今年生誕100年を迎えた故中山修一さん(1915~97年)による長岡京発掘のきっかけとなった未完の歴史書「乙訓郡誌」を読み解き、古寺などを訪ねる活動を京都府向日市の歴史愛好家らが行っている。乙訓郡誌は乙訓地域の通史として評価が高く、往時の寺社などの細かな描写もあり、参加者は歴史ロマンに思いをはせている。
乙訓郡誌は地理編、歴史編、文化編、史料編の4編(史料編については諸説ある)で構成。大正時代末期に編纂が計画され、大部分が完成していたが、歴史編の奈良時代前後の項目が抜けたまま、出版は見送られていた。
中山さんは奈良時代の執筆依頼を受けたことがきっかけで長岡京研究に取り組み、文献上の存在で「幻の都」とされていた長岡宮の朝堂院中門の実在を証明した。
乙訓郡誌の読解は、市文化資料館(寺戸町)を拠点に活動する「むこうまち歴史サークル」の3班が2013年から始めた。月2回行い、手書きの原稿と、それをワープロで打ち出したゲラ3080枚を見比べ、校正の役割も果たしている。
乙訓地域の城跡や古寺などについて勉強する傍ら、実地も訪ね歩く。昨年11月に京都市西京区の集会所に安置されている仏像を見に行き、今年5月には大山崎町円明寺の円明教寺を訪問。同町唯一の愛宕灯籠(あたごどうろう)を観察し、周辺に大きな家が多いことから「貴族の子孫が住んでいるのでは」などと会話を交わした。
3班班長の南橋康博さん(65)は「乙訓郡誌は難しい漢字が多く、小さな寺社まで掲載されている。行けるところはたくさんあるので今後も続けたい」と話している。
【 2015年08月02日 19時30分 】
乙訓郡誌は地理編、歴史編、文化編、史料編の4編(史料編については諸説ある)で構成。大正時代末期に編纂が計画され、大部分が完成していたが、歴史編の奈良時代前後の項目が抜けたまま、出版は見送られていた。
中山さんは奈良時代の執筆依頼を受けたことがきっかけで長岡京研究に取り組み、文献上の存在で「幻の都」とされていた長岡宮の朝堂院中門の実在を証明した。
乙訓郡誌の読解は、市文化資料館(寺戸町)を拠点に活動する「むこうまち歴史サークル」の3班が2013年から始めた。月2回行い、手書きの原稿と、それをワープロで打ち出したゲラ3080枚を見比べ、校正の役割も果たしている。
乙訓地域の城跡や古寺などについて勉強する傍ら、実地も訪ね歩く。昨年11月に京都市西京区の集会所に安置されている仏像を見に行き、今年5月には大山崎町円明寺の円明教寺を訪問。同町唯一の愛宕灯籠(あたごどうろう)を観察し、周辺に大きな家が多いことから「貴族の子孫が住んでいるのでは」などと会話を交わした。
3班班長の南橋康博さん(65)は「乙訓郡誌は難しい漢字が多く、小さな寺社まで掲載されている。行けるところはたくさんあるので今後も続けたい」と話している。
【 2015年08月02日 19時30分 】