歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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梨の精

2023-03-31 21:22:58 | 月鞠の会
近隣の農園にお許しをいただいて、梨の花を見学させていただきました。
私は約束を守ったのです。
そして、その匂いを嗅いで、『枕草子』に、吉川英治『三国志』に、古代中国のすぐれた詩文に通電しました。

花どきの梨の林には、いささかの殺気が漂います。
それは、私が、その果実をリキュールに漬けたときに、お産の折に嗅いだ羊水の匂いを想起したことと重なります。
それは、いのちの瀬戸際なのです。
梨の木に流れているのは、にんげんのそれのように淋巴液なのです。



曹植よ!
私は梨の精になりたい。
剣をもってわが身を抉った曹操孟徳を、祟り殺した、その梨の木になりたい。
梨の花には、殺気がある。
権力の後ろだてなくしては成立しなかった後宮の文学に賞用されずとも、私はかまわない。

農園の梨は、江戸時代からこちら、無理やり梨棚に作られてしまうけれど、梨は本来、高木なのです。

そして、古代中国の詩人は、梨の、微かに殺気を醸すその花の香りが高殿まで届くのを、気高いと感じたのでした。




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鬼さんノートその10

2023-03-15 12:07:06 | 月鞠の会
太陽光の横領事件について言えば、もろもろこうなってしまっているからには、非常に現代的な鬼さん事案なのですが、ここに、古代から中世にかけての「鬼」の逸話に扱われないファクターが、一つあります。それは、巨悪とも呼ぶべきこの種の犯罪の事案が貨幣をめぐる事案だということです。現物をまのあたりにしない数字上の取引、あらゆるものと交換可能な貨幣の抽象性。これこそ、現代的に特徴的なファクターではないか。

古代や中古の「鬼」の逸話に、このような、抽象的な貨幣をめぐる犯行は見当たるはずもありません。その一方で、「舌切雀」に見られるような、具体的な物欲を戒める説話は至るところにあります。ですので、貨幣をめぐると言わず、物欲と表現すれば、古代中古の逸話からでも、ある程度、現代のそれに比定できる素材を引き出せるのではないかと思いもするのですが……。

まず、物欲の線で、似た逸話に当たろうとしても、多分、富貴をめがけた鬼の話は、一つも見当たらないのではないか。「舌切雀」は、鬼の話ではなかったし、『日本霊異記』には、上昇志向と物欲が過ぎて、鬼に喰われる女の話があります。つまり、富貴に目が眩むのは、断然、鬼にやられるほうなのではないか。説話の「鬼」は、しばしば強盗殺人を犯しますが、私の、子ども時代の記憶の限り、富貴を求めてそうするのではありませんでした。金持ちの娘をさらって、逸脱自体を欲望し、反逆のためにそうするのでした。物欲は、鬼に喰われる側の、はかない人間だけがもったのではないか。なぜなら、古代の「鬼」は、霊性をもち、生命の超越者であったから。

馬場あき子『鬼の研究』を踏まえるとするならば、「鬼」とは、逸脱者であり、異端者であり、超越者であります。

この定義を、なかでも「超越者」である要件を、ゆるぎないものと捉えるならば、それは具体を凌駕して、オニ、カミと同様の抽象性をもつものでなければなりません。

現代の「鬼」もまた、人間や生命を超越した存在ではないか。人間がそれによって踊らされることはあっても、欲得から引き起こされる事件は、いずれも極端な逸脱であり、何ひとつ超越などしてはいません。カネをめぐる事件は、どこまでいっても人間のしわざの延長であり、ひたすら極端な逸脱でしかないのです。では、いったい、何が現代の、「鬼」なのでしょう。

私は、戦争……有事というデバイスが、現代の「鬼」の正体だと思うのです。
デバイスは、生命を超越しています。

有事という装置、戦争、枯渇や飢餓、パンデミック、大災害、破滅的な不況といった状況をデバイス……装置に見立てたとき、現代の「鬼」は、輪郭をもって見えてきます。そこに、武器と貨幣を注ぐことで、「鬼」なるもののしわざに仕上がるのです。

今が有事であるという「鬼」は、超越者として、欲得の人に取り憑くのです。そのもとは、生命などもたない、抽象の装置なのです。そして、恐ろしいことがつぎつぎと起こるのではないでしょうか。

古代の「鬼」はこのようにして、一見霊性を排除しながら、超越者として、抽象性を保ちつつ現代に生き残っているのです。

現時点、このように仮設しておきます。





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鬼さんノートその9

2023-03-14 14:17:54 | 月鞠の会
鬼さんノートを書くにあたって、私には、漠然とした不安感がありました。それは、古典の「鬼」が、多様な意味合いを含み過ぎて、そのうち、昨今のSNSの誹謗中傷に見られるような、現代人の通俗的な心象とだけわかりやすく結びつくのではなかろうかという不安でした。だとしたら、底の浅いものしか書けません。

鬼さんイコール悪意とは限らない。そこが、難しいのだ。古典の「鬼」は、もっと広いし。それでも、中世の始まりに、定家が「鬼を拉ぐ」体ととらえたところの「鬼」が、精霊のような柔弱で悪意の薄いものとは考えにくいだろう。「拉ぐ」という言葉の強さからいっても。

こんなところから定家十体に戻れる。どこでもドアが開いたように。やはり言葉は、その人の血管を通ってこそ、運ばれる。しかも、おのずから、そうであるしかないところへと運ばれるのです。

しょうもない辻褄合わせは、いらないのだ!




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鬼さんノートその7

2023-03-12 23:48:53 | 月鞠の会
道徳感情と規範について、考え中です。

死刑制度について、ほとんど考えたことがないので、結論も無いのですが、死刑が無くなったら、遺族の感情にやり場が無さすぎるだろうと、現時点では思います。そしてじつは、その一方で、たとえば私の母が、殺されて死んだとします。そして犯人がつかまり死刑になります。私がこの世にいて、あの世の母を守ってやれないのに、わたしの手の届かないあの世で、母と犯人が遭遇するかもしれないのは、とてもつらい……。犯人には、生きたまま苦しんでほしいと、私であれば、思うのですよ。

殺人は良くない。これは道徳的な規範です。死刑も、国家による殺人だから良くないとする規範意識を裏打ちするのは、これも道徳感情からでしょうか。私は、それは道徳感情の要求するところではなくて、規範に真なる命題を求めているためだと思います。

規範は、真なる命題でなければならないものなのでしょうか。
(いまここでは、冤罪の可能性を省いています。冤罪かもしれない捜査や裁判をそもそもすべきでないという別な話になってしまうので。)


戦争の場合は、どうでしょうか。

戦争にまさる反道徳は存在しないでしょう。そもそも、戦争を構想する自体、殺人道具を大量に作ったり売ったり買ったりして儲けようということですし、戦争になれば、殺人ばかりか強姦、子どもの拉致、環境破壊と環境汚染を引き起こし、人間の社会ばかりか、地球を壊します。ありとあらゆる不正がまかり通って、その禍根は何世代もに受け継がれていきます。

戦争を悪とするところ、ほとんど純粋に道徳感情であるといえましょう。





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鬼さんノートその8

2023-03-12 00:44:52 | 月鞠の会
私は思いました。自分のこころを名付ける言葉があれば、本来は守られねばならない誰かが、鬼さんにならずには済むのではないか。

日本人が、歴史的に最も好んだこころを名付ける言葉が「恋」であることは、古典の詩歌をふり返っても、間違いありません。希求するところ満たされず、やり場の無い思いや愛欲を「恋」と呼ぶことで、人々が、どれほど慰められてきたか。和歌の世界も、部立は「恋」が、いちばん手厚いのです。そして、中世の連歌において、「恋」は、男女の垣根を越えて、母恋、子恋、あるいは世間恋しさ、人恋しさといったより抽象性の高い感情を呼び表す言葉として、その意味が拡大されました。

これと同じように、弱者いじめや不正へのえも言われぬ怒り、これを道徳感情と名付けることができれば、反論が可能なのです。

反論できなければ、私たちは、ルサンチマン、やっかみ、人間性の劣化、そのような名で他人からこころを決めつけられ、御上礼賛の言論人に、黙らされてしまうのです。


道徳感情という雑駁な表現しか、まだ、見つかりません。義憤という言葉に、そのまま置き換えることはできない。なぜなら、悲しいのです。義悲という言葉を造語するのは空しい。不動明王様のお怒りは、悲しみの相でもある。私のいう、道徳感情とは、悲しみの相なのです。




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鬼さんノートその6

2023-03-11 09:54:25 | 月鞠の会
高学歴セレブ夫妻の、公金にかかる巨額横領事件の騒動で、私がとてもショックを受けたのは、そうそうたる言論人が、自分がセレブとお友達だからとこれを擁護され、大衆の道徳感情をやっかみや中傷と決めつけ、ご自身の差別心に無自覚であられることでした。事件が、実際にあるかもしれないと考えられる時点(その後起訴されました)で、被害者に一切配慮しない無神経な発言をすることでした。いずれも言論人がしてはいけないことです。

繰り返して記しますが、不正に違和感を持つ大衆が表明する道徳感情を、まとめて、セレブ生活へのやっかみや中傷と決めつけるのは、差別です。

大衆の道德感情をネグレクトし、不正へのコミットが見込まれるセレブを擁護するために、「稼ぎへのやっかみ」「ネット民の劣化」などなど、わざわざ攻撃的文言をお使いになられていることが、私には不思議です。それらの言葉は、いらなかったのではないでしょうか。

啓蒙にあたるべき言論人が、伝え方を知らない層や低所得者層を差別しておられる。

それから、私はいま、死刑制度のことを考えています。死刑制度の是非ではなくて、遺族感情、大衆の、処罰を望む感情について。これは、死刑制度によって、復讐代行を望み、遂行されれば晴らされるといったことであろうか。そんな単純なことではない気がしています。

私はこれまで、ずっと、規範は、感情の暴走を押し止めるためにあると考えてきました。私自身は、じつはそんなに強い感情の持ち主ではなくて、悩まなくとも規範の内側にすっぽり収まるほうです。規範が失われれば、勢いのある不正の、損害や圧力を被るほうになってしまう。ですので、漠然と、規範というものを信頼してきました。

それから、自分が誹謗中傷を受ける側になっても、それが事実無根のものであればあるほど、ご病気の方かもしれない、そうした方が、誹謗中傷に時間を費やされるのが、気の毒であるとさえ思ってきました。傷つけられているのは私なのに、殴り返すのは違うだろうと、心のどこかで思いました。それも、病気の人にはまず同情があってしかるべきだという、道徳感情だったと、いま思います。

規範とは、暴走する感情を押し止める装置であるとともに、道徳感情によって、あるべき姿へその実質を保たれるものではないか。

縁故主義によってあらゆる規範に解釈変更の手を加えてきた前総理大臣銃撃事件からこちらの世の中、巨悪不正の解明が、検察当局によって、進められています。なかには本当に、自身の鬱憤を晴らすために、匿名で中傷をする人もあるようだけれど、大衆の道徳感情が不正解明の後押しをするのであれば、これを押し止めたい言論人は、不正の解明を阻止するほうに、立っているといわねばなりません。



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鬼さんノートその5

2023-03-09 15:26:28 | 月鞠の会
私はいま、差別の歴史について、思いを馳せています。

本当にながいあいだ、反体制につながる貧困や被差別部落こそが犯罪温床であるかのように、私たちの世間では、とらえられてきました。しかし、そうではない。これは、私たちがあまねく主権と人権を回復するために必要な反証です。

令和と呼ばれる時代を迎えて、公金と利権を巡る犯罪が相次いでいます。ほんとうに長いあいだ、金を巡る犯罪は、食い詰めた貧乏人や被差別部落のにんげんが引き起こすとされ、孤立し、後ろ立てのない者が、ゆえに、反社会性を帯びるとされてきたのに、果たして、そうなっておりますでしょうか。全く逆の事象があるではありませんか。

高学歴を背景に、権力におもねり、不正に資金を得て、横領によって富貴を築き、お金の匂いに集まる「お友達」なる縁故によって、利害に反する言論を封殺すらしようとします。あげく、その不正を、独立する司法によって、犯罪として暴かれてしまっているのに、それでも、自分ほどえらいものはいないかのように、詭弁をふりかざします……。

学歴は、その人自身の努力がなければ、得られないもの。しかし、その使い道を間違えて、お金にばかり目が眩み、口先では立派なことを言いながら、私腹と縁故をぶくぶくと肥やしつづけて、やがて、不正連鎖の闇に堕ちていく……。まさに、これが、令和の新時代に、反社会性なるものの実態ではありませんか。

いったい、誰がこの国の戦後の平和と秩序を支えてきたのですか。この国の戦後から現代に至るまでを支えつづけてきたのは、賃金が上がらなくとも誠実に勤労し、法律を守り、国民負担の耐え難きを忍び暴動を起こすことのなかった無辜の民の、つまりは私たちの、その道徳感情ではありませんか。

それなのに、無辜の民……貧困にあっても清らかに生きてきた、普通の人々の道徳感情を軽んじ、高学歴、富裕層の不正を糾弾する声を、富裕層への妬み、ルサンチマンからの中傷行為、ゆえに反社会性を帯びると見てとる思想は、いまだに根強いのです。その証拠に、著名な言論人ですら、SNS上で、不正を糾弾する無辜の民の道徳感情を、やっかみであると決めつけます。つまり、これが、差別です。

反社会性とは……。





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