そこはかとな紀

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文久三年(1863)の文書 

2011-05-16 22:27:04 | 福井

 文久三年の文書の解読ができました これまた ヤフー知恵袋です 感謝

1863年 利平は25歳未婚でした ここに記載されている 利吉(と読める)が彼の父だとすると

当主の名前はずっと利兵衛ではないということになります

 

ちなみに 文久3年 は馬関戦争 新選組結成 と騒然とした世の中でした

 

拾ヶ年の間 預かり申す 御高證(証)文の事
一 高 合 五斗□也
此の代銀 九百文也
右の御高 其の方 持ち高に御座候へ共 當亥(一八六三年) 御物成 御米に
差し支え 被成(なされ)□□□□□□□□□□□□←折皺にて判読不能
酉(明治六年一八七三年)の暮れ迄 拾ヶ年の間 本物に預かり申す
御代官様へ御上納に被差上申す處 実正也
則 年季の内五ヶ年過ぎ 右の代銀 無恙(つつがなく) 御
返済被成(なされ)候はば 右の御高 速やかに相返し
可申(もうすべく)候 猶又 約年酉霜月(十二月)に至り
少(わずか)にても及遅滞(ちたいにおよび)候時は右の御高は流し申し間
永々我等(われら)持高等支配可仕候 仍之 村内検 帳
面の通り反歩地附別紙にて受取可申(もうすべく)候
為後日役印證(証)文壱札相渡し申す処仍って如件(くだんのごとし)
小尉村
文久三年(一八六三年) 本人 利吉<ー利兵衛 らしい修正しました
亥十二月 日 長百姓 次郎左衛門
庄屋 勘太夫
同村
市右衛門殿

 


なんと寛政七年!

2011-05-16 04:42:05 | 福井

この文書の解読ができました

ヤフー知恵袋で聞いたら即日解読していただけました <(_ _)>感謝いたします


定一札之事
一、小尉村川除御普請、当卯ノ年より拾年之間
御普請御上より被仰付候節ハ我等共請取、御普
請相仕立可申極ニ御座候、銀子之儀ハ御上御積り
書之通り受取申定ニ御座候、為後日一札相定
判形仕申所、仍而如件
寛政七卯六月日
小尉村受取人 九左衛門/次郎左衛門/□右衛門/吉兵衛/利兵衛

惣代 次郎左衛門
長百姓 弥兵衛
庄屋 利兵衛

渡シ人別 惣左衛門/太兵衛/清兵衛/利太夫(兵衛)/市右衛門/五右衛門/善助/甚右衛門/藤右衛門/弥右衛門/清右衛門/勘太夫/善助/長右衛門/十兵衛/□兵衛/喜太夫/甚太夫/長左衛門

寛政7年から10年間、御上から川除普請を仰せ付けられた時は小尉村の者で請負う決まりであること、銀子は御上の見積書の通りに受け取ることを定めた証文です

 

ちなみに この利太夫(兵衛)というのが私の先祖です4代前の 利平は天保九年1839年生まれなので

寛政7年 1795年はさらにニ代前の六代前 くらいが妥当では 松平定信や林子平 高山彦九郎と同じ時代だよ

(ノ゜⊿゜)ノびっくり!!