この百首歌は、4月頃に発行予定の主宰誌「月鞠」20号に掲載されます。
2019年から2022年3月までの作品のうち、活字媒体未発表の作品群を以下のように再構成しました。
「月鞠」20号は、特集「新古今和歌集」についての原稿整理が後れており、
読者の皆さんも、執筆陣もお待たせし、大変申し訳なく思っております。
発行時期がなお画然としませんが、ゴールデンウイークまでには、けじめをつけたいと考えております。
ご理解のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
……………………………………………………
あしたの私よ
辰巳泰子
1
新世代へ脅威刻々更新す 物思う脳(なづき)無き神、ウイルス
うちなだめうち眺めして木の梢(うれ)の折れしがごとく一生(ひとよ)の半ば
COVID-19連れてきた罪連れてきたかもしれぬ罪 列島が燃ゆ
囚われの道ながながし梅雨明けて暦は秋の直ちに立てり
中傷のなお燃えさかる秋津島 ベランダに今朝一つ落ち蝉
雪また雪のいや敷く国に通じんか かく籠められてたましい餓うる
さようなら扉(どあ) 生きてゆくほかあらざれば夜と朝とをつないで眠る
まっすぐな廊下の奥には戦争が うしろの正面 しんがたころな
サージカルマスクを着けて感謝祭 しんがたころな しんがたころな
人間魚雷「回天」となりて一直線 休業補償なき闇の底
嘘くさい有名人のおしゃべりが画面越しにも飛沫を飛ばす
打ち撒かれ弘化三年瓦版 癒す気のない予言が流行る
2
道路崩落す 環状に隧道抉りしときオオナムチ地下に眠りしものを
緊急事態が日常となり草いきれ 太陽の冠(かぶり)被されて臥す
草どちはほしいままなるありざまに揺れてぞはかな 臓腑を持たず
空襲に焼かれし戸籍謄本に金釘の祖父が遺せし俗字
体臭に通えるクミン、シナモンは若かりし父の汗の匂いぞ
善良な市民の申告に依りてCOCOA紐づく個人番号
地表にはCOVID-19のアナウンス充たされて宙宇 デブリの廻る
豪雨の予報外れて外(と)の面(も)渡るなりウーバーイーツ、鳥の血の痕
ディスプレイの四季を見飽きてみずからの育てぬものを購う市民層
無症状感染者として振る舞えと楔打たれし人びと マスク
人間(じんかん)を離人のごとく征くマスク 我に戻らん者の発狂
迷入の鯨のありざま想いつつ溽暑を歩むいつもの道の
コンクリートの堤の穴に棲まえるは翡翠(かわせみ)である 斬るごとく飛ぶ
ものの影長けゆくなかに幾たりか霊(たま)のひそみてふかぶか呼吸(いき)す
草どちはその影としも定まらずさかな提げつつ通る公園
冠雪にまみえし朝の御塔坂(おとうざか)これよりしばし夏富士にあう
錆びついた窓の格子にゼラニウム他郷にて独り棲むひとならん
温暖化ガスを巻きつつ傾きて地軸の寂し 夜店のようで
揺すられて振られて遊ぶ子らを待つ あからひく朝の線条遊具
ハンセン病についに会わずの歌の僚(とも) あなたの歌を読んでおりました
茶色くなってしまったページ繰りながらよも在らざらん人どちのかげ
男らを日の丸に殺されたれば濁流ののち永らえたまう
天蓋を衝きつつぞ死ぬな生きよかし被爆国、今生のつばめよ
弥勒倒立せしがごとくに雨の降る 飲食(おんじき)に舌鳴らす間隙
この日ごろ野分にまさる夕立のすさびに負けて寝ねがてにする
苦しとも覚えず児らは受けいれんぼろぼろの地球を弥勒天とぞ
けざやかに音立てて水の墜ちくるを天宮図えがきながら聴きおり
どうしようもないこと星に看取らせて去年(こぞ)と今年の天宮図かく
ウクライナ侵攻とそれは名付けらる 灼熱のコロナが我ら見くだす
悲しびはその昔(かみ)しかと火のたぐい 獰猛のかくてしたたる我が子
3
歳晩の八卦に虫を見ておりぬ肉の脂に湧くという虫を
いつのまにか陸(くが)へ揚がりし身のたゆさ 泳ぎてゆかな帆柱までを
「新古今集」夏歌の巻 液晶に血を吐くごとき正月二日
いつかの蹴速かくのごときか現の辻をあらざる世へと統べかえてゆく
顔の見えない悪意に遭いて寂しもよ靴を盗らるる夢までも見て
胸軋むまでの厭離は何ならん栞をはさむそこの件(くだり)に
パワハラを鏡返しの刑に処す やまとことばの不可思議の音
傷ついた狐の子こそ春の神 よく食わせよと稲荷神いう
人語の界は極域までもアスファルト 降り立ってしまった狐の子
凶事(まがごと)に充ちてひとの世 子をくわえ逃げる狐となりたり夢に
縄文のむかしに春の音ありぬ 堪えに堪えぬくこの子に響け
科なくて仕事うしなう日々の君 時代のせいにするもんかと言う
人としもけだものとしも見ゆる日よ手負いの君にゆく隘路あれ
接種痕けだるくたゆく湯を沸かし厨にふふむチキンラーメン
中年を過ぎて求めているものがなお親の愛 亡き母の愛
花の鉢おおかた壊し吾子もまた我が愛を身にあつめんとせり
放生供養 碑にあまた彫られたる食肉組合ほふりびとの名
潜水のけだものが残す輪の見事 かくのごとくに終われ祝日
おおき輪を残してありぬ 潜(かづ)きつつ何してか小さき輪も重なり来
日当たりのよきところから咲き初めつ 簀の入る伐られ白梅なれど
手洗いをまず借りるなり茶店にてビールを独り繕うごとし
侘助のうすき紅(くれない)伐られしよ この花の木が毒蛾養うと
白鶺鴒 そばに来ており物思いの優しきことを大切にせん
母亡くて無明にさがす一灯し 虫を焼ききる母でありしが
花ごろもやがて桔梗の枯れごろも巧まずあればなおきよらなり
ほどかれし誰を包みてふるさとの喫水線は闇に融けゆく
4
はるかなる恋を告げたくなる夜更け 直面(ひためん)をすら割らねばならぬ
放念という一語の果てに溜まりゆくかなしみの脂(あぶら)虹のごとしも
勇者オリオンたがうことなく昇り来よ 我は流離のまなこを持てり
若き日のあなたにいつか遭うようで星を迎えにゆく冬大路
まなうらの若かりしひと眩しくて過ちたれば神話のごとし
相応の仕打ちのあれど憎めざり なお歳月の奥へしまいぬ
直面(ひためん)の下なるおもて 打ち割ればどの色としもなくてゆうぐれ
寂しいと感じるようになるまでを寄せ鍋にいたような心地す
くさなぎの剣の行方ひもとけばいまだし光うせぬ夕暮れ
男なぎ女なぎのみずをたたえて湖(うみ)はあり目つむればはるか二月(にんがつ)
のうみ
5
厭離穢土やもめが木戸のうちらにはコーヒー立ててけむりぐさ喫う
厭離穢土さよならルシアンルーレット うそぶきて婆沙羅 いつかの少年
憂きことの一つ一つは薄荷飴 舌で濡らしてゆくオブラート
まんまるのお月さんには皺のある 恋がいのちの娘を持たず
花の無き植木鉢にはひと膚に温めてから遣る冬の水
あなたには見せぬこころのうちばかりみずみずしくて梛の葉群よ
なんとなく梅雨(ばいう)の頃でありしかな詳(つば)らかでなきは一まとめにす
電源入れて死者とつながる心地せり 朝な朝なの黒き飲み物
危うげな持ち物ならん年月(としつき)のフラッシュ・バック数珠なりにして
関東は冬晴れにして乾きたりおどけて被る麦わら帽子
底板のそうも厚くはあらぬ日々たぷんと傾(かし)ぐほほえみたれば
首都高の上なる空のあかるさと下なる暗み ひとを吐き出す
三陰交冷えしるくして病み臥せばむやみに欲しくなるものの綺羅
眠る児はいつしらに大き樹となりぬちから無くておんなの育てし樹
憂きことの根方辿ればことごとく私にちから無きことに至る
くさなぎの剣の無くて火を点す 生きとし生きてあぶらが匂う
直面(ひためん)の下なるおもて いつかは独り そのおもて提げこの世罷らん
私の育てたる樹は一本木 誰にか似るということもなく
アレルギーの薬を取りにやや戻る弥生の空は風少し吹く
年の瀬を流され雛の彼(か)はたれか いまだし遠き潮(うしお)をおもう
なんとなく真すぐを向けば顔あげよ我に乗れよと白雲が呼ぶ
三寒四温 かなしきことの癒えゆくに似てはるかなれ あしたの私よ
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2019年から2022年3月までの作品のうち、活字媒体未発表の作品群を以下のように再構成しました。
「月鞠」20号は、特集「新古今和歌集」についての原稿整理が後れており、
読者の皆さんも、執筆陣もお待たせし、大変申し訳なく思っております。
発行時期がなお画然としませんが、ゴールデンウイークまでには、けじめをつけたいと考えております。
ご理解のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
……………………………………………………
あしたの私よ
辰巳泰子
1
新世代へ脅威刻々更新す 物思う脳(なづき)無き神、ウイルス
うちなだめうち眺めして木の梢(うれ)の折れしがごとく一生(ひとよ)の半ば
COVID-19連れてきた罪連れてきたかもしれぬ罪 列島が燃ゆ
囚われの道ながながし梅雨明けて暦は秋の直ちに立てり
中傷のなお燃えさかる秋津島 ベランダに今朝一つ落ち蝉
雪また雪のいや敷く国に通じんか かく籠められてたましい餓うる
さようなら扉(どあ) 生きてゆくほかあらざれば夜と朝とをつないで眠る
まっすぐな廊下の奥には戦争が うしろの正面 しんがたころな
サージカルマスクを着けて感謝祭 しんがたころな しんがたころな
人間魚雷「回天」となりて一直線 休業補償なき闇の底
嘘くさい有名人のおしゃべりが画面越しにも飛沫を飛ばす
打ち撒かれ弘化三年瓦版 癒す気のない予言が流行る
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道路崩落す 環状に隧道抉りしときオオナムチ地下に眠りしものを
緊急事態が日常となり草いきれ 太陽の冠(かぶり)被されて臥す
草どちはほしいままなるありざまに揺れてぞはかな 臓腑を持たず
空襲に焼かれし戸籍謄本に金釘の祖父が遺せし俗字
体臭に通えるクミン、シナモンは若かりし父の汗の匂いぞ
善良な市民の申告に依りてCOCOA紐づく個人番号
地表にはCOVID-19のアナウンス充たされて宙宇 デブリの廻る
豪雨の予報外れて外(と)の面(も)渡るなりウーバーイーツ、鳥の血の痕
ディスプレイの四季を見飽きてみずからの育てぬものを購う市民層
無症状感染者として振る舞えと楔打たれし人びと マスク
人間(じんかん)を離人のごとく征くマスク 我に戻らん者の発狂
迷入の鯨のありざま想いつつ溽暑を歩むいつもの道の
コンクリートの堤の穴に棲まえるは翡翠(かわせみ)である 斬るごとく飛ぶ
ものの影長けゆくなかに幾たりか霊(たま)のひそみてふかぶか呼吸(いき)す
草どちはその影としも定まらずさかな提げつつ通る公園
冠雪にまみえし朝の御塔坂(おとうざか)これよりしばし夏富士にあう
錆びついた窓の格子にゼラニウム他郷にて独り棲むひとならん
温暖化ガスを巻きつつ傾きて地軸の寂し 夜店のようで
揺すられて振られて遊ぶ子らを待つ あからひく朝の線条遊具
ハンセン病についに会わずの歌の僚(とも) あなたの歌を読んでおりました
茶色くなってしまったページ繰りながらよも在らざらん人どちのかげ
男らを日の丸に殺されたれば濁流ののち永らえたまう
天蓋を衝きつつぞ死ぬな生きよかし被爆国、今生のつばめよ
弥勒倒立せしがごとくに雨の降る 飲食(おんじき)に舌鳴らす間隙
この日ごろ野分にまさる夕立のすさびに負けて寝ねがてにする
苦しとも覚えず児らは受けいれんぼろぼろの地球を弥勒天とぞ
けざやかに音立てて水の墜ちくるを天宮図えがきながら聴きおり
どうしようもないこと星に看取らせて去年(こぞ)と今年の天宮図かく
ウクライナ侵攻とそれは名付けらる 灼熱のコロナが我ら見くだす
悲しびはその昔(かみ)しかと火のたぐい 獰猛のかくてしたたる我が子
3
歳晩の八卦に虫を見ておりぬ肉の脂に湧くという虫を
いつのまにか陸(くが)へ揚がりし身のたゆさ 泳ぎてゆかな帆柱までを
「新古今集」夏歌の巻 液晶に血を吐くごとき正月二日
いつかの蹴速かくのごときか現の辻をあらざる世へと統べかえてゆく
顔の見えない悪意に遭いて寂しもよ靴を盗らるる夢までも見て
胸軋むまでの厭離は何ならん栞をはさむそこの件(くだり)に
パワハラを鏡返しの刑に処す やまとことばの不可思議の音
傷ついた狐の子こそ春の神 よく食わせよと稲荷神いう
人語の界は極域までもアスファルト 降り立ってしまった狐の子
凶事(まがごと)に充ちてひとの世 子をくわえ逃げる狐となりたり夢に
縄文のむかしに春の音ありぬ 堪えに堪えぬくこの子に響け
科なくて仕事うしなう日々の君 時代のせいにするもんかと言う
人としもけだものとしも見ゆる日よ手負いの君にゆく隘路あれ
接種痕けだるくたゆく湯を沸かし厨にふふむチキンラーメン
中年を過ぎて求めているものがなお親の愛 亡き母の愛
花の鉢おおかた壊し吾子もまた我が愛を身にあつめんとせり
放生供養 碑にあまた彫られたる食肉組合ほふりびとの名
潜水のけだものが残す輪の見事 かくのごとくに終われ祝日
おおき輪を残してありぬ 潜(かづ)きつつ何してか小さき輪も重なり来
日当たりのよきところから咲き初めつ 簀の入る伐られ白梅なれど
手洗いをまず借りるなり茶店にてビールを独り繕うごとし
侘助のうすき紅(くれない)伐られしよ この花の木が毒蛾養うと
白鶺鴒 そばに来ており物思いの優しきことを大切にせん
母亡くて無明にさがす一灯し 虫を焼ききる母でありしが
花ごろもやがて桔梗の枯れごろも巧まずあればなおきよらなり
ほどかれし誰を包みてふるさとの喫水線は闇に融けゆく
4
はるかなる恋を告げたくなる夜更け 直面(ひためん)をすら割らねばならぬ
放念という一語の果てに溜まりゆくかなしみの脂(あぶら)虹のごとしも
勇者オリオンたがうことなく昇り来よ 我は流離のまなこを持てり
若き日のあなたにいつか遭うようで星を迎えにゆく冬大路
まなうらの若かりしひと眩しくて過ちたれば神話のごとし
相応の仕打ちのあれど憎めざり なお歳月の奥へしまいぬ
直面(ひためん)の下なるおもて 打ち割ればどの色としもなくてゆうぐれ
寂しいと感じるようになるまでを寄せ鍋にいたような心地す
くさなぎの剣の行方ひもとけばいまだし光うせぬ夕暮れ
男なぎ女なぎのみずをたたえて湖(うみ)はあり目つむればはるか二月(にんがつ)
のうみ
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厭離穢土やもめが木戸のうちらにはコーヒー立ててけむりぐさ喫う
厭離穢土さよならルシアンルーレット うそぶきて婆沙羅 いつかの少年
憂きことの一つ一つは薄荷飴 舌で濡らしてゆくオブラート
まんまるのお月さんには皺のある 恋がいのちの娘を持たず
花の無き植木鉢にはひと膚に温めてから遣る冬の水
あなたには見せぬこころのうちばかりみずみずしくて梛の葉群よ
なんとなく梅雨(ばいう)の頃でありしかな詳(つば)らかでなきは一まとめにす
電源入れて死者とつながる心地せり 朝な朝なの黒き飲み物
危うげな持ち物ならん年月(としつき)のフラッシュ・バック数珠なりにして
関東は冬晴れにして乾きたりおどけて被る麦わら帽子
底板のそうも厚くはあらぬ日々たぷんと傾(かし)ぐほほえみたれば
首都高の上なる空のあかるさと下なる暗み ひとを吐き出す
三陰交冷えしるくして病み臥せばむやみに欲しくなるものの綺羅
眠る児はいつしらに大き樹となりぬちから無くておんなの育てし樹
憂きことの根方辿ればことごとく私にちから無きことに至る
くさなぎの剣の無くて火を点す 生きとし生きてあぶらが匂う
直面(ひためん)の下なるおもて いつかは独り そのおもて提げこの世罷らん
私の育てたる樹は一本木 誰にか似るということもなく
アレルギーの薬を取りにやや戻る弥生の空は風少し吹く
年の瀬を流され雛の彼(か)はたれか いまだし遠き潮(うしお)をおもう
なんとなく真すぐを向けば顔あげよ我に乗れよと白雲が呼ぶ
三寒四温 かなしきことの癒えゆくに似てはるかなれ あしたの私よ
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