仕事というものは、生き甲斐と成るほど人にとって大切なものである。そのことに異論のある人はいないだろう。
仕事第一は、真っ当で正しい生き方だと思う。運良く生き甲斐になるほどの仕事に就いて、めでたく定年を迎えた人は、幸運を慶ぶべきである。
だが「仕事を罷めたら何も残らない人」に成ることは、賛成致しかねる。人の人生は、仕事だけのためにあるのではない。
「仕事人間」という言葉は、決して褒め言葉でなく、無趣味・無感動・無関心、三無の寂しい人生を感じさせる。
その人ならではの、活き活きとした活動が仕事の対極にあってこそ、全人的に均衡がとれるのではないかと思う。一生を賭けた仕事があって、その対極に、自分が集中できる為事をもっているのが望ましい。
仕事の対極にある為事には、俗に趣味とか道楽と言われるものや、ボランティア活動、中には調査や研究の活動もあるだろう。
釣りに凝って、家が一軒建つほど釣り道具にお金をかけた知人を知っているが、彼にとって、釣りと仕事は同等に重要で、同格だったと見てよいと思う。それで家庭と仕事に何ら悪影響を及ぼさなければ、仕事の対極にある為事だったと言えるだろう。
私は昭和の時代の単身赴任という勤務形態を、日本だけの特異な働き方と受け止め、長く疑問に思っていた。
人間と言うものは「住めば都」の言葉どおり、住んで居る地域に馴染むものである。住んだ土地の風物と人情に親近感を覚え、愛着を感じるようになるのが普通である。人の生活の側から見れば、勤務地は生活の拠点である。
企業が従業員に転勤を発令すると、その人の子どもがまだ幼いうちは、妻子を伴って勤務地に移動する。子どもが中・高生の場合は、従業員の家庭の事情で、本人が単身赴任を選ぶのが一般的である。社会がそれを選ばせるのである。妻子と離れて暮らす会社員は、昭和から平成にかけての時代には当たり前のように居た。令和の今はどうだろう?
その時代の企業社会は、それを人性を無視した過酷労働とは見ていなかった。また働く側の従業員も、そのように自覚してはいなかった。
家族と離れた単身赴任者の生活習慣の乱れは、彼の心身を傷め、それが退職後に顕在化することもあるのだが・・・
そもそも夫婦というものは、何年も離れて別居生活をするようには出来ていない。親子・兄弟関係とは違う。
人間性に理解の深い欧米社会では、単身赴任というものは考えられないだろう。仕事のために家族と離れて暮らすなら、会社を辞めるか、離婚を選ぶかのどちらかではないか?
企業が従業員に単身赴任を強制するのでなく、日本の社会、家族関係が単身赴任を招いて来たのである。
日本の企業の論理からすれば、単身赴任は何ら不都合ではないが、人間の本性からすると不自然極まりなく、企業・従業員共に、結婚生活・家庭生活の意義を重視していない。
たとえそれが従業員の希望であっても、企業は単身赴任を認めるべきでない。
人間は理ばかりで生きる生き物ではない。情の部分が満たされなければ、長い目で見れば勤労意欲を失い、心身の健康を損なう。
資本主義下の企業の活動は、多様な投資と事業拠点の展開で成り立っている。資本は利潤を求めて国内はもとより世界中を駆け巡る。日本企業の事業拠点や投資先は地球規模に及んでいる。しかるべき人材を拠点や投資先に配置するのは、資本の本質からすれば当然の理である。その当然の理が、時には従業員の心身の健康を蝕むことがある。
かつては、企業の従業員に任地の異動は付き物だった。昭和の企業戦士は、辞令一本で家族と離れ、単身職場に赴き、長ければ10年を超える勤務も稀ではなかった。
単身赴任は、戦前の軍国主義時代の、戦地に赴く兵士の像と重なる。
父祖たちが受忍したことを、その子孫たちが堪えられない筈はないと、戦後の高度成長期の日本企業は見ていたのだろう。従軍体験のある経営者・社員が多数派の時代である。日本の企業社会で、単身赴任を拒否して会社を辞めたという話は、ついぞ聞いたことがない。家族持ち従業員の単身赴任は、父祖伝来の受忍義務でもあった。
好んで単身赴任を選ぶ人はいない。拒否すれば「代わりは幾らでも居る」との恫喝が待っていることを知っているから従うのである。従業員という日本語は業に従うもので、反論は許されない。
仕事のために、夫婦や家族が離れて暮らすのは不自然という考え方が一般化するのは、平成の時代以降のものだろう。単身赴任を厭う人たちが現れ始めたのである。当たり前のことを、漸く社会が認知するようになった。
企業人なら単身赴任は当然という常識は、戦前の忠君奉国思想に一脈通じるものであったのだ。
私が社会に出た頃は、昭和の高度成長期の入り口で、会社あっての、仕事あっての家庭・家族という考え方が世の中を支配していた。新入社員の教育期間中、幾度となくそれを言い聞かされた。
そんなことは会社の言い分で、無理を言ってはいけないと、私は内心思っていた。家庭はかけがえのない代替不可能なものだが、仕事・会社は世の中に無数にあり、勤務先は選択が可能、代替は可能というか当然なのである。お店奉公の時代ではない。
そのように考えられないから、世に知られた有力企業に居たいから、単身赴任が当たり前の社会になったのだろう。
仕事に就くことは人として必要不可欠であるが、仕事にもいろいろある。世の中は理想どおりにゆくとは限らない。最適な仕事に就ける確率は極めて低い。
当時のアメリカ人は、A職務の内容とB上司の資質を見て、就職先を決めると言われていた。資本主義が高度になればそうなるのがもっともである。A&Bを満す勤務先となると、数は激減する。
畢竟佳い仕事とは、先ず自分に欣びがあり、その結果として他者に欣びが波及する仕事ということになるのではないか?
だが佳い仕事に就けたとしても、それに安住はできない。仕事というものは競争がついて回る。
他社との競合、社内での競争、優勝劣敗は世の常である。また社会構造の変化・技術革新等に因り、生き甲斐を感じていた仕事そのものが消滅することすら現実にはある。
万一そのような事態に遭遇したとき、生き甲斐である仕事を失った時のことを、人は職に在る間に考えておくべきであろう。仕事一辺倒では、それを考える余裕はない。
私は常々人の人生は、仕事が半分、仕事以外の為事が半分というのが望ましいと考えてきた。為事は趣味ばかりではない。ボランティア活動や、調査・研究活動もあるだろう。
定年で仕事を罷めた後に、仕事並みに集中できる為事があることは、平均余命の延びた現代人にとって、極めて大切なことである。
私に言わせれば、日本人には仕事と為事が5:5は難しい。良くて6:4だろう。
私たちは一般に、人と違うことをするのが苦手である。その人ならではの、独特の個性的な為事をもつのは稀だった。ここにも私たちに顕著な他人志向・同調性・共同性が顕れている。
仕事と為事の均衡をとる生き方は、旧い時代のお家大事、仕事第一主義を否定するものである。仕事以外に生き甲斐がある事を認めることが大切である。
仕事に従事できる期間は有限だが、為事は命ある限り続けられる。
趣味やボランティア、調査・研究は千差万別、佳い為事を見つけ、その人独特の世界を切り拓けば、十分に仕事に対置できるものになるだろう。
人間の命は、得るも失うも人為の埒外、人には仕事以外に大切なものがあって良い。天命の半分は仕事であるが、残りの半分も天命の内にある。
どれほど仕事に精励しようが心血を注ごうが、時には仕事の方で人を見放すこともある。社会の変化、産業構造・事業環境の変化は、仕事への強い一体感も愛着も一切許さない非情さで、個人から仕事を奪うことがある。経済活動というものは、個人の生き甲斐に斟酌しない。
仕事の成否は努力と精励だけで解決していける問題ではない。私たちは、個人が時代に、社会に、幸運に見放された例を数限りなく知っている。当人たちは、仕事に生き甲斐を感じ、真面目に精勤していたのだが・・・
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