とりかかれるところから、とりかかっておきますね。
この蓄積で、まとまったものになっていくので……。
百首歌「『ホテルカリフォルニア』を聴きながら」(仮題)は、Twitterで非公開ライブになるかもです。
ならないかもだけれど……。
野次馬さんは、弾きたいので、怪しいひとの新規フォローは、一度ブロックしてからブロックを取り消すというやり方で、フォローを外していくかもしれません。
いろいろあったので、ご新規をいったん疑いますが、お許しください。
百首歌ライブ、かつて、さんざんやりましたね。
ずっと追っかけてくれているひと、ありがとうございます。
Twitterは140字なので、長歌で百首歌ライブをしたときだけは、困ったわ。
「赤まんまの覚え歌」ですけれど、いまは公開していません。
人生で、あと1冊しか歌集を持てないとすれば、「赤まんまの覚え歌」をリリースしたい……。
「赤まんまの覚え歌」は、長歌で料理レシピを書き、反歌でまとめたものです。
さて、「鬼さんノート」、つづきです。
日本文学として高く評価されている梅原猛『水底の歌』は、日本史学では否定されているんですね。
おなじ手法であれば、創作物としてあるべきではないですか。
そして、創作物でも、『平家物語』などは、史料価値の高いものです。
自分の古典研究は、必ずしも壮大である必要はなく、若い人がそうだなぁと思って、次の世代へつないでくれていいものにしたいです。
やはり、一つ一つのエピソードを身近にとらえられるように、部立の設計された『鬼の研究』が、私の手本です。
梅原学への批判を知ることで、自分の立つべきところが見えてくるかもしれません。
私が梅原学の影響を受けていないかといえば、とっても根深く受けている。たとえば、自分が書きつけている「鬼さんノート」には、怨霊観、鎮護国家思想もまた視野に入ってくるのですが、梅原学では、法隆寺の建立からになります。梅原学を疑った場合、天満宮の建立。歌人、菅原道真からということになります。この違いは大きいぞ……。
私が学んだ若き日には、梅原学を日本史的にも疑わず、文士諸士から、教わることが多かった。日本史的な視座を、必ず持っておきたい。
いまいえることとしては、昭和時代の文芸研究のメインストリームは、近代をいったん否定するところから始まっている。それは、太平洋戦争につながっていった、近代思想の悪弊ともいうべきものへの、アンチテーゼでもありました。
そこで、梅原学は大きな意味を持ったと認識しています。
と、ここでいったん投稿しておきます。
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