300年の歴史重ねる長屋門 京都・宇治の上林記念館

2017-12-05 09:48:48 | 歴 history
 観光客や買い物客が行き交う宇治市中心部の宇治橋通を歩けば、ひときわ風格のある門が目を引く。徳川将軍家御用達の宇治茶師「上林春松家」の長屋門だ。1698(元禄11)年に起きた宇治の大火で類焼後に再建され、約300年の歴史を重ねている。

 長屋門の2階部分などを使って「宇治・上林記念館」が開館したのは1978年1月。現館長の14代上林春松さん(85)の先代が「古い所蔵品を大勢の人に見てもらえる場所にしよう」と、長屋門の改修に合わせて取り組んだ。

 丹波を拠点としていた上林家は戦国時代に宇治へ移った後、豊臣秀吉らに重用され、宇治茶の世界で台頭した。記念館には、秀吉が上林家の屋敷で茶会を開いた際の記録などが展示され、時の権力者とともに確固たる地位を築いていた様子がうかがえる。

 館内では、江戸時代に宇治から将軍家に茶を届けた行列「御茶壺(おちゃつぼ)道中」で実際に使われた壺やかごのほか、茶葉を蒸すためのかまどやもむための焙炉(ほいろ)、抹茶に仕上げるための石うすなど古い道具も数多く並ぶ。

 春松さんは「手作業で行ってきた製茶や時の権力との付き合いなど宇治茶に古い歴史があることを感じてほしい」と話す。

■宇治・上林記念館 宇治市宇治妙楽38。JR宇治、京阪宇治の両駅から徒歩数分。開館は午前10時~午後4時。金曜日休館。入館料200円。問い合わせは0774(22)2513

【 2017年12月03日 17時50分 】


「乙訓郡誌」歴史読み解いて 京都・向日で特別展

2017-12-05 09:46:46 | 歴 history
 古代から近代までの乙訓地域の歴史をまとめた「乙訓郡誌」の原稿や関連する史料を集めた特別展が、京都府向日市寺戸町の市文化資料館で開かれている。郡誌編集を記念して戦前に開かれた展覧会の展示品など40点が並び、来場者が乙訓地域に残る歴史遺産に見入っている。

 大正から昭和初期にかけて各地で歴史編さん事業が行われ、当時の乙訓郡でも郡誌編集が進んだ。1928(昭和3)年には、西山高等女学校(現京都西山高)で編集記念の講演会と展覧会があった。今回は郡誌の原稿とともに、展覧会の目録に記載されたものと同一、同種の展示品をそろえた。

 蔵王堂光福寺(京都市南区)所蔵の「風俗絵馬」は、かごに乗る若者が多くの供回りを従えて御殿へ向かう姿が描かれており、玉城玲子館長は「展示されるのは昭和3年以来のはず」という貴重な史料。乙訓寺(長岡京市)所蔵の「隆光僧正図」や、光明寺(同)所蔵の「光明寺縁起絵巻」なども目を引く。

 大正時代中期には、当時の乙訓郡長だった山本三省が府から借りた史料を学校の教員に書き写させており、その中から金蔵寺(西京区)の歴史を記した史料と写本なども公開している。

 特別展は12月17日まで(月曜と同1日は休館)。午前10時~午後6時。無料。期間中の12月3日と10日の午後2~4時には専門家や資料館職員が展示内容に合わせた講演会なども行う。定員各80人で、申し込みは向日市文化資料館(931)1182。

【 2017年12月03日 15時50分 】

「朝鮮通信使」意義振り返る 京都で全国交流会

2017-11-20 11:26:23 | 歴 history
 江戸時代の外交使節団「朝鮮通信使」ゆかりの自治体などが集う全国交流会が18日、京都市左京区のロームシアター京都で始まった。約200年間に12回来日して東アジアの平和外交の礎になった通信使の意義や役割を講演や創作舞踊劇を通じて振り返った。

 通信使は、関連資料が10月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された。仲尾宏・京都造形芸術大客員教授は講演で、外交にとどまらず、文化交流も繰り広げた意義を強調。長浜市出身で通信使に関わった儒学者雨森芳洲の文書をひもとき、文化や思想の違いを認め合う「多文化共生思想」や、お互いに欺かずに争わない「誠信の交わり」の精神を重視したと紹介した。

 創作舞踊劇は、日本や韓国のプロ・アマの役者や踊り手らが上演した。400年前の1617年、伏見城で国書を交換した際、将軍の徳川秀忠自らが正使らを酒宴でもてなした逸話を盛り込みつつ、豊臣秀吉の朝鮮出兵後の対立を平和交流へ転換した通信使の歴史を紹介した。

 京都市などでつくる実行委員会が主催し、約470人が参加した。19日には左京区岡崎地域で通信使の行列を再現する。

【 2017年11月19日 13時20分 】

細川藤孝の書状、長岡京に帰還 「地元の宝」偶然に恵まれ

2017-11-07 08:55:43 | 歴 history
 戦国武将の細川藤孝が勝龍寺城(京都府長岡京市勝竜寺)の城主時代に作ったとみられる書状が同市へ帰還を果たし、3日午後1時半からバンビオ1番館(同市神足2丁目)である講演会でお披露目される。書状発見の立役者となった同市在住の研究者が歴史的価値について解説。「地元の宝として、広く市民に見てもらいたい」との願いが実現する。

 講演するのは、大阪市立大文学研究科教授(日本中世史)の仁木宏さん(55)。6月、京都市内の古書店のカタログで書状の出品を確認した。

 長岡京市文化財保護審議会の委員を務めており「乙訓関連の物にはいつも気をつけていた」。カタログは特別の増刷版で、普段は手元に届かない代物。偶然に恵まれた。

 すぐに市教育委員会へ入手を提案。現地調査を経て真物と認定され、9月に市が180万円で購入を決めた。仁木さんは「全くの新出文書。外へ流出し、埋もれてしまうのは何とかして防ぎたかった」と、やきもきした日々を振り返る。

 10月下旬に納品された書状は早速、市が委託した古文書撮影専門業者「光楽堂」(京都市)の技術者が、デジタルカメラとフィルムカメラの二段構えで撮影。活用と長期保存に向け手だてを打った。

 長岡京市教委生涯学習課の文化財技師・橋本貴明さん(40)は「宝の持ち腐れにはできない重責がある。今後、研究対象としても検証と評価を受けていくことになる」。既に細川藤孝ゆかりの明智光秀や細川ガラシャを主人公とするNHK大河ドラマの誘致推進協議会が発行するパンフレットへ、書状の写真掲載が決まっている。

 3日の講演会は長岡京ガラシャ祭実行委員会(事務局・長岡京市)の主催。仁木さんが書状を前に、文面から浮かぶ細川藤孝と織田信長や明智光秀との関係性を解説。なお残る謎も指摘する。500円。2日までに同実行委事務局075(959)1299へ申し込む。

 書状は10~12日に勝竜寺城公園(同市勝竜寺)でも無料で展示する。

 ■細川藤孝の書状 1572年に東寺(京都市南区)に宛てて書かれたとみられる。織田信長に領内での米徴収を許可されたが、明智光秀の依頼もあり、東寺領内の一部からは徴収しない、との内容。「勝龍寺城」や「信長」、明智光秀を指す「明十(明智十兵衛)」の文字が見られ、長岡京市文化財保護審議会は「学術的にも歴史的にも価値が高い」とする。

【 2017年11月01日 12時19分 】

江戸時代の「八幡道標」一冊に 京都・紹介本発行

2017-10-31 20:36:31 | 歴 history
 京都府の八幡市民らでつくる「八幡の歴史を探究する会」は、江戸時代に建てられた八幡と近隣の道標を紹介する「『石清水八まん宮道』に誘う道標群-江戸時代の八幡道標」を発行した。市内や旧街道沿いなどの石碑76基から「石清水八幡宮を中心とする文化圏」の一端を明らかにしている。

 八幡市や京都市、長岡京市、大山崎町、大阪府枚方市などにある石碑を、2年がかりで調査した。

 「八はた」の文字を指さす地蔵が彫られた道標(八幡市美濃山)や、「左 やわた八幡宮 往来安全」と彫られた道標(京都市南区)、石橋の橋脚になった道標(枚方市)などを、写真と地図に碑文の説明も加えて掲載している。

 調査代表の谷村勉さん(70)と事務局長の高田昌史さん(73)は「石碑は、かけがえのない歴史遺産。保護につなげ、後世に引き継ぎたい」と話している。

 A5判96ページ。900円。28、29日に市文化センター(八幡市八幡)である市民文化祭でも販売。問い合わせは高田さん090(2011)7503。

【 2017年10月30日 19時50分 】

「十七烈士」自決直前の様子も 京都・大山崎に案内板

2017-10-31 20:11:51 | 歴 history
 禁門の変で敗走し、京都・天王山で自決した真木和泉守ら「十七烈士」を説明する案内板が、天王山中腹にある十七烈士の墓の近くに建てられた。禁門の変が起こった背景や、十七烈士が時代に与えた影響などを分かりやすく説明しており、関係者は「地域の歴史を知ってもらえれば」と期待している。

 福岡県久留米市にある水天宮の宮司だった和泉守ら17人は、長州勢として幕府軍と戦い敗走、天王山で自決した。大山崎町の団体「天王山勤皇十七烈士顕彰会」が22日の慰霊祭に合わせ、老朽化した案内板を新しくした。

 案内板(高さ約2メートル)はステンレス製で縦、横各約80センチメートル。風雨よけの屋根も取り付けた。記載内容も変更した。「禁門の変と大山崎(天王山の十七烈士)」と大書きし、幕末の勤王志士たちの動きなどを紹介。真木和泉守の肖像画(水天宮蔵)や、禁門の変を伝える幕末の瓦版(京都市歴史資料館蔵)、天王山で自決する直前の十七烈士の様子を描いた掛け軸(宝積寺蔵)もカラーで掲載した。

 今後、十七烈士の墓を通って山頂に向かう山道を記した標識も現場に設置する予定で、同会事務局長の中田貞之さん(70)=同町大山崎=は「せっかく墓の前まで来ても、誰の墓だろうと通り過ぎる人が多かった。これをきっかけに十七烈士の歴史を知ってもらえれば」と話している。

【 2017年10月26日 13時07分 】

守り続けた茶道施設、重文に 京都・宇治の松殿山荘

2017-10-31 19:49:02 | 歴 history
 京都府宇治市で守り続けられてきた茶道の研修施設が重要文化財になる見通しとなった。国の文化審議会がこのほど、木幡南山の「松殿山荘」を重文に指定するよう答申した。茶のまちの関係者に喜びが広がった。

 松殿山荘は、茶道家の高谷恒太郎(1851~1933年)が、周囲に広がる茶園の景観を気に入って土地を購入して建てた。12棟もの建物群と広大な敷地を子孫が代々守り続けてきた。

 現在は、所有する「松殿山荘茶道会」の代表理事で高谷のひ孫にあたる平岡己津夫さん(69)が管理し、毎年春と秋に2日間ずつ、一般公開している。

 完成当時の状態をとどめようと努めるが、維持には労力も費用もかかる。アライグマなどが柱に爪痕を付け、イノシシは庭園を掘り返す。白アリのせいで倒壊寸前だった建物は全解体して修復した。「雨漏りに気を付けるように」との父の言葉を守り、雨が降れば建物や外の水はけを確認して回る。

 平岡さんは「修理に支援が必要な時期にきていた。祖母や父が頑張って維持してきたことが報われた。これで未来に残せる」と喜ぶ。

 山本正市長は「お茶に縁のある松殿山荘の重文指定は、宇治のブランド力の向上や宇治の魅力を再発見する良い機会になる」とコメントした。

 一方、大勢の人が訪れると建物が傷む原因になることや「本当に見たいという人に訪れてほしい」との思いから、平岡さんは公開の拡大には慎重だ。市は「私有物なので、所有者と相談して支援を検討したい」としている。

【 2017年10月23日 11時55分 】

なつかしの風景、動画や写真で 京都・八幡市がHP公開

2017-10-23 11:53:52 | 歴 history
 京都府八幡市は、市制施行40周年(11月1日)を記念して制作した動画「今昔メモリアル写真・ビデオメッセージ」(14分)を市ホームページで公開している。

 かつて木津川にあった水泳場や渡し舟「岩田の渡し」、男山団地の建設など、懐かしい写真で八幡の歴史を振り返る。石清水八幡宮の神職へのインタビューや、男山団地の再生に取り組む団体の紹介のほか、市民や堀口文昭市長のメッセージも収録している。

【 2017年10月22日 17時00分 】

八幡市市制施行40周年記念今昔メモリアル写真・ビデオメッセージ

くぼ地は前方後円墳の付帯施設か 京都・五塚原古墳

2017-10-23 11:36:10 | 歴 history
 京都府向日市埋蔵文化財センターは18日、国史跡・乙訓古墳群の一つで古墳時代前期の前方後円墳「五塚原(いつかはら)古墳」(同市寺戸町)について、前方部の西側にあるくぼ地が古墳の付帯施設として人為的に掘られた可能性があると発表した。「最古の前方後円墳がどのような外周をしていたのか解明する手掛かりを引き出せた」としている。

 2001年の調査では、くぼ地は自然の地形と判断された。だが、今回の調査で前方部の南西角や、そこから北に向かって落ち込むくぼ地の南端が確定でき、こぶし大の礫(れき)(石)も見つかった。このことから、くぼ地は人が掘ったと考えられるという。

 くぼ地は南北35メートル、東西25メートル。古墳周辺に同様のくぼ地はないため、墳丘の盛り土を取るためだけに掘ったとは考えにくい。くぼ地を囲むように後円部から前方部南西角に掛けて堤状に高まっている部分もある。古墳は堤やくぼ地も一体のものとして造営されたと考えられ、同センターは「築造時の通路や、完成後の外観を意識して整備した可能性もある」と説明する。

 現地説明会は21日午前11時~午後3時に行う。小雨決行。問い合わせは向日市埋蔵文化財センター075(931)3841。

【 2017年10月19日 15時00分 】

よみがえる明治の京都・宇治 歴史資料館で紹介

2017-10-16 07:44:02 | 歴 history
 明治時代に撮影された宇治や近隣の写真を集めた特別展「よみがえる明治の日本」が、京都府宇治市折居台の市歴史資料館で開かれている。宇治川の塔の島に集う和装の人々や、水をたたえた巨椋池など、記録としても貴重な在りし日の地域の姿が捉えられている。

 来年は明治元(1868)年から150年になることから企画、写真やパネルなど計329点を紹介する。

 塔の島の浮島十三重塔が再建された明治41(1908)年の落成法要の写真は、現物と引き伸ばした複写を並べた。約400人が写り、同館の小嶋正亮主幹は「普段着姿で、大部分が地元の人と思われる。洋装の人が少なく、女性が髪を結っているなど当時の風俗が分かる」と話す。

 明治初期の府の記録写真は、干拓前の巨椋池に水面が広がっており、豊臣秀吉が築造を命じた太閤堤もある。平等院鳳凰堂は阿字池にハスが繁茂し、屋根の鳳凰(ほうおう)が外を向くなど現在と異なる。欧米輸出向けに白黒写真を彩色した「横浜写真」、特殊な眼鏡で立体的に見える「ステレオグラム」といった写真も。

 11月19日まで。入館料が必要。10月21、24日と11月10日に講座、15日に記念講演がある。申し込みや問い合わせは同館0774(39)9260。

【 2017年10月10日 09時10分 】

日本遺産の浜茶、ワイドにPR 京都・久御山

2017-10-02 10:10:52 | 歴 history
 日本遺産「日本茶800年の歴史散歩」の構成文化財の一つ、久御山町の木津川沿いに広がる浜茶と流れ橋(上津屋橋)を撮影した大型横断幕が、同町島田の町役場にお目見えした。来庁者にお茶の京都や町をPRする。

 高さ2.1メートル、幅9.45メートル。町がスキャナー製造の「ニューリー」(同町佐古)と協力して制作した。高精細にスキャン撮影し、青々とした茶園やその向こうに架かる流れ橋が高いデジタル技術で再現されている。

【 2017年10月01日 10時52分 】

京都の出土品、150点一堂 山城資料館で16年度発掘展

2017-09-16 14:29:32 | 歴 history
 京都府城陽市富野の芝山遺跡で出土した府内最大級の勾玉(まがたま)など府内で2016年度に行われた発掘調査の成果を紹介する企画展「発掘された京都の歴史2017」が9日、木津川市山城町上狛の府立山城郷土資料館で始まった。

 府教育委員会と府埋蔵文化財調査研究センター(向日市)の主催。府内23の遺跡や古墳、窯跡などで見つかった土器や埴輪(はにわ)、木製品など約150点。

 芝山遺跡の勾玉はメノウで作られ、全長約5・4センチ。オレンジ色の輝きを放ち、近くにあった管玉と一緒に展示している。

 城陽市寺田と水主(みずし)にまたがる下水主遺跡で出土した、くわや槌などの農具や、扉状建築部材(全長1・3メートル、幅75センチ)など、古墳時代前期の技術や暮らしぶりが伺える遺物も紹介する。

 恭仁京の碁盤目の道路跡の可能性がある溝が見つかった岡田国遺跡(木津川市木津)で出土した「越後」と墨で書かれた土器もある。

 24日まで(11、19日は休館)。入館料200円(小中学生50円)。

【 2017年09月11日 11時19分 】

光秀、ガラシャ…歴史を演じ 京都の甲冑劇団、仲間募る

2017-09-09 09:39:08 | 歴 history
 京都府南西部にある乙訓地域を拠点に戦国時代の武将や人物を演じる甲冑(かっちゅう)劇団「乙訓戦国つつじ」が、活動の幅を広げようと模索している。現在、役者2人とスタッフ1人で運営しており、演劇未経験者も含めて仲間を探している。劇団員は「共に歴史の奥深さを伝えていきたい」と期待している。

 劇団は2014年4月、代表の大西恒さん(39)=長岡京市友岡3丁目=が設立した。歴史好きの大西さんは、全国の祭りや催しを巡り、出演者を一般から募集する歴史劇の舞台に立ってきた。演劇未経験者ながら演じる楽しさを知り、明智光秀や羽柴秀吉など戦国武将ゆかりの乙訓地域で主体的に活動しようというのが劇団結成のきっかけだ。

 当初は地元の小学校で甲冑作りを教えるなどしていたが、2年ほど前に芸能事務所に所属していたことがある今井かなさん=兵庫県明石市=を副代表に迎えた。

 乙訓地域で活動する時は、大西さんが明智光秀、今井さんが娘の玉(ガラシャ)役を演じることが多い。大山崎町円明寺の公園で先ごろ、散策客を前に甲冑姿の大西さんが剣舞を交えて光秀の生涯をたどり、着物姿の今井さんも詩吟を絡ませ、玉の心情を表現した。同町で6月にあったイベントでは大西さんが各地で知り合った劇団員を応援に招き、光秀と羽柴秀吉が天王山で激突した「山崎合戦」を熱演した。

 小所帯の劇団を活性化させようと現在、仲間を募っている。今井さんは「お客様には殺陣が受けるので足軽役の男性に来てほしい。もちろん女性も大歓迎」と話す。大西さんは「乙訓地域に残る史実や歴史遺構は地元の誇り。劇を通じて多くの人に伝えたい。体験でもいいので気軽に参加してほしい」と呼び掛ける。問い合わせは大西さんのメールsengokututuji@hotmail.com

【 2017年09月08日 11時40分 】

平安期の役所跡見つかる 京都・木津川、恭仁京関連か

2017-08-26 15:31:04 | 歴 history
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは25日、木津川市木津の岡田国遺跡の発掘調査で、平安時代中期の役所とみられる建物跡と、奈良時代に耕作でできたとみられる溝などが見つかったと発表した。奈良時代の遺構は現在の同市で8世紀に造営された恭仁京と関連する可能性もあるという。

 平安時代(10世紀ごろ)の遺構は、南北9メートル以上、東西約7メートルの建物と、後に同じ場所に建てられた南北7メートル、東西5メートルの建物の柱跡など。地鎮のため埋めたとみられる皿をかぶせた土師(はじ)器のかめも見つかった。平安京と奈良を結ぶ奈良街道があった近くで、すずりなども出土しており、公的施設ではないかという。

 奈良時代の遺構は、建物跡と、隣接して東西方向の深さ20センチほどの溝13本を確認した。2・5~4メートル間隔で並んでおり、野菜や雑穀を栽培した畝の跡ではないかという。同センターは「短期間で埋められた形跡があり、短命に終わった恭仁京と関わりがあるかもしれない」としている。

 調査は国道バイパス新設工事に伴い昨年度から実施、これまでに恭仁京を区画する道路跡とみられる遺構が見つかっている。

 現地説明会は27日午前10時半から。JR木津駅から南へ徒歩約20分。駐車場はない。問い合わせは調査事務所の携帯電話080(4854)9303。

【 2017年08月26日 09時50分 】



「観音三十三身図」功徳を色鮮やかに 京都・一休寺で公開

2017-08-19 11:45:35 | 歴 history
 「一休さんのお寺」として知られる京都府京田辺市薪の酬恩庵一休寺で15日、江戸時代後期の画家、原在中(1750~1837年)が描いた「観音三十三身図」の掛け軸の公開が始まった。さまざまな姿で民衆に教えを説く観音菩薩(ぼさつ)が色鮮やかに描かれている。

 1793(寛政5)年に寺へ納められたとされ、毎年お盆に虫干しを兼ねて33幅ある軸を方丈に並べて参拝者に公開している。

 毘沙門天や王族、子どもなどの姿に変わった観音菩薩や、洪水などの災難に見舞われて祈る人々を救う様子などが絵で表現されている。16日まで。拝観料が必要。

【 2017年08月16日 10時52分 】