日中戦争から太平洋戦争にかけ、戦死した京都府向日町(現向日市)出身者が少なくとも129人に上ることが、市民から市文化資料館に寄託された資料で分かった。この資料や町葬の様子を捉えた写真などを集めた「くらしのなかの戦争展」が、同資料館で30日まで開かれている。
資料は当時の町収入役が残していた「町葬会計一件」。1938(昭和13)年から46(同21)年の9年間で、町出身者の町葬が31回行われ、計129人が弔われたことが分かる。被葬者数は太平洋戦争の開戦以降大幅に増えており、終戦直後の45(同20)年12月21日の町葬では最多の28人に上った。
町葬会計一件の最後に記録された奥山伊佐雄さん=寺戸=は、出征の日に撮影された写真パネルが展示されている。寺戸町梅ノ木にあったマルイ百貨店の跡取りで、出征直後に撮影された店内写真には仕事中の両親の姿が写る。
師範学校を卒業し、22(大正11)年に「一年現役兵」として大津の第九連隊に入隊した中山新一郎さん=物集女=の日誌には、厳しい訓練や指導の様子が記されている。一方で、外出先でピアノを弾いたり、テニスのラケットを握るなどの記述もあり、戦争前の日常が垣間見える。
出征前の生嶋徳治郎さん=鶏冠井=に贈られた寄せ書きの日章旗には、「桓武長岡都」という文字が書かれており、長岡宮の中心が鶏冠井にあったことに対する住民の誇りがうかがえる。
このほか、出征を見送る手旗や防空頭巾、海軍兵からの手紙などが展示されている。
同展は毎年開催されているが、戦後70年の節目で例年より多くの市民から寄贈・寄託があり、新たに9点が展示に加わった。
【 2015年08月15日 11時23分 】
資料は当時の町収入役が残していた「町葬会計一件」。1938(昭和13)年から46(同21)年の9年間で、町出身者の町葬が31回行われ、計129人が弔われたことが分かる。被葬者数は太平洋戦争の開戦以降大幅に増えており、終戦直後の45(同20)年12月21日の町葬では最多の28人に上った。
町葬会計一件の最後に記録された奥山伊佐雄さん=寺戸=は、出征の日に撮影された写真パネルが展示されている。寺戸町梅ノ木にあったマルイ百貨店の跡取りで、出征直後に撮影された店内写真には仕事中の両親の姿が写る。
師範学校を卒業し、22(大正11)年に「一年現役兵」として大津の第九連隊に入隊した中山新一郎さん=物集女=の日誌には、厳しい訓練や指導の様子が記されている。一方で、外出先でピアノを弾いたり、テニスのラケットを握るなどの記述もあり、戦争前の日常が垣間見える。
出征前の生嶋徳治郎さん=鶏冠井=に贈られた寄せ書きの日章旗には、「桓武長岡都」という文字が書かれており、長岡宮の中心が鶏冠井にあったことに対する住民の誇りがうかがえる。
このほか、出征を見送る手旗や防空頭巾、海軍兵からの手紙などが展示されている。
同展は毎年開催されているが、戦後70年の節目で例年より多くの市民から寄贈・寄託があり、新たに9点が展示に加わった。
【 2015年08月15日 11時23分 】