そこはかとな紀

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完璧な わらびの灰汁(アク)抜き方

2009-04-02 22:58:21 | 料理
 山菜の季節ですねえ。この前からフキノトウに関しては始動しておりましたが。蕨(わらび)など萌え出る春になってまいりました。
 蕨というと思い出すのが 「早蕨(さわらび)の 握りこぶしを 振り上げて 山の横面 春風ぞ吹く」 と言う句ですが。
  いかにも太田南畝らしい、文化文政の息吹を感じる歌ですねえ。
 さて、蕨のアクの抜き方ですが これはインターネットのない時代にいろいろと苦労いたしました。←調べるのにね 
 
 基本的に アクの抜き方は 湯に 藁灰 か 重曹(炭酸水素ナトリウム)を加え加熱処理 なんですが・・・。加熱時間がむちゃくちゃ難しいーーーーのです!
 というのは、わらびのおいしさってわらびじたいの味よりも歯ごたえのしゃきしゃき感
と、まったり中の汁のとろみじゃないですかア。ところが加熱時間が長すぎると、この歯応えが次第に失われてまずくなっていくのです。そして最後にはぐずぐずに。こうなってしまうと一体何のために苦労して汗水流して崖をよじ登り、沢をこぎ命と引き換えに山菜を取り←そんな大層なもんじゃないっすけどね。採ってきたのか分からんのですわ。こうなると家族も「なにこれ、まっずー」と一箸つけただけで、見向きもせず。苦労した私はあきらめきれずに、敗残兵の中の少しましなやつを探してはポン酢に着けて、ε-(ーдー)ハァとため息つきつつたべるんですわ。

逆に加熱時間が短すぎて、アク抜きが不十分な時はまだましである。加熱しなおせばよいのだ。しかしそのサジ加減がまた難しい。何回失敗したことか [壁]/_;)シクシク
要するに、アクをちゃんと抜きながらおいしさの肝である歯ごたえを残すのがポイントなんである。この二つの関係は あたかも、市場価格の決まる需要曲線と供給曲線のようなものなのだ。

 その最適な交点を求めて私は苦節数年。試行錯誤の結果 ほとんど完璧にしかも簡単にアク抜きをする方法を発見いたしました!
 まず普通のなべ(お味噌汁とか作るやつ)に、いっぱいお湯を沸かします。
 そこに灰か重曹を投入 量は 灰ならおたまに1杯くらい 重曹ならスプーンに半分くらいかな。そこでワラビを投入(片手でつかめる程度)そして同時に火を消す。そのまま半日程度放置、後は流水で洗い流し少し食べてみてOKなら、出来上がりです。簡単でしょ

注意 たくさん取れたからといって大鍋でこの方法をやらないこと。水の量が増えると加熱時間が増えてぐずぐずになります。

ーーーーーーおまけ おいしい蕨の見分け方

緑のは硬くて美味しくない 茶色でぷりっとしたのが最高ですね

節税 原付バイクの方法

2009-04-02 21:02:31 | 投資金融
 さて究極のセコ技を発動しました
私は 125ccのバイクを持ってるんですが
今回自賠責が切れれたのをきっかけに 3・31に廃車 そして今日4・2に再登録しました。なぜかっていうと 125cc-50ccのバイクは 4月1日に登録されているものについて税がかかるのです。おまけに登録や廃車はむちゃ簡単な上に無料!! だからいっぺんやってみたかったんですよ。まあ自賠責の付け替えも無料だからやる気になれば毎年できる。無税でバイクに乗り続けられるというわけ。まあそんな閑なことしないけどな。

三国龍翔館

2009-04-02 21:00:13 | 博物館
内田惣右衛門記念館 を拝観するつもりでしたが。開館時間になっても誰も来ない。おまけにバロック様式の概観に菱垣廻船+和服姿の銅像とかなり不気味な外見でした。方向転換して、以前から参観したかった三国龍翔館へ。ここの受付で尋ねたところ、内田惣右衛門記念館は長らく開館していないとか。残念、そこで三国龍翔館の常設展示を拝観しました。三国は古くから北前船の寄港地で栄えてきた湊ですが、鉄道の時代になり、北陸本線から遠く外れて寂れてしまった町です。展示内容からそのあたりの変遷が伺えて興味深かった。驚いたのは明治初年の町内職業一覧が残っており、それを地図化したものが圧巻であった。町の中心部はの業の家は皆無で船大工や船頭、各種職人、遊郭、御茶屋、呉服屋と往時の繁栄が偲ばれる分布であった。 改めて北前船の重要性を実感した、研修であった。Ⅲ 所感私の実家は三国の隣り街で、農家であったが、正月準備となると祖父が大切にしまいこんであった鰹節を取り出して。一家の長として威厳を持って恭しく削っていたのを思い出す。 当然普段のお出汁はじゃこであった。あの鰹節は昔は、はるばる土佐から北前船で運ばれてきたものであったのであろうと。往時を偲んでしまった。 三国町自体は明治の中ごろから、廻船が下火になり、鉄道の世の中になると寂れてしまい。そのことがかえって、現在も当時の町並みを偲ぶ、よすがとなっているのであろう。