのマイナーな県だったが(もっとも私の親の世代は新婚旅行のメッカだった訳だが…)、東国原知事が就任して以来、国内有数の知名度を持った県となった。一時期宮崎に住んでいた私、はたまた九州出身の私としては、宮崎県が有名になるのはとても喜ばしく、嬉しく思っている。
 その東国原知事が誕生するきっかけとなったのが、安藤忠恕前知事の汚職事件。官製談合と贈収賄の疑惑で就任わずか1期目にして、その座を追われたのだ。
 その安藤前知事が、今日亡くなった。享年69。血液の癌と言われる「悪性リンパ腫」だった。


 安藤前知事が知事に初当選したのは2003年。ちょうど私が就職したのと同じ年だ。だが、私が安藤前知事に興味を示したのは、その名前だ。「忠恕」と書いて「ただひろ」と読む。
 そう、論語を読んだことがある人ならばすぐにピンと来るはずだ。

 『夫子の道は忠恕のみ』…孔子様は、真心をもって己を尽くし、他人に対する思いやりを持つことに一貫していた。
 (夫子…孔子に対する尊称。忠…まごころ。恕…おもいやり)

 「恕」の字については次の論語にも。
 『それ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ』…(人が一生でなすべきことを1文字で表すとすれば)それは「恕(思いやり)」である。自分がして欲しくないことは、他人にもしてはいけない。
 この故事成語を知って以来、「恕」の字は私が大好きな漢字の一つでもある(「怒」に似ているが意味はまったく違う)。


 忠恕という素晴らしい名前を親から授かり、その名に恥じず、県職員として長く宮崎のために尽くし、ついに宮崎県知事までに上り詰めたのに、このようなことで職を辞することになり、とても残念に思っていた。
 昔から「あまりよすぎる名前は名前負けするからかえってよくない」とも言われるので、その代表的だと思ったりもした(失礼ながら…)。

 しかし、いずれにしても宮崎県知事を務められ、宮崎県の発展に多大なる貢献をされた方である。そのような方が亡くなられたのは残念でならない…。
 それに、大きい見方をすれば、東国原知事を誕生させた最大の功労者と言えるのかも知れないのだ。

 汚職事件は本当はどうだったかのか。裁判はまだ途中だったので、真相はもう明かされることはないのだろう。
 安藤前知事はずっと「自分が主体的にやったことではない」と無実を訴えていたという。その裁判に身を削り、命を縮めてしまったのかも知れない。
 裁判はこのまま打ち切りになるのだろうが、今は、もう、そっとしてあげたいような気もする…。

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のち

 以前から気になっていたオンラインゲームの「大航海時代オンライン」を今回始めてみることにした。

 コーエー(旧・光栄)の「大航海時代」シリーズは、1~4及び外伝と、すべてのシリーズをプレーしたことがあり、続編(大航海時代5?)の発売をずっと期待している状況であるが、一向にその気配はない。そこで、ある意味最新作の本作品をプレーすることにしてみた。基本プレー無料というのもいい。

 しかし私は正直、オンラインゲームはあまり好きではない。
 仮想空間とはいえ、見ず知らずの人と話したり、グループを組んだりすることが私は好きではないからである。
 また、オンラインゲームほとんどの作品が「基本プレー無料」と謳ってはいるものの、結局はお金をつぎ込んでレベル制限を外したりアイテムなりを強化したりしないと先に進めないし…。
 まあ、ゲームメーカーも慈善事業をしている訳じゃないんだから、当然といえば当然なんだが。


 さて、まずは自分の分身となるキャラクターを作成する。
 国籍は…、あれ、日本とかはやっぱりないのか。イスパニア、ポルトガル、イングランド、ネーデルランド、フランス、ヴェネツィアから選ばないといけないのか(オスマントルコは亡命すれば可)。
 そうだなあ…、やはりここは歴代「大航海時代」シリーズの主人公の故郷・ポルトガルで開始することにしよう。

 ほほう、何とリアルな画面だろうか。最近のゲームは画面が綺麗だ。その分、PCのスペックも必要だが(汗)。
 航海の画面は、本当に大海に漕ぎ出すような感じで、隣の町へ移動するのも一苦労だ。離れた島へ向かうときなど、何日間も周囲360度は全て水平線しか見えないため、本当にその方角で正しいのか不安にさいなまれる…。いきなり海賊船が襲ってくる緊張感もいい。
 遠くの港で交易品を買い込み、苦労して航海して別の港で売り飛ばせば、目のくらむような大金が手に入る…。うん、楽しい。これこそ「大航海時代」シリーズの醍醐味だ。

 うーむ、なんか楽しめそうな予感がしてきた。

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のち

 熊本市の新町に病院に行った帰り、唐人町にあるケーキ屋さんに寄った。
 熊本に数店舗構える高級スーパー『ハローグリーンエブリー』にもケーキコーナーを設けている、その名も『唐人町のケーキ屋さん』。そのまんまの名前!
 まあ、私が食べたいのではなく、妻が食べたいと言うから寄ったのだが…。

 店を出ると辺りはすっかり日が落ちていたのだが、お店の明かりと街灯、そして深い青の空のコントラストが綺麗で思わず写真を撮ってしまった。
 古い町家を再生した町並みもいい雰囲気だ。今度はゆっくり散歩してみよう。


【写真1】夜景


【写真2】夜景。三日月と金星も見える

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 南阿蘇村には桜で有名な『一心行の桜』という大木がある。
 4月も中旬に入ったので、熊本市内よりは気温が低い阿蘇でも、さすがに桜は散っているのではないかと思われるが、まだ少しは残ってるかも知れないという淡い期待を胸に、行ってみることにした。

 まずは熊本空港の近くにある「菅乃屋」で腹ごしらえ。
 菅乃屋は馬肉を使った料理で有名なレストランチェーンで、他県人に熊本の料理を紹介するときによく利用されるお店でもある。とは言うものの、熊本に数年住んでいるが実際行ってみたのは初めてだ。
 馬肉のサイコロステーキと馬肉バーガーをいただく。うん、とてもおいしい。
 料理は良かったが、難点は値が張るところか。


 さて、その後、俵山ルートを通り南阿蘇村へ。初めての道だったので、少々迷ったが無事に一心行公園へ到着。駐車場には交通整理員がおり、出店がいくつも連なっていたので「桜もまだまだ見頃だろう」と確信する。
 だが、周囲を見渡しても桜の木が見当たらない。『一心行の桜』は大木なので目立つと思うのだが…。
 すると、広場の奥の方にこんもりとした緑色の巨大なブロッコリーのような、日立の「この木なんの木」の樹みたいな光景が目に入ってきた。もしかして、これが…。

 ははは、すっかり葉桜になっていました。
 何本かの枝には、わずかながら桜の花がまだ残ってはいるものの、ほぼ散ってしまった状態。
 まあ、仕方がないか。来るのが遅すぎた。周りに植えてある菜の花の方が満開だ。

 来年はもっと早い時期に来よう…。


 ちなみに説明文によると、この木は島津氏との戦いで戦死した阿蘇氏家臣・中村惟冬の菩提樹であり、その霊を慰めるために妻や子が一心に行を修めたことから「一心行の桜」との名がついているそうだ。



【写真1】一心行の桜と菜の花


【写真2】わずかに残る桜

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 あの日から5日間、ずっと気になっていた。
 ずっと願っていた。ずっと信じていた。
 きっとまたあの明るい笑顔を見れると。

 今日の昼、職場で弁当を食べながらパソコンでニュースサイトを覗いた時、そのタイトルが目に入った。

 「巨人・木村拓也コーチ逝去」

 ……。
 見たくなかったタイトル。
 仕事中にもかかわらず、眼から涙が溢れてきた…。ポロポロこぼれてきた…。

 享年37歳。自分とあまり変わらない。
 若すぎる。

 いま自分がそうなったら…。
 妻は、両親は、どう思うだろう…。

 きっと木村コーチもいま同じ思いをしているのだろう。
 奥さんと3人の子供を残して、まさかこんな形で去るなんて…。
 その無念さを…、心残りを思うと、涙が溢れてくる。


 球界から、ファンから、惜しむ声が途絶えない。
 なんでこのような人を突然召されるのか…。
 神様も意地悪ですね…。

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