リスの棲む公園に植えられている数本のしだれ桜が今盛りだ。あまり人に知られていない公園のためか、花の華麗さとはうらはらに観賞する人もなくひっそりとしている。
数年前に同じ公園内の別の場所で、2、3本のしだれ桜の樹の枝が剪られたことがあった。 しだれ桜の枝を剪るとは言語道断だが、故意ではなくそれと知らないで剪ってしまったらしい。それ以来枝を剪らないよう注意する看板が樹ごとに設置されている。
幸運にも剪定の憂き目に遭わなかった幾本かの桜の枝は順調に伸び、美しい花をつけ地上すれすれまで垂れ下がっている。いずれはしだれ桜の名所になるだろう。
こんなことを書くと、人は私がしだれ桜の愛好者と思うかも知れないが、どっこいこれが全然好きでない。これまでに角館、身延山、京都丸山公園など、各地の有名なしだれ桜を観てきたが、華やかさばかりで、あらゆる花のもつ儚さの風情が伝わってこない。もうひとつの理由は、樹木というもの本来の、光を求めて空に向かって伸びるべき枝が、逆方向に向かって垂れる不自然さにある。
だいたい「垂れる」という字面は、中高年には最も忌まわしい禁句で、男性なら誰でもおぞましさと不快感を覚えるはず・・・。好きになれない。
兎に角枝垂れ桜には、どこか人間の作為が強く感じられ、人工にあまり価値を措かない私には馴染まないのだろう。
枝垂れ嫌いの私と正反対なのがつれあい。梅、桜その他なんでも枝が垂れて豪奢に花を付ける花木を観るのを好む。とりわけしだれ桜はそれを眺めて見飽きることがない。そんな事情で、私は嫌々ながら毎年しだれ桜を観ている。
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