「ハイテク国家は鉄砲伝来のおかげ」京都・大山崎で歴史講演会

2017-02-16 20:10:25 | 歴 history
 大山崎ふるさとガイドの会の歴史講演会が5日、京都府大山崎町大山崎の大山崎ふるさとセンターで開かれた。歴史ファンら約80人が訪れ、真田幸村公資料館(大阪市東成区)の澤田平館長が、戦国時代に使われた本物の武具で、戦い方や作り方などを紹介した。

 「鉄砲からハイテクへ」と題して講演した澤田館長は、持参した実物のよろいやかぶとを、同会のメンバーに実際に着せて、戦国時代の兵士たちの装備や、弓や槍(やり)、刀などの構え方や使い方を、実演を交えながら解説した。

 また、山崎の合戦でも使われた火縄銃について、日本にそれまでなかったねじが使われていたことに触れ、「日本の工業製品には、たくさんのねじが使われている。日本がハイテク国家になったのは鉄砲伝来のおかげ」と述べた。参加者は「大きな弾はどれくらい飛んだのか」「銃の筒はどうやって造ったのか」など質問し、熱心に聞き入っていた。

【 2017年02月05日 22時30分 】

光秀裏切り?「冗談じゃねーよ」 松村邦洋さん会場沸かす

2016-11-10 07:15:46 | 歴 history

 細川ガラシャの人生や戦国時代について考えるトークセッションが5日、長岡京市神足2丁目のバンビオ1番館で開かれた。歴史に詳しいタレントの松村邦洋さんや学識経験者らが討論し、物まねを交えた楽しい議論に来場者の笑いを誘った。

■ガラシャをテーマ、京都・長岡京でトークセッション

 25回目を迎えたガラシャ祭の記念事業で開催。松村さんと京都橘大名誉教授の田端泰子さん、中山修一記念館長の中山忠彦さんが「ガラシャと長岡京」をテーマに討論し、約200人が聞き入った。

 松村さんはガラシャの夫、忠興について「妻への思いが強かった分、息子の嫁にきつく当たったのかも。頑固な人」と話した。織田信長について「出来が悪い人はすぐリストラする外資系企業の社長のような人」と話し、本能寺の変に遭遇した信長の心境を北野武さんの物まねで表現して会場を沸かせた。

 また、中山さんが「昔の家系図には女性の名前が書いてないことが多い」と指摘すると、田端さんは豊臣秀吉が妻に宛てた手紙を例に「文中に『おね』と書いてある。そういう資料がないと女性の名前はなかなか分からない」と説明。男尊女卑の思想が色濃かったことにも言及した。

【 2016年11月06日 11時37分 】


国内最大級、一木作りのはしご 京都、古墳時代テーマに企画展

2016-10-31 13:24:54 | 歴 history

 京都府長岡京市埋蔵文化財センターは11月1日から、特別企画展「古墳時代のムラ」を同市奥海印寺の同センターで開催する。国内最大級の一木作りのはしごをはじめ、古墳時代の集落で使われた土器や農耕具、祭祀(さいし)用具など約50点を並べる。

 センターは毎年秋に企画展を開いており、今回は3月に乙訓地域一帯の古墳11基が乙訓古墳群として国の史跡に指定されたことを受け、古墳時代を取り上げた。

 展示品のうち、はしごは1997年に行われた雲宮遺跡(同市神足)の発掘調査で見つかった。長さ約3・6メートル、幅約20センチ、厚さ約5センチ。古墳時代後期のもので板状の表面には木を切り出して作った足かけ部分が7段ある。両端や中央、裏面には穴があり、建築部材に転用されたとみられる。水浸けの状態で保管しており、発掘翌年の速報展以来の展示となる。

 また、完全な状態で見つかった革袋の形をした土師(はじ)器、丸い形をした胴の部分に切れ込みや穴がある須恵器の二重はそうなど、市内で1点しか見つかっておらず、全国的にも数が少ない貴重な土器なども出展する。同センターは「古墳がつくられていた時代の人たちが、どういう暮らしをしていたか、遺物を通して想像してほしい」としている。

 30日まで。午前8時半~午後5時(土日、祝日は午前10時~午後4時)。無料。問い合わせは同センターTEL(955)3622。

【 2016年10月29日 10時25分 】


国内最大級、一木作りのはしご 京都、古墳時代テーマに企画展

2016-10-31 13:24:54 | 歴 history

 京都府長岡京市埋蔵文化財センターは11月1日から、特別企画展「古墳時代のムラ」を同市奥海印寺の同センターで開催する。国内最大級の一木作りのはしごをはじめ、古墳時代の集落で使われた土器や農耕具、祭祀(さいし)用具など約50点を並べる。

 センターは毎年秋に企画展を開いており、今回は3月に乙訓地域一帯の古墳11基が乙訓古墳群として国の史跡に指定されたことを受け、古墳時代を取り上げた。

 展示品のうち、はしごは1997年に行われた雲宮遺跡(同市神足)の発掘調査で見つかった。長さ約3・6メートル、幅約20センチ、厚さ約5センチ。古墳時代後期のもので板状の表面には木を切り出して作った足かけ部分が7段ある。両端や中央、裏面には穴があり、建築部材に転用されたとみられる。水浸けの状態で保管しており、発掘翌年の速報展以来の展示となる。

 また、完全な状態で見つかった革袋の形をした土師(はじ)器、丸い形をした胴の部分に切れ込みや穴がある須恵器の二重はそうなど、市内で1点しか見つかっておらず、全国的にも数が少ない貴重な土器なども出展する。同センターは「古墳がつくられていた時代の人たちが、どういう暮らしをしていたか、遺物を通して想像してほしい」としている。

 30日まで。午前8時半~午後5時(土日、祝日は午前10時~午後4時)。無料。問い合わせは同センターTEL(955)3622。

【 2016年10月29日 10時25分 】


50周年記念集会、発表で歩み振り返る 京都・長岡第三小

2016-10-16 09:59:23 | 歴 history

 今年創立50周年の長岡第三小(長岡京市今里4丁目)で12日、記念児童集会が開かれた。全校児童が、学校の歩みや当時の社会状況などについて歌を交えながら発表した。

 同小は1967年に開校し、現在は児童386人が通学している。学校の歴史を知り、地域の人への感謝や学校への誇りを持ってもらおうと集会を企画。この日は保護者ら約100人も参加した。

 集会では「ここが好きだよ長三小」と題して、3年生がグループごとに学校の遊具や給食、過去に飼育していた動物などについて調べた内容を、絵や寸劇を交えて発表した。続いて6年生が新聞や卒業アルバムなどを元に50年間に起きた学校の出来事や社会状況などを10年ごとに順番に紹介。1、2、4、5年生が当時流行していた人形劇の主題歌やヒット曲などを元気よく歌うと、保護者らから大きな拍手が送られた。

 6年の小山蒼太郎君(12)は「学校の50年間を知れて良かった。節目の年に卒業できるのもうれしい」と話していた。

【 2016年10月13日 11時10分 】


疾病に悩む地域救った地蔵、絵巻に 京都の寺に奉納

2016-10-09 11:06:11 | 歴 history

 京都府向日市寺戸町の慶昌院に本尊「田植え地蔵」の絵巻が奉納され、8日午後1時半から、お披露目のイベント「地蔵寄席」がある。寺に代々伝わる縁起を基に地元の仏絵師が描いた作品で、当日はゲスト出演する講談師が地蔵にまつわる創作講談も披露する。

 慶昌院は1600年に開かれ、一度は焼失。1835年に再建したとされる。財産目録の校割(こうかつ)帳を歴代住職が補修を重ねながら保管しており、この中に、開山時の経緯が縁起として残る。

 絵巻は縦約30センチ、幅約2・2メートル。開祖で後に心斉法師を名乗る長谷川半兵衛が、土中から田植え地蔵を掘り出し、眼病治癒を祈願して回復した後、地蔵が疫病にあえぐ地域を救う縁起の内容を描き出した。

 昨年秋、同院の山路純正(じゅんしょう)住職(68)が同市寺戸町の仏絵師村上恵那さん(66)と知り合い、制作を依頼。彼岸花や桜など同院周辺の四季の移ろいを盛り込みながら、約1年かけて描き上げた。村上さんは「伝承の面白みを実感しながら筆を進めた。地元がぐっと近くなった」と語る。

 8日のイベントでは本堂で絵巻を展示するほか、上方講談協会前会長の旭堂南鱗さん(66)=大阪市阿倍野区=が縁起の内容を講談に仕立てて発表する。山路住職は「目で見て耳で聞いて、昔話の大切さを伝えたい。地域の原風景の一端を感じてもらいたい」と来場を呼び掛ける。

 参加費千円(小学生以下は無料)。問い合わせは慶昌院TEL(921)0571。

【 2016年10月07日 10時45分 】


長岡宮造営の「足跡」、里帰りを 京都・向日の団体要望

2016-09-18 10:06:54 | 歴 history
 乙訓の文化遺産を守る会が、約50年前に京都府向日市内の発掘調査で見つかった、長岡宮造営に携わった人の足跡や牛車のわだちの実物大模型を、府立山城郷土資料館(木津川市)から向日市内に「里帰り」させようと動いている。メンバーは同資料館を訪れて模型の状態を確認し、市長と教育長に模型の展示などを求める要望書を提出。「市が重視する『長岡宮のあるまち』の広報強化の一助になれば」と期待している。

 発掘調査は1965年に府教育委員会が向日市鶏冠井町で実施。都造営時の牛車のわだちが見つかるのは当時としては珍しく、府教委が実物から型をとった模型を作り、同資料館の収蔵庫で保存している。

 向日市では20年ほど前に市文化資料館で公開されたことがあるのみだ。同会メンバーは、発掘担当者の一人で京都大名誉教授の西川幸治さんから「資料館の倉庫に眠っている模型を展示・公開できるようにしてほしい」と依頼を受け、7月に山城郷土資料館に出向き模型の保存状況を確認し、8月には向日市長らに展示と公開を求める要望書を送った。

 市教委が検討を始めたが、模型は長さ6・48メートル、幅3・8メートル、高さ66センチと巨大なため、展示スペースの確保が大きな課題だ。今月17日には「長岡京跡の轍(わだち)」と題した講演会を同市寺戸町の寺戸公民館で開く。西川さんと長岡京市埋蔵文化財センターの木村泰彦さんが講師を務める。申し込みは事務局の長谷川さん携帯電話090(9284)7321。

【 2016年09月15日 10時26分 】

武士集団「西岡衆」の実像に迫る 京都・向日で講演会

2016-09-04 17:05:28 | 歴 history
 中世・戦国時代に京都府乙訓地域の自治を担った武士集団「西岡衆」について学ぶ講演会が3日、向日市文化資料館(同市寺戸町)で開かれた。市民ら約90人が、たくましく時代を駆け抜けた西岡衆の実像に聞き入った。

 11月の向日市まつりで「西岡衆武者行列」が行われるのを前に、地元の歴史を知ってもらおうと、市や地元住民らでつくる「むこうし歴史行列絵巻実行委員会」が昨年に続いて開いた。

 「戦国・西岡衆の足跡を辿(たど)る」と題して講演した大山崎町歴史資料館の福島克彦館長は、長岡京市調子付近を拠点にしていた調子氏が丹波で別の武将の戦いに協力したことや、現在の阪急電鉄桂駅付近の城主だった革嶋氏が、政変により丹後に逃れたものの、織田信長の越前攻めでの功績が認められて、再び元の領地に復帰したことなどを紹介。「丹波や丹後との関わりの中から、西岡衆のねばり強さがうかがえる」と述べた。

 その後、京都乙訓ふるさと歴史研究会の中西昌史さんが歴史紙芝居「西岡衆の活躍」を、スライドで上演。西岡衆の武士たちが、話し合いなどで地域の問題を調整していた様子や、物集女宗入が戦国武将細川藤孝に暗殺された物語を情感込めて語り、会場からは大きな拍手が送られた。

【 2016年09月04日 10時40分 】


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気分は信長? 南蛮文化に興味津々 京都・大山崎で教室

2016-09-04 16:50:54 | 歴 history
 京都府の大山崎町歴史資料館(同町大山崎)はこのほど、堺市の歴史関係者を招き、子ども向けの「南蛮兜(かぶと)」工作教室を開いた。大山崎と堺市は茶人・千利休や戦国時代の合戦、鉄砲など歴史上の共通点があることから、今後も連携した企画に取り組みたいとしている。

 同資料館は先月27、28日に「堺鉄砲研究会」代表の澤田平さんを講師に招いて歴史教室を開催。子どもら約25人が参加し、紙製の南蛮兜作りに挑戦しながら、南蛮文化が堺を通じて伝来した経緯を学習した。

 澤田さんは、南蛮文化の影響を受けた日本の甲冑(かっちゅう)や火縄銃を見せ、伝来した鉄砲が山﨑の合戦など戦国時代の戦いの勝敗にも影響を及ぼしたことを教えた。澤田さんは「大山崎は天王山で天下分け目の歴史的な合戦があった地。ここで子どもたちに堺の鉄砲について教えられる意味は大きい」と話した。

 堺も大山崎も、商業などを通じて中世に自治都市として栄えた。千利休や奈良時代の高僧・行基ともゆかりがあり、これまで住民レベルで文化交流が行われ、昨年は山本圭一町長と竹山修身市長が懇談し、トップ同士が観光面で協力する方針を確認した。

 同資料館は来年以降、利休や行基をテーマに両市町の共通点を探る企画展を催す予定だ。福島克彦館長は「お互いのまちの歴史が通じていることを知っている人はまだ少ない。今後、事業を通して住民同士の交流や連携が深まるきっかけになれば」と話す。

【 2016年08月28日 11時15分 】

全長85センチの陶棺…府内発掘調査、成果一堂に 京都・向日

2016-08-21 09:12:50 | 歴 history
 2014~15年度に京都府内で実施された発掘調査の成果を紹介する「第30回小さな展覧会」が13日、向日市寺戸町の市文化資料館で始まった。府北部や山城地域などで出土した遺物や現場の写真など約280点が展示されている。

 埋蔵文化財への理解を深めてもらおうと、府埋蔵文化財調査研究センターが主催した。子どもたちも訪れやすいよう、夏休みの時期に合わせた。

 弥生時代から室町時代にかけての集落跡である舞鶴市の大川遺跡では、数多く見つかった井戸の一つで13世紀頃の丸木舟の一部が井戸枠に使われており、実物が展示されている。

 古墳時代後期から奈良時代前半の横穴70基が見つかった京田辺市の松井横穴群から出土した全長85・9センチの陶棺(とうかん)も紹介。小型の陶棺は全国的にも珍しく、ふたがついていることから、何度も骨を納めていたとみられ、来場者の注目を集めている。

 今年3月に国の史跡に指定された乙訓古墳群も取り上げ、向日市の五塚原古墳や、長岡京市の恵解山(いげのやま)古墳、大山崎町の鳥居前古墳など五つの古墳を写真パネルで紹介している。

 また、今年3月に88歳で亡くなった同センターの前理事長、上田正昭氏の遺品を集めた追悼コーナーを設けた。細かな観察をもとに海藻や植物の細胞の仕組みをイラストと文章で記した中学2年生時のノート「博物帳」や、京都大や立命館大で考古学の講義をするために作成したノート、亡くなる直前に書かれた原稿などが展示されている。

 28日まで。月曜休館。入場無料。

【 2016年08月14日 12時14分 】

長岡京大極殿など一部復元へ 京都・向日市が本年度から

2016-08-14 11:25:26 | 歴 history
 向日市は本年度から、古代の都・長岡京で桓武天皇が政務を執った大極殿などの一部復元事業に取り組む。同市は歴史を生かしたまちづくりに力を入れているが、市内には観光客が楽しめる施設は少ない。市は長岡宮の重要な建物を実際にあった場所に原寸大でよみがえらせ、歴史観光の目玉としたい考えだ。

 大極殿跡は1964年に国の史跡指定を受け、現在は史跡公園として整備されている。毎年11月には長岡京遷都を記念した「大極殿祭」が、住民有志の手で営まれている。

 公園内には案内板や石碑はあるが、観光客を呼び込めるような施設はない。本年度は2千万円をかけて、大極殿や朝堂院などがどこにどんな形で建っていたのかなどを調べ、一部復元に向けた基本構想と基本設計を策定する。

 今後、府や文化庁と復元場所などを協議する。市長公室は「周辺に土産物店を設けるなどして観光客でにぎわうようにしたい。市財政は厳しいが、国の補助金などを活用して一部復元を実現させたい」としている。

【 2016年08月09日 13時10分 】

「長岡宮は京都・向日市に」半数しか知りませんでした

2016-07-31 18:28:12 | 歴 history
 乙訓地域に10年間存在した古代の都・長岡京。その中心である長岡宮は現在の向日市に位置していたが、市名から長岡京市にあったと誤解している人は多い。京都新聞社が向日市や近隣の住民50人にアンケートを実施したところ、長岡宮がある市を正解した人は5割強にとどまり、若い世代ほど正解率が低かった。市が重視する「歴史を生かしたまちづくり」を実現するには、さらなる広報の工夫と発信力強化が欠かせない。

■「長岡京市」と誤答、PR強化は不可欠

 アンケートは市内の駅周辺や住宅街で実施。長岡京の認知度や長岡京の中心地・長岡宮の理解度-などを選択方式で聞いた。

 この結果、「長岡京を知っているか」の問いには82%(41人)が「知っている」と回答したが、「長岡京の中心地がどこにあるか」の正解率は54%(27人)にとどまった。

 年齢別でみると、10~30代は72%が「長岡京を知っている」と答えたものの、都の中心地に関する設問は正解率28%と低く、「長岡京市」と誤答する人が半数を超えた。一方、60代以上は88%が「長岡京を知っている」と答え、都の中心地に関する設問の正解率も77%と高かった。

 回答した50人の居住地は向日市34人、長岡京市3人のほか、京都市や大阪府吹田市など乙訓外が13人だった。向日市在住者では長岡京の認知度は88%と高かったが、都の中心を「長岡京市」と答えた人が23%おり、「わからない」も8%いた。

 乙訓外の在住者は38%が「長岡京」の存在を知らず、長岡宮の場所を答えられた人は3割にとどまった。

 向日市は歴史まちづくり法に基づく国の計画認定(歴まち認定)を受け、「長岡宮のあるまち」のPRを強化。長岡京時代の衣装に身を包んだモデル女性のポスター「むこう、むこう」を市内の主要駅やバスの車体などに掲示したり、「歴まちPRロゴマーク」のピンバッジを販売したりしている。今後も「向日市検定」の実施などで歴史への理解を深めてもらいたい考えだ。

 一方、アンケート結果からうかがえるように市外へのPRはまだまだ。市は「駐車場の整備などまずは観光客を受け入れる体制を整えてから」と説明している。

 市北部地域を中心とした若い新住民へのPRは市への愛着を高め、定住促進にもつながる。向日市の歴史を内外に広めるための取り組みが求められている。

【 2016年07月24日 14時55分 】


くらしのなかの戦争、郵便や写真で 京都・向日市文化資料館

2016-07-24 10:00:14 | 歴 history
 「くらしのなかの戦争展」が、京都府向日市寺戸町の市文化資料館ラウンジで開かれている。戦地から家族宛てに出された軍事郵便や写真など、市民から寄贈された資料が並んでおり、訪れた人たちが熱心に見つめている。

 同展は、身近な生活や人々に大きな影響を与えた戦争を振り返り、平和について考えてもらおうと、1994年からほぼ毎夏開催している。今回はパネル10点と資料25点を展示している。

 同市鶏冠井町の上田家から寄贈されたのは、中国大陸で戦病死した兄清一さんと、フィリピン・レイテ島で亡くなった弟勇さんの遺品。サイドカー付きのオートバイにまたがる清一さんの写真や、戦友との楽しげな様子や運動会などの写真を集めた清一さん手作りの戦線アルバムが紹介されている。また、東京の陸軍工科学校で学んだ勇さんが、戦地から出した手紙には、故郷の向日町を懐かしみ、妹ら家族を気遣う様子がうかがえる。

 8月28日まで。無料。同7日午後2時からは、学芸員による日曜談話会「手紙で読み解く戦争」(入場無料)も開く。

【 2016年07月18日 10時44分 】

乙訓古墳群を探訪ウオーク  京都・長岡京のNPO

2016-05-22 15:00:32 | 歴 history
 今年3月、新たに国の史跡に指定された乙訓古墳群をめぐる探訪ウオークが21日、京都府長岡京市などで行われた。歴史ファンの市民ら21人が、地域で勢力を持っていた、いにしえの首長らの足跡をたどった。

 定期的に地域の史跡を訪ねるイベントなどを開催しているNPO法人長岡京市ふるさとガイドの会が、史跡指定を受けて初めて同古墳群をテーマに開催した。

 参加者は午前10時に、長岡京市粟生の光明寺を出発し、京都市西京区大原野の芝古墳や長岡京市井ノ内の井ノ内稲荷塚古墳、同市天神5丁目の今里大塚古墳など、計五つの古墳を歩いて巡った。

 各古墳では、同会のメンバーが、造られた時期や形状の特徴、出土遺物などについて説明。「この地域では、連綿と古墳が造られており、首長の系譜をたどることができる」との解説に、参加者が熱心に聞き入っていた。

 長岡第三小6年の舩橋諒丞君(11)=同市今里=は「形が残っているものから残っていないものまで、いろんな古墳が見られて楽しかった」と話していた。

【 2016年05月22日 11時43分 】

伝統の技、炎のコラボ 京都・大山崎で9日に日使頭祭

2016-04-10 09:33:33 | 歴 history
 中世に灯明用の油販売で栄えた離宮八幡宮(京都府大山崎町大山崎)の春の行事「日使頭祭(ひのとさい)」と「春のえごまフェスタ2016」が9日、同神社で営まれる。今回は初めて奈良県安堵町の伝統の技「灯芯ひき」を使って、大山崎町のエゴマ油で火をともす実演が行われる。

 安堵町では、江戸時代中期から低湿地の水はけの悪さを生かした灯芯用のイグサ栽培が盛んで、灯芯の一大産地として知られるようになった。地域住民らでつくる灯芯保存会が普及活動に取り組み、手掛けた灯芯を東大寺や春日大社、薬師寺などに奉納している。その技術は町指定文化財の第1号にもなった。

 当日は大山崎町で栽培したエゴマの実を使い、搾油機の復元模型で油を搾る。灯芯保存会のメンバーらがイグサの表皮を裂き、取り出した「ズイ」の部分に油を染み込ませて灯芯にし、火を付けて奉納する。同祭を主催する「大山崎町の歴史・文化遺産を活(い)かした地域活性化実行委員会」は「由緒ある伝統産業のコラボレーション。ぜひ見に来てほしい」としている。

 同祭は午前11時から、同フェスタは神事終了後に開かれる。午後0時半と1時半には灯芯ひきの体験(参加費100円)のほか、エゴマを材料にした飲食物の販売もある。問い合わせは同実行委ファクス075(956)0223。

【 2016年04月08日 11時00分 】