編集後記
皆さんにお知らせ。月鞠の会は、この21号にて、結社としては解散し、小誌は創刊時と同様、個人誌のていに帰して継続。ご寄稿をこれまでのように受け付けます。この号で「現代説話集」をお書きの石川実さん、諸般のご事情でお休み中の佐藤元紀さんも、会員であったかたは、ご寄稿をいただければ、今後も掲載を検討します。
この変化は、私個人の事由によります。2023年の半ば頃からバセドウを病みました。現在は回復し、長年口に糊した編集校正の業務に復帰していますが、個人のペースを死守しつつ、すべきことに集中したいと思うようになりました。
そんななか、古典研究を、短大時代の恩師、出雲路修先生に師事します。やまいのために職を失い、とうてい研究どころではないというとき、私のいちばん欲しかった言葉、研究をつづけなさいとおっしゃった先生が、私のなかで、真の先生となりました。この「『定家十体』考」からご助言を頂戴しております。研究は、すでに次の著作物のための準備を始めており、その調査や、考えの途中経過を「鬼さんノート」、「鬼さん考」として公式ブログ上に示しています。
誰もが、はかないこの世を生きている。そのなかで、はかないなりに、何かの痕を、生きたしるしを、残そうとする者がある。十年ひと昔前の小誌、旧号の編集後記に、私の歌は墓標のようなものだと書きました。しかし今、研究にまことの師を得て、自分の墓標ではなく誰かの道しるべとなるような歌を詠みたいと、強く思うようになりました。
2024年、晩秋。高瀬一誌さんと母の月命日に、これを記します。
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皆さんにお知らせ。月鞠の会は、この21号にて、結社としては解散し、小誌は創刊時と同様、個人誌のていに帰して継続。ご寄稿をこれまでのように受け付けます。この号で「現代説話集」をお書きの石川実さん、諸般のご事情でお休み中の佐藤元紀さんも、会員であったかたは、ご寄稿をいただければ、今後も掲載を検討します。
この変化は、私個人の事由によります。2023年の半ば頃からバセドウを病みました。現在は回復し、長年口に糊した編集校正の業務に復帰していますが、個人のペースを死守しつつ、すべきことに集中したいと思うようになりました。
そんななか、古典研究を、短大時代の恩師、出雲路修先生に師事します。やまいのために職を失い、とうてい研究どころではないというとき、私のいちばん欲しかった言葉、研究をつづけなさいとおっしゃった先生が、私のなかで、真の先生となりました。この「『定家十体』考」からご助言を頂戴しております。研究は、すでに次の著作物のための準備を始めており、その調査や、考えの途中経過を「鬼さんノート」、「鬼さん考」として公式ブログ上に示しています。
誰もが、はかないこの世を生きている。そのなかで、はかないなりに、何かの痕を、生きたしるしを、残そうとする者がある。十年ひと昔前の小誌、旧号の編集後記に、私の歌は墓標のようなものだと書きました。しかし今、研究にまことの師を得て、自分の墓標ではなく誰かの道しるべとなるような歌を詠みたいと、強く思うようになりました。
2024年、晩秋。高瀬一誌さんと母の月命日に、これを記します。
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