
戦国武将の細川藤孝が勝龍寺城(京都府長岡京市勝竜寺)の城主時代に作ったとみられる書状が同市へ帰還を果たし、3日午後1時半からバンビオ1番館(同市神足2丁目)である講演会でお披露目される。書状発見の立役者となった同市在住の研究者が歴史的価値について解説。「地元の宝として、広く市民に見てもらいたい」との願いが実現する。
講演するのは、大阪市立大文学研究科教授(日本中世史)の仁木宏さん(55)。6月、京都市内の古書店のカタログで書状の出品を確認した。
長岡京市文化財保護審議会の委員を務めており「乙訓関連の物にはいつも気をつけていた」。カタログは特別の増刷版で、普段は手元に届かない代物。偶然に恵まれた。
すぐに市教育委員会へ入手を提案。現地調査を経て真物と認定され、9月に市が180万円で購入を決めた。仁木さんは「全くの新出文書。外へ流出し、埋もれてしまうのは何とかして防ぎたかった」と、やきもきした日々を振り返る。
10月下旬に納品された書状は早速、市が委託した古文書撮影専門業者「光楽堂」(京都市)の技術者が、デジタルカメラとフィルムカメラの二段構えで撮影。活用と長期保存に向け手だてを打った。
長岡京市教委生涯学習課の文化財技師・橋本貴明さん(40)は「宝の持ち腐れにはできない重責がある。今後、研究対象としても検証と評価を受けていくことになる」。既に細川藤孝ゆかりの明智光秀や細川ガラシャを主人公とするNHK大河ドラマの誘致推進協議会が発行するパンフレットへ、書状の写真掲載が決まっている。
3日の講演会は長岡京ガラシャ祭実行委員会(事務局・長岡京市)の主催。仁木さんが書状を前に、文面から浮かぶ細川藤孝と織田信長や明智光秀との関係性を解説。なお残る謎も指摘する。500円。2日までに同実行委事務局075(959)1299へ申し込む。
書状は10~12日に勝竜寺城公園(同市勝竜寺)でも無料で展示する。
■細川藤孝の書状 1572年に東寺(京都市南区)に宛てて書かれたとみられる。織田信長に領内での米徴収を許可されたが、明智光秀の依頼もあり、東寺領内の一部からは徴収しない、との内容。「勝龍寺城」や「信長」、明智光秀を指す「明十(明智十兵衛)」の文字が見られ、長岡京市文化財保護審議会は「学術的にも歴史的にも価値が高い」とする。
【 2017年11月01日 12時19分 】