歌人・辰巳泰子の公式ブログ

2019年4月1日以降、こちらが公式ページとなります。旧の公式ホームページはプロバイダのサービスが終了します。

赤まんまの覚え歌(83~100)

2012-11-25 07:36:55 | 日常
これで百首になりました。

………………………………

厄介な深き小骨を抜くときは工夫もなにも場数こなさん

いい香り新鮮なのね貴婦人ね 母の褒めしは魚(うお)か娘か

情けないと子らの言う彼不味くない 白和えにしよ、ほっとり甘い

彼岸花に残暑したたりスーパーはもう蓮の根に値札を付けて

全部あげるだってわたしは作れるし自分のぶんは今度でもいい

現在地の背中のほうで図会の山しんと暮れゆくうすずみ色に

そうするしかなくてのぼった天辺は風次第なり鳥もわれらも

あら汁のくつくつ煮えて外の面には落ち葉に落ち葉かさなりてゆく

観音さん小さくなられ召し上がる小皿に分けた湯葉のひとひら

落ち葉には落ち葉かさなり宿いくつ数珠玉のごといのちひしめく

値引きシールに今宵大漁の心持ち飽きないように惜しむ幸せ

一夜干されてうまみの詰まるわたくしはお芋なひとと合うかもしれず

マヨネーズとソース挟んでお土産は経木八寸はみ出すぐらい

ムール貝のむきみ売られていし町はいまなお苦し白ワインほど

ねた帳に大きな文字でけちと書きあわれ飲食に糸目なかりき

すし飯の焦げを隠さん白粉よりも宝のような胡麻擂るゆうべ

ゆずり葉のひと梅煮分けくれ花火した善意にはいつも名前がなくて

赤まんま花を召しませ一椀にペガスス駆ける想いあること

………………………………

このブログに掲げているのは、長歌レシピの短歌(反歌)だけを、百首です。
長歌と反歌の百首組が、「月鞠」13号に掲載されます。
発行は年内。
皆さんのお原稿とともに、きょうから、編集の作業に移行します。
たのしみにお待ちください。

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赤まんまの覚え歌(43~82)

2012-11-24 21:30:24 | 日常
長歌レシピの短歌(反歌)だけ、残りさらに、40首。

………………………………

酒粕を焼いて食べたと母のいうその声はずむ下戸なり母は

冷蔵庫ない時代のひとが鍋を置くひんやりとした冬の足元

くしゃくしゃの新聞紙を乾かして濡らした菜をば包んで仕分け

蒟蒻はたとえばざらざらまとめ役 因果関係いわない父は

一人勝ちにしてはよくないと誰か言えり食べてもらえぬこともあります

せんせいの手はあたたかい小二生叱りすぎたる次に来ていう

電光の下に買い来し芹なれど挿しおく水になお繁りゆく

子供のころ眉の産毛を剃り落とし笑われたっけ独活って綺麗

椀のなかつかず離れずただようはわかめと独活と僕らのこころ

間に合わぬことなくてうれし少しずつ煮返してゆく朝のぬくもり

たのしきは春山菜の七変化 街は水仙咲きそろう頃

返信のバイブレーションそののちをレモンの雨が降り注ぐよう

空手空拳つくづく技もなきわれへ素直にひらかるる貝のくち

円盤や櫛の歯形やロケットがはつ夏のうえ たけのこ不思議

働いて無性に蛸を食べたがる母と暮らしている独りもの

おんかぼちゃべろべろまっかマントラの古家守れ遠い丹波の

いつのまに吾子にあなたと呼ばれいて変わらないものじゅんさいの味

あるじはうまいがひねくれ者ですと器の 底の冬瓜がささやいた

食べさせるための工夫をするまえに忙しそうな様子やめよう

水団そっくりわたしの手こねうどんよりここは機械に勝たせてやろう

牛しゃぶのスープを濾してブイヨンにマトリカリアが笑って見てた

飛行機のブーンのときの歓びをひさびさにその場しのぎのお菓子

ごんという淋しいきつねの忘れ物おいしいねって聴こえるようにね

文句タラタラ醤油たらたらさしあたり矛先の消えて忘れのご飯

まだ何か欲しい自分を片付けて具なし焼きそば一人たのしむ

熱帯夜やはりの硬さと言わせない冷たいおかずのためのひと手間

誰だってしていることを取り立てて特別ぶるから素敵なんだよ

おかあさん 地震怖いね 洪水も ご飯食べたら お布団にいこ

舶来金魚次々咲かせ朝顔の市が浮かんできょう空心菜

おさかなの骨がいやだという子にはこれが氷下魚とおだし飲ませる

天ぷらに中濃ソースが合うらしい韓流ドラマのなかにいたひと

ひとしきり夜なべのことは終うなり椿落ちゆくごとき眠りへ

還れないわかき兵士を水葬のくらげそのとき踊りしという

うしろめたい人らには疎まれるでしょわるいことなにもしない君ほど

自分にてんで要らないオプションとは何か買えばサラダに教わるごとし

果物ナイフの背がよしねっとりするどく明太子絞るその薄皮を

ああこれぞ白いご飯を甘くする教えたくない漬物レシピ

淋しいカレーぐっと華やかにしてくれた炙っていれたいか一夜干し

おかあさんはねぎらうことがうまくなくホイップクリーム泡立て始む

大事なことしゃべっちゃいけないひと日終え戻りてほっと三温糖

………………………………

ここまでで、82首。
ラスト18首は、未明のアップとなるでしょう。

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赤まんまの覚え歌(1~42)

2012-11-22 06:49:55 | 日常
アクセスありがとうございます。

更新止まってるけど、何か書いてないかなぁ~と、のぞきに来てくださる方のために、なんかちょこっと、書いておきます。

13号の、短歌だけは、いまできているぶんですと、こんな感じ。

……………………………………

ポリ袋はきっと洗って捨てるよう母の言葉に貧しくならず

きわまるところ望みに触れているようにあぶらしみいだす鳥の皮

一輪の野菊を挿しし卓上に納豆パック置きてもの書く

好きな子だけ入れて作ったハーレムの悩ましさかなポテトサラダは

人それぞれ好みのことをいうけれど物それぞれに迎えん秋は

連山の紅葉を背負い君は来ん器は黒を用意しておく

ゆかば必ず雨のゆうべも待つというありきたりの愛レモン酸っぱし

ベーコンを挟んで蒸せばいいのにと言われてしぼむミルフィーユの夢

つゆだくの豚丼を食らいかっ飛ばすライダーおりぬ誰かの歌に

焼き網が出しっぱなしになる小春 書けないときはさしあたり焼く

子育てのはざましみじみうまかりき普通の食パンとただの水

あれやこれやの具を考える終電車追いかけてきた月のはるけさ

誰のでもいじわるは捨て帰り着け年月の果てワインを開けん

濡れ落ち葉にしてから焚くのだと言えり恋の一つのありざまとして

真ん中の少しへこんだアルミ鍋かなしくて叩いたひとがいた

ひと知れず書いて小瓶に流さんか夫と呼びたきひとのあること

昆布だし利かせた水でお茶も淹れお疲れさまと遠くへも言う

痩せ我慢のあなたのようで油揚は細くなりしが肉に近づく

春菊の芯の白さが気になりていましばし言い切るをためらう

温泉に浸かったようにほぐされて冷凍だったわたしの落差

そのものを恋うるこころのやわらかさ言い切るよりは包んでいよう

吹かすほどお熱いのより冷たくはさせずにいたい恋も豆腐も

すり鉢がなくてもごまは手ですれて財布が風邪をひかないもやし

ほかでもない年の挨拶交わし過ぐエレベーターの知らない家族

手加減をしない甘さに攻めるのが黒豆殿にはよいと思えり

華やかにせんと凝らせば口つむぐむつかしい子には丁寧にいく

大つごもりもっともっととせがまれて回れ人参のかざぐるま

思い出の路地はいつでも「いかなご」と貼り出してあれ宵のあかりに

どうやって肉は焼くのと訊かれおり半紙畳んで、はらり、じゅっ

終わりてのち名残のながき恋に似てオオバギボウシ少しく苦い

飲みこみし言葉あるごと血の溜まりがらんと小さし鳥の心室

世はみどりしたたる音す伏見甘買うためにだけきょうを出でんか

節電の夏のいとまに分け合いし日曜午後のランチョンミート

星砂の三角のかど当たらずにかつ丸めずにきょうを締めよう

火を入れた空心菜はやわらかく手つなぎ玉子と消えてゆく

炭起こす たましいのどこかで ひとときを面打ちならぬ串打ちとして

あのいわゆるキューちゃんになることは黙りおく生姜醤油に胡瓜漬ければ

おかひじきシャリシャリ噛まれふとかなし大道芸人はなぜ独り

美味しいと言われてうしろめたきものサバ水煮缶でこさえたカレー

冷蔵庫あけて片すみ「出番か」と小瓶の中の柚子胡椒

逃げて来しいつかの冬のきりぎりす我らと胡瓜分け合いて死す

これを限りの食事というにあらざるを茗荷せつなく夕映えている

………………………………

ここまでで、42首。
お待ちいただいている方のために、アップしました。
お急ぎでない方は、13号にて、ごゆっくりどうぞ。

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感謝。

2012-11-18 05:20:42 | 日常
ブログの更新、止まっているのに、アクセスをいただいております。
こころより、感謝申し上げます。

おこころざしの皆さんへ宛て、書かせていただきます。

いま、長歌と反歌の、百首組制作に、取り組んでいますけれども、「いっしょにお茶を」の次の単行本が、スムーズに出されるとは、まったく考えていません。
枡野浩一さんが、レシピと短歌をと、勧めてくださったけど、出せると思って書いているわけではないです。
用意……。
そのときが来て、作品が、なければね。

さしあたり、「月鞠」13号に発表いたします。
発行、年内にできればと……。

書きなずむとき、事情の許さないとき、高瀬さんが、苦労をしておきなさいと、言ってくださっているのだと、いつのときも、そのように受け止めています。

そして、体力のあるうち、買える苦労は、買っておきたい。
体力で、買えなくなる日、必ず来るのだから。

おこころざしの皆様へは、わたしが、病気をしないでいられるよう、災難に遭わずにいられるよう、お祈りを、お願いしてかまいませんか。

どうぞよろしくお願いします。

辰巳泰子

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船場汁としめさば

2012-11-11 01:00:25 | 日常
十年ぶりぐらいに、新鮮なのが手に入ったので、十年ぶりぐらいに、しめさば、自分とこで、こしらえました。
住まいからは、干物はええ店がけっこうあるんですけど、生魚の一本買いでけるとこが、ほとんどなくて。
あっても、刺身にはでけへんで。

それでも、なんやかんや、結婚していた頃は、喜ばれるのでしめさば、しょっちゅう、こさえてました。

あれから、、、(遠い目)

きょうは、幸運でした。
わたは、お店で、速やかに取り除いてもろて、包みの上から氷にくるみ、持ち帰りました。

まず船場汁。
大阪の郷土料理。
つまりは、さばのあら汁。
一度、ゆでこぼししたので、澄んだお汁になりました。



はらすのとこを、盛り付けました。



さて、しめさば。
大阪では、「きずし」といいます。



これは、自分用。塩じめも、酢じめも、時間、短め。
まったくなまぐさくなく、さばの身から、香りがたちのぼりました。

家の人には、塩かどが取れて、酢に漬ける時間もやや長いのんを、出しました。
自分用のより、まろやかでした。

ご飯がすすむと、絶賛されてしまいました、、、

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野菊は

2012-11-10 04:13:59 | 日常
野菊は……。

一輪一輪は上を向いているのに、枝ぶりはどうして、倒れ臥すように咲くのでしょう。
秋の深まり、感じさせます。



風に揺れて。
雨に濡れて。
こんなに可憐なのに、強さがあります。

折句ライブは、あすになりました。
わたしに何が、できるだろう?

身の丈で、できることが、何かはあるとおもっています。
皆様のご来場、お待ちしております。

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芭蕉

2012-11-07 04:31:22 | 日常
もう一葉、迫力満点のとこ、アップしときます。



芭蕉の葉。
すんごく葉の大きな、南国の植物です。
葉も、生えてすぐは、きれいな形してるのですが、すぐこんなふうに、ぼろぼろになって、しかもこのように、ぼろぼろなまま、風に狂うのが、普段のさま。

松尾芭蕉は、その前の俳号を、桃青といったんですが、門人のくれた芭蕉が、野分に荒れ狂うのを見て、この芭蕉のように、風雅の道を究める決意を、固めたといいます。

わたしは、「佇む花」の、お寺の住職さんよりは、やっぱ、そっちに近いかな~、、、
目指すところ。

芭蕉は、作品だけでなく、アーティストという、これまで存在しなかった階級ごと、この世に作り出した人ですから、そのえらさも覚悟も、もちろん、よい作品を書きたいと願うばかりの、わたしのような羅漢とは、かけ離れているのですが。


芭蕉野分して盥に雨をきく夜かな    芭蕉

羅漢には羅漢の空が拡ごりて梅雨(ばいう)がのばす無花果のやう    泰子

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佇む花

2012-11-07 02:28:26 | 日常
散歩道にある、いつものお寺の門口で、撮りました。



真っ赤な鶏頭花。
この日は、鶏頭花を探しに出た日でした。
これが鶏頭花だという花に、逢いたい、逢いたいと、おもっていたのでした。

でも、この花は、花というより、じっと佇むひとのようで。
……それに、アスファルトが濡れています。
根方だけ。

撮って、なぜか胸騒ぎがし、しまってあった一葉。

しばらくして、ここのお寺のご住職が、亡くなられたとうかがいました。

夏には海芋の咲く池があり、そこには弁天様がいらして、鯉が棲み、花の寺といっていいほど、いつも花が咲いています。
そして、ご住職は、お見かけするときいつも、掃除をなさっていました。

手入れが大変だろうに、檀家やお参りの人だけでなく、一般の通行人にも開放されて。

わたしはただの通行人ですが、掃除をなさっているお姿を見かけるにつけ、ただ通るだけでも汚すのだから、少しの硬貨を、お賽銭箱に入れさせていただくことも、多かったんです。

亡くなられたとうかがい、鶏頭花の、根方が濡れていたのを思い出し、はっとしました。
花は、お寺の中に咲いたものでないのです。
門口の、アスファルトを打ち破って、自生したものでした。

それにも、水を、遣っておられたのだ。
茎が太くたくましいのは、今年限りの花で、なかったからでしょう。

ただそれだけのことですが、こころざし、また、こころばえというのは、本当に、誰に気づかれてしまうか、わからないもの。

わたしの住まいは、首都の、旧農村部にありますから、大阪弁でしゃべっていれば、大阪人のくせに、余所者のくせにと、いう人だって、ありますよ。
だけど、皆が、ではない。
それを言うひとこそが、居場所のない思いを、なさっていたりするのです。

こころざし、また、こころばえというのは、本当に、誰に気づかれてしまうか、わからないもの。

ご住職の、ご冥福を、お祈りします。

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花を呼ぶ

2012-11-06 16:54:37 | 日常
ほととぎすの花を呼んだら、窪田さんが、早速、写真を送ってくださいました。



向こうに見えているのは、鉄路でしょうか……。
鉄路なら、どストライクです。
ちがっていても、鉄路ということに、しておいてください。



お写真に、フォースがあったんでしょうか。
今夕、わたしも、こんなかわゆい、ほととぎすに逢えました。


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芙蓉花

2012-11-05 09:57:37 | 日常
ほぼ一週間前の、早朝に撮りました。家の、すぐ近所。
遅咲きもええとこ、、
芙蓉花。



つぼみ。



手ブレではなく、朝風に揺れているのです。

そして、もう、咲いていません。

きょうは、寒い、冬かというほど。
そういえば、立冬が、間近なのでした。

わたしは、秋草では、ほととぎすの花が、好きなのです。
野草のように生えますが、写真に撮れるスポットが、通勤ルートでなくなりました。
どこかで、撮れますように。

ほととぎすの花。(呼んどく)
コメント (1)
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