五輪バレー:経験全て出す 守備で貢献・佐野優子

2012-08-14 11:46:38 | 士 cerebrity
バレーボール女子準決勝の第2セット、相手の強烈なスパイクに飛びつく佐野選手=ロンドンのアールズコートで2012年8月9日、望月亮一撮影【ロンドン大前仁】女子バレーボールは11日午前(日本時間同日夜)、84年ロサンゼルス大会以来、28年ぶりのメダルをかけた3位決定戦で韓国と戦う。かつて国内を熱狂させた「お家芸」復活を目指す日本。粘り強い守備で貢献する佐野優子選手(33)は「全てを出して勝ちにいく」と闘志を燃やす。

 9日の準決勝は強豪ブラジルが相手だった。佐野選手が相手のアタックを床すれすれで拾う度に歓声が湧く。しかし前回大会の王者に完敗した。

 「リベロ」と呼ばれる守備専門のポジションに就く。90年代のルール変更で、159センチの彼女のような小柄なプレーヤーが活躍する場ができた。攻撃に加われないが「チームの勝利につながれば人一倍うれしい」という。

 国内外のチームを渡り歩いた苦労人だ。大阪府高槻市生まれ。98年に名門ユニチカへ入社したが2年後に廃部となり、チームごと東レへ移籍。国内移籍の同意が得られず退社し、浪人生活の末、04年からフランスのチームで2季戦った。06年に帰国し、北京五輪に出場。10年からアゼルバイジャンで活躍する。「全てが今に生きている」と振り返る。

 ロンドンには母敏子さん(64)が来ている。幼い頃からバレー漬けの日々を支え、応援してくれた。「親の協力がなければ、ここまで来られなかった。メダルを見せたい」

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ロンドン五輪「銀でもありがたい」 なでしこ初代監督・市原さん 京都

2012-08-13 11:08:15 | 士 cerebrity
2012.8.11 02:20

 ■選手たちの奮闘ねぎらう

 ロンドン五輪で銀メダルを獲得したサッカー日本女子代表「なでしこジャパン」。初代監督、市原聖基(せいき)さん(70)=向日市=は自宅のテレビで試合を見守り、「結成当初は、世界と肩を並べるなんて夢のようだった。銀メダルでもありがたい」と、奮闘した選手たちをねぎらった。(小林愛子)

                   ◇

 現在、向日市スポーツ文化協会の理事長を務める市原さんは、昭和56年~59年にサッカー日本女子代表の監督を務めた。

 当時は、アジア各国で女子サッカーチームが結成されていたものの、日本ではまだまだマイナーな存在。

 昭和56年の第4回アジア女子選手権に出場するも「新聞社から『アジア大会が開かれているよ』と情報をもらって、あわてて出場した」と笑いながら振り返る。

 「なぜ女性がサッカー」と奇異の目で見られることも少なくなかったが、「技術ではなく、肉体や精神を鍛えれば、女性でも90分を十分に戦える」と信じ、フィジカルトレーニングを中心に指導を行った。

 その結果、「今は指導として活躍する本田美登里(現U-20サッカー日本女子代表コーチ)などが、チームの礎となってくれた。今のなでしこジャパンがあるのは彼女らのおかげ」と語る。

 決勝では惜しくも米国に敗れたが、「今の世界のレベルの高さを考えると、素直に喜んでいい。沢(穂希)がよく動き、チームを支えていた。惜しくも銀だったが、内容的には昨年のW杯よりもレベルアップしていた」とたたえた。

 一方、選手として「初代なでしこ」だった神戸市在住の主婦、吉田万帆さん(52)も自宅のテレビで観戦。「サッカーをやりたいって思わせてくれる、とてもおもしろい試合だった。すごくいい大会だった」と振り返った。

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川端康成の未発表作を確認 大阪・茨木市の文学館で公開へ

2012-07-22 13:13:51 | 士 cerebrity
 大阪府茨木市立川端康成文学館が所蔵していたノーベル賞作家、川端康成(1899~1972年)の直筆原稿「星を盗んだ父」が未発表作品であることが確認され、21日から同館で展示される。父娘の愛情をテーマにした短編で、幼少時に両親を亡くした川端の視点が生かされている。

 作品は400字詰め原稿用紙22枚に書かれ、刊行の記録がないことから未発表と判明。執筆時期は使用されている原稿用紙などから大正11年から昭和2年ごろとみられる。

 作品は、ハンガリーの作家、モルナール・フェレンツの戯曲「リリオム」を基にしながら執筆。

 身重の妻とその子のために、盗みをしようとして死んだ道化の男と、現世に生きる娘との交流が描かれている。

 同館の田中洋子館長(62)は「代表作『伊豆の踊子』にも重なる少女の描写や死者と生者の交流など、川端文学の特性が見える作品」と評価している。

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バス歌手の岸本さん、露大統領がメダル授与

2012-02-22 11:38:34 | 士 cerebrity
 【モスクワ=寺口亮一】ロシアのメドベージェフ大統領は17日、モスクワ郊外の大統領公邸で、約40年にわたりロシア民謡や歌曲を歌ってきたバス歌手、岸本力さん(64)にロシア文化の普及や発展への貢献をたたえるプーシキン・メダルを授与した。

 岸本さんは、大阪府茨木市出身で1973年にデビュー。ロシア音楽を「ライフワーク」とし、オーケストラとの共演でロシア民謡を歌うなどして、広く紹介してきた。現在は、武蔵野音楽大の講師を務めている。

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五輪見えたでぇ~!しずちゃん“笑い捨て”全日本V

2012-02-12 10:57:24 | 士 cerebrity
4R、鈴木(左)に強烈なパンチを見舞う山崎スポーツニッポン2月12日(日)6時0分

 リング上にいたのは、お笑い芸人のしずちゃんじゃなかった。前に出る鈴木と壮絶な打ち合いを展開。1メートル82の巨体で1メートル68の相手を圧倒した。最大の見せ場は2回。ワンツーから右ストレートでスタンディング・ダウンを奪った。3、4回はパンチを食う場面もあったが、手数で上回った。2分×4ラウンドの激闘を26―11の大差判定で制した。リングを下りて、梅津正彦トレーナー(43)から髪の毛をクシャクシャにされると、ようやくいつもの人懐こい笑顔を見せた。
 「人生で初めて一番になれました。今までは泣いてばかりでしたけど、きょうは初めて泣きませんでした。本当にうれしい」。金メダルを手に山崎は感慨に浸った。ミドル級は出場3人。自身が戦ったのはわずか1試合とはいえ日本一のタイトル、そして世界選手権代表を手中にした。五輪への道もつながった。
 人気漫画「あしたのジョー」の影響で趣味でボクシングを始めたのは07年。08年、ドラマでボクサー役を演じ、試合出場への思いが募り、本格的に打ち込んだ。09年2月にC級ライセンス取得。女子ボクシングがロンドン五輪の正式種目に決まり目標が定まった。梅津氏に師事し1日6時間以上の練習に耐えてきた。
 昨年5月には全日本の強化選手に指定。強化合宿で初の実戦形式スパーに臨みレフェリーが試合を止める“初勝利”を収めた。その後は韓国やインドネシアなど海外で武者修行を敢行。昨年9月に台湾で初の公式戦「台北市国際カップ」に出場したが地元選手に大差の判定負け。その敗戦を糧にさらに練習に励んだ。
 仕事を4分の1に減らしボクシング中心の生活を送った。練習のしすぎで救急車で搬送されたり、けいれんを起こしたことも。90キロ近くあった体重を75キロまで落とした。グルメ番組に出演しながら料理を一口も食べなかったこともあるという。
 「私のために、こんなに一生懸命になってくれる人はいない。梅津さんのためにも勝ちたかった」。二人三脚で歩んできた梅津氏は昨年秋から体調不良を訴えていたが、7日に皮膚がんと診断され「放っておいたら余命1年」と告げられた。8日に都内の病院で受けることを勧められた手術を16日に延期してまでサポートしてくれる恩師のためにも優勝したかった。
 次なる目標はアジア選手権(3月16日開幕、モンゴル)。「やっと五輪のスタートラインに立てた。後で振り返ったとき、きょうの自分は弱かったなと思えるくらい強くなりたい。練習あるのみ。マネジャーと日程を調整し、しばらくは練習に集中できる環境づくりをしたい」。全くボケることなく、夢の舞台を見据えた。
 ◆山崎 静代(やまさき・しずよ)1979年(昭54)2月4日、大阪府茨木市生まれの33歳。大阪・茨木西中時代は陸上部で砲丸投げ選手。茨木西高時代は女子サッカー部に所属していた。03年に山里亮太(34)と「南海キャンディーズ」を結成。ボケ担当。04年ABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞受賞。1メートル82。血液型A。
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「生涯現役」プロゴルファー杉原輝雄さん死去

2011-12-28 21:07:13 | 士 cerebrity
杉原輝雄さん がんと闘いながらもプロゴルファーとしての現役にこだわり、国内外通算63勝を挙げた杉原輝雄(すぎはらてるお)さんが28日午前8時30分、前立腺がんのため亡くなった。

 74歳だった。後日、お別れの会が開かれる予定。

 大阪府茨木市出身。1957年に20歳でプロテストに合格し、62年の日本オープンで初優勝。73年以降のツアー28勝を含めて国内で56度優勝したほか、シニアツアー6勝、海外で1勝(69年、香港オープン)を挙げ、永久シード権も獲得した。1メートル62、60キロ前後の小柄な体ながら妥協を許さない姿勢で人気を集め、粘り強いプレースタイルから「マムシ」「ドン」などの愛称で親しまれた。

 ツアー施行の73年から94年まで賞金シードを獲得。98年4月に前立腺がんを告白したが、手術は受けず、投薬などで治療しながら試合に出場した。60歳前から手足をゴムチューブでしばる「加圧式トレーニング」で筋力増加を図るなどして現役にこだわった。

 2006年4月の兵庫・つるやオープン第2日には、69をマークして国内ツアー最年長となる68歳での予選突破記録を達成した。08年4月に前立腺がんの転移を明らかにしたが、投薬などを受けて試合に出場。中日クラウンズには10年まで51年連続で出場し、同一大会連続出場の世界記録樹立の表彰をされたが、同年8月下旬、新たながんの転移が発覚。その後、入退院を繰り返し、ツアー出場は10年6月のミズノオープンよみうりクラシックが最後となった。

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震災後なぜか増刷・復刊続々「梅棹文明論」

2011-12-15 20:08:31 | 士 cerebrity
出版が相次ぐ梅棹さん関連の書籍や雑誌 昨年7月、90歳で亡くなった比較文明学者、梅棹忠夫さんへの関心が高まっている。

 著作の復刊、増刷が相次ぎ、書店には種々の関連本が並ぶ。東日本大震災や原発事故で「人類の英知」への懐疑が深まる中、独特の切り口で文明論を説いた、文章や言葉に、未来へのヒントを求めているようだ。

 今月下旬、<幻の梅棹本>が出る。『梅棹忠夫の「人類の未来」』と題した一冊だ。大阪万博に日本中が沸き、バラ色の未来を思い描いた1970年頃、梅棹さんは河出書房新社の「世界の歴史」シリーズの最終巻『人類の未来』を執筆する予定だった。

 遺品のメモによると全12章で、人口爆発や資源枯渇、廃棄物処理など、小見出しには厳しい文言が並ぶ。人類を「できのわるい動物」と断じた章もあったが、最後は「暗黒のかなたの光明」と締めくくるつもりだった。なぜか、書かれないままに終わった。

 梅棹さんが初代館長を務めた国立民族学博物館(民博・大阪府吹田市)で一緒に仕事をした小長谷有紀教授が、内容を推し量って当時の対談や座談会の原稿を集めたほか、宇宙飛行士の毛利衛さんらが、梅棹さんが描こうとした「未来」を考えて寄稿した。

 「40年たっても色あせない言葉の数々。これを糧に私たちも人類の未来について、しっかり考察すべきだと思った」と、小長谷教授は話す。

 21日からは東京・お台場の日本科学未来館で「ウメサオタダオ展」が始まる。元々は3~6月、民博で開かれた回顧展だ。未来館から強い誘致があり異例の巡回となった。担当者は「震災で技術のあり方、科学とのつきあい方が大きな課題になってきた。今こそ、梅棹さんの幅広い視野が必要と考えた」と説明する。

 亡くなった後、ベストセラー『知的生産の技術』はさらに部数が伸び、累計141万部を突破。代表作『文明の生態史観』は3度増刷した。

 ほかにもノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんとの対談集『人間にとって科学とはなにか』や、作家の司馬遼太郎さんとの対談集『日本の未来へ』などが近く復刊予定だ。

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梅棹忠夫のことば
梅棹 忠夫
河出書房新社

青年僧が「六時礼讃」法要 光明寺、法然上人遠忌で

2011-12-06 21:00:49 | 士 cerebrity
夜に光明寺の御影堂に集まり、六時礼讃のお経を練習する青年僧たち(長岡京市粟生) 宗祖・法然上人の800年遠忌に合わせ、西山浄土宗の青年僧が15日から16日にかけて、同宗に伝わる法要「六時礼讃(ろくじらいさん)」を京都府長岡京市の総本山光明寺で行う。お経の一部は節回しが過去に失われたが、法然の時代に近い旋律を目指して復元に努め、1年かけてマスターした。当日は全国から約60人が集まり、遺徳をしのぶ。

 六時礼讃は、法然が中国浄土教から取り入れた。1日を4時間ごとに分け、日没(にちもつ)、初夜(しょや)、中夜(ちゅうや)、後夜(ごや)、晨朝(じんじょう)、日中(にっちゅう)の6回の法要を営む。お経の節回しである声明(しょうみょう)が美しく、多くの民衆を引きつけたという。

 いつの時代からか不明だが、同宗では中夜と後夜の法要は行われなくなった。経典は現在も残っているものの、節回しは口伝のため分からなくなった。

 同宗の若手の僧でつくる「全国青年僧の会」が昨年秋、今年の遠忌に向けた取り組みを検討する中で、中夜と後夜も含めた「完全版」の六時礼讃を行うことを決めた。声明を研究する正覚寺(大山崎町)の森田俊尚住職の協力で、法然の時代の声明に近いとされる江戸期の経典を基に、中夜と後夜の節回しを再現してもらい、CDに録音して各メンバーが練習に励んだ。

 青年僧たちは見慣れない譜面や幅広い音域に苦労しながらも徐々に節回しを習得。11月からはグループ単位で光明寺に集まり、本番を見据えて音合わせに取り組んでいる。

 「中部青年僧の会」の片本崇道(そうどう)会長(38)=京都市西京区=は「今回の復活を機に六時礼讃の研究をさらに進め、後世に伝えたい」と話している。

 初夜から後夜は閉門時間にあたり一般の人は見られないが、日没と晨朝、日中は御影堂(みえどう)で見学できる。

【 2011年12月06日 11時52分 】

法然浄土教要文集―法然上人八百年遠忌記念
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平楽寺書店

銅像除幕、遺徳しのぶ 長岡天満宮・先々代の宮司

2011-11-26 12:16:15 | 士 cerebrity
本殿移築の功績を伝えるため、建立された中小路宗康氏の銅像(長岡京市天神・長岡天満宮) 長岡天満宮の先々代の宮司で平安神宮(京都市左京区)から本殿を移築する功績があった故中小路宗康氏の銅像が完成し、25日、長岡京市天神の同天満宮境内で除幕式が行われた。

 宗康氏は1928年に当時の宮司にあたる社掌(しゃしょう)となった。41年に平安神宮の旧本殿を同天満宮に移設するにあたっては、京都の経済界から資金面の協力を取り付けるなど、準備に奔走したという。

 銅像(高さ約2・1メートル)は、今年が本殿移築から70周年にあたるほか、3月に府文化財に指定されたことを記念して建立された。

 式典では中小路宗俊宮司らが銅像にかかった幕を引き、神事も営まれた。銅像の建立に尽力した先代の宗隆名誉宮司は「今後も故人の遺徳をしのび、信仰を深めていきたい」と話した。

【 2011年11月26日 10時26分 】

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ぴあ

長岡京の選手ら、さらなる飛躍誓う 市役所を訪問

2011-11-05 14:01:51 | 士 cerebrity
ジュニアオリンピックでの好成績を報告する清水君(長岡京市役所) 第42回ジュニアオリンピックの円盤投げ競技で全国2位に輝いた長岡第三中3年の清水樹君(15)=長岡京市神足=と、サッカーとフットサルの京都府大会で優勝を果たした長岡京SSが同市役所を相次いで訪問し、小田豊市長にさらなる飛躍を誓った。

  ◇…清水君は、10月29日に横浜市で行われたジュニアオリンピックの円盤投げで39・49メートルの好記録を挙げた。全日本中学校水泳選手権大会で優勝した長岡中3年の松田健志君(15)と市役所を4日訪問し、成績を報告。清水君は「自分のペースで落ち着いて試合に臨んだことが良かった」と喜び、「高校では八種競技やハンマー投げにも挑戦し、インターハイに出たい」と意欲をみせた。

 小田市長は、両選手に「高校に入っても、すばらしい成績を挙げて報告に来てほしい」と期待を寄せた。

 ◇…長岡京SSは、4月から9月に行われたセレマカップ第44回京都少年サッカー選手権の府リーグ1部で6戦全勝し、13年ぶり2度目の優勝を果たした。10月のバーモントカップ第21回全日本少年フットサル大会府予選も初挑戦で制し、来年1月の全国大会に進んだ。

 選手9人がこのほど、優勝カップを手に訪問し、小田市長に「フットサルの全国大会は優勝を狙う」「もっとチームの力になりたい」とそれぞれ抱負を語った。

 小田市長は「先輩の宇佐美貴史選手(バイエルン・ミュンヘン)や家長昭博選手(スペイン・マジョルカ)のように、世界で活躍できるようがんばってほしい」と激励した。

【 2011年11月05日 11時48分 】

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幕末の天王山十七烈士しのぶ 大山崎で招魂祭

2011-10-22 14:03:53 | 士 cerebrity
志半ばで倒れた十七烈士をしのんで営まれた神事(大山崎町・離宮八幡宮) 幕末の勤王志士をしのぶ「天王山十七烈士招魂祭」が21日に大山崎町大山崎の離宮八幡宮で営まれ、子孫や町民でつくる奉賛会会員が参列した。

 「禁門の変」で幕府軍に敗れた長州勢は天王山にこもり、真木和泉守ら17人が自害したとされる。祭は「天王山十七烈士奉賛会」が毎年、命日の7月21日から3カ月後に天王山中腹の墓前で行ったが、一昨年から志士の駐屯地だった離宮八幡宮で営む。

 津田定明宮司が祝詞を上げ、奉賛会の栢野治夫会長らが玉ぐしをささげた。祭事の前に墓参したという和泉守の子孫に当たる水天宮(福岡県久留米市)の真木大樹宮司は「私もいつまで天王山に登れるか分からないが、息子にも引き継ぎたい」とあいさつした。

2011年10月22日 11時19分

禁門の変と大山崎―天王山の十七烈士 (1984年)
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)十七烈士奉賛会

全日本中学水泳大会でV、松田君にメダル 府教委

2011-10-06 11:39:58 | 士 cerebrity
水泳競技の全国大会で優勝し、メダルを贈られた松田君(乙訓教育局) 第51回全日本中学校水泳選手権大会に、京都府長岡京市の長岡中3年の松田健志君(14)が優勝し、府教委からメダルが贈られた。向日市上植野町の乙訓教育局でこのほど催された贈呈式で「将来はオリンピックで活躍したい」と大舞台に向けて夢を力強く語った。

 8月下旬、大阪府門真市のなみはやドームで催された大会の400メートル自由形に出場した松田君は、レース最終盤の50メートルで大接戦を繰り広げた末に追い抜いて見事に1位でゴールした。

 「最後まであきらめない気持ちは、中学生や小学生の大きな励みになる」との言葉とともに小谷昌弘・乙訓教育局長から透明なガラス製メダルを贈られた松田君は「レース前は緊張し、途中は苦しかったけれど、最後までがんばれたのは、支えていただいたみなさんのおかげです」としっかりと落ち着いた口調で振り返った。

 そのうえで「高校生になって強豪選手のいるインターハイでもがんばれるよう、冬場はしっかり体をつくりたい。夢はオリンピックのメダルです」と力強く話した。

【 2011年10月06日 11時08分 】

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お茶の広まる歴史を紹介 大山崎で講演会

2011-09-30 11:41:59 | 士 cerebrity
中世にお茶が庶民に親しまれるようになる過程を語る橋本講師(大山崎町・大山崎ふるさとセンター) 「『日常茶飯事』時代の到来」と題した講演会がこのほど、京都府大山崎町の大山崎ふるさとセンターで開かれた。甲南大の橋本素子非常勤講師が町民約70人を前に、史料をひもときながら、中世にお茶が庶民に親しまれるに至った過程を語った。

 千利休が建てた国宝の茶室「待庵」が地元に残る歴史を生かし、町は国民文化祭で大茶会を催す。今回は国文祭へ向けた連続講演会「お茶の中世史」の一環で、町歴史資料館が企画した。

 橋本講師は、南北朝時代に茶屋が登場し、庶民が外でお茶を飲めるようになったと指摘。戦国時代には家でも飲むようになったとし「千利休がわび茶を大成する前から、お茶はすでに民衆に親しまれていた」と説明した。

 中世には寺社の境内やあぜ、川のほとりなどさまざまな場所に茶園が作られていた史実も紹介した。「今も茶の木が残っている場所が多くある。皆さんの周りでもぜひ探してみて下さい」と語った。来場者は当時の民衆と茶の多様な接点を、興味深そうに聞いた。

【 2011年09月30日 11時21分 】

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女子ボクシング初代王者、安藤さんがV報告 向日市役所で

2011-09-29 11:35:31 | 士 cerebrity
WBA世界女子ライトミニマム級の初代王者となり勝利の報告で向日市役所を訪れ、久嶋市長(右)とガッツポーズをする安藤選手 世界ボクシング協会(WBA)で新設された女子ライトミニマム級の王座決定戦で初代チャンピオンとなった、京都府向日市の京都西山高出身の安藤麻里選手(23)が28日、同市役所を訪れ、久嶋務市長に勝利を報告した。

 安藤選手は、22日に東京の後楽園ホールで行われた試合で、タイ出身のアマラ・ゴーキャットジム選手に3-0の判定で勝ち、同級の初代世界王者の座に就いた。

 京都西山高では陸上の砲丸投げの選手で、インターハイの近畿予選にも出場。部活動を引退後、フィットネス目的でジムに通い始め、高校卒業後はスポーツトレーナーの専門学校へ。勉強を続ける一方、ジムの会長の勧めもあり本格的な練習を始め、2008年に行われた女子の第1回プロテストに合格。以後、今回の王座戦まで10戦7勝(4KO)3敗の戦績を残してきた。

 久嶋市長と面会した安藤選手は、「相手はとてもタフで、前に前にと出てきた。絶対に負けられないとの思いで闘った」と、試合を振り返った。久嶋市長が「(タイトル防衛など)これから大変ですね」と話すとうなずき、「女子のボクシングはまだ知られていない。(自分が勝ち続けて)女子サッカーのように盛り上げていければ」と、決意を新たにしていた。

【 2011年09月29日 10時53分 】

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チョウから環境考える 村田泰隆さんが長岡京で写真展

2011-09-22 12:29:11 | 士 cerebrity
国内外の自然の中で撮影されたチョウを紹介する写真展(長岡京市・バンビオ1番館) 京都府向日市在住の村田製作所相談役村田泰隆さん(64)が撮影したチョウの写真を展示する「自然と人間の共存をねがって」が21日、長岡京市神足のバンビオ1番館で始まった。「乙訓の里山から地球環境を考える」と銘打ち、地元の環境団体が、乙訓地域の自然を紹介する写真資料のコーナーも設置し、生物多様性や森林保全の大切さを訴えている。

 長岡京市民活動サポートセンターと市環境の都づくり会議、西山森林整備推進協議会などでつくる「自然と人間の共存環実行委員会」が主催した。

 会場には、日本鱗翅(りんし)学会などの会員で、約50年にわたってチョウの撮影や研究に取り組み、写真集も出版している村田さんの作品39点を展示。乙訓地域の田園や竹林、滋賀県の比良山などをはじめ、南米のアマゾン川やスイスの山岳地帯など、国内外のさまざまな場所を訪れて活写した美しいチョウの姿を、世界地図と一緒に紹介。日本のチョウの28%が開発や里山の変化などで絶滅の危機にある現状を解説するパネル展示もある。

 また、西山やササユリ、ヒメボタルなど乙訓地域の自然や動植物の写真を紹介したり、地球温暖化や野生生物の減少などについて考える展示エリアもあり、「わたしたちにできること」とのテーマで意見を募るコーナーでは、来場者が付箋にメッセージを書き入れ、チョウをかたどった掲示板に貼り付けていた。無料。25日まで。

【 2011年09月22日 12時10分 】

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