道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

「同」というバイアス圧

2022年11月27日 | 随想
日本の社会には「同調圧力」という心理的なバイアスがかかっていると言われている。同質・協調を何にも増して大切にする空気が集団内に瀰漫している。
思い付くままに挙げてみると、「同」を冠する言葉の多いことに愕く。
同級・同窓・同期・同郷・同年・同胞・同根・同人・同心・同調・同族・同系・同腹・同感・同意・同行・同好・同類・同情・・・
馬方みたいに、毎日「ドウドウ」を口にしていなければならない。
「同」でなければいっときも安心できないと思っているのではないかと憶測したくなるほどに、日本語には「同」を冠する語が多い。同を重視しているのである。

対義語の「異」となると、ずっと少なく、社会的な違和感や忌避感が感じられる。私たちの社会は、古くからドアに反する「異」を忌み嫌って来たようだ。
異国・異人・異相・異端・異質・異類・異形・異教・・・
どう考えても好もしく思われていない。

「異」を好むこと並大抵でない「天邪鬼」のやつがれ、若い頃から、「同」を押し付ける社会的圧力には辟易させられ、反発もして来た。個を蔑ろにし「同」しか理解に値いしないという狭量には、今も馴染めない。

「異」には驚きがあり、発見があり、惹きつけて止まない未知の何かがある。それが、探究や考察を誘う。「同」には新規に好奇心を掻き立てるものはない。

変化を好む気質に生まれついたのが身の不運、自分を偽って「同化」しようなどとは豪も思わずやって来れたのは、異に寛容性をもつ少数の理解者たちのおかげに尽きる。

私ごとで恐縮だが、半世紀以上連れ添った妻とは、同じ町内で育ち、幼稚園も小中校も同じ2歳違い。幼馴染かというとそうではない。
小学生の頃に彼女の家の前を通ると、外で仲間たちと遊んでいた彼女の容貌が、その仲間たちとやや異なって見え、怖いのでなるべく近づかないようにしていた。その頃は、老生も、天邪鬼でないナイーブで素直な少年だった。
後に成人し「異」を好むようになって偶然出会ったら、異は個性的という範疇に入っていて怖さも消えていたので惹かれ、交際するようになった。

例によって素人の考えだが、一般的に生物は、遺伝的により遠い者同士の生殖が種の繁栄をもたらすらしい。それが正しそうなことを,私たちは経験的に知っている。
「同」を求めるより「異」を求めるのが、自然の法則には適っていると見て間違いないだろう。

同を集めてこねくり回していても何も新しいものは生まれない。合金を見ればわかるが、僅かな異金属が混ざることで、新たな特性の合金が生まれる。半導体も、僅かな異物の混入から生まれた。科学はその始まりから異を探究して来た。

となると、「同」を何よりも重視する社会のこの偏りは、科学的には不自然であり異状である。原生の私たちの祖先が生来具えていたものでは無さそうだ。
きっと旧い時代に、大陸の何処かの国の食客や学者たちの、誤った政治観念や統治思想を大真面目に学んだ結果染みついた、習癖のひとつと推定できそうだ。

習癖というものは莫迦にならない。自己主張を控えることに馴れて習性になると、それは子から孫へと連綿と受け継がれ、代を累ねるうちに強固になり、殆ど性癖と変わらなくなってしまう。
このあたりで「同」偏重の習癖を直しておかないと、グローバル化と多様性重視の時代を生きる子孫たちに、禍根を遺すことになるのではないかと、危ぶんでいる。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (etegami0101)
2022-11-27 09:08:17
こんにちは😃
私もなんとなく自分の中にある
「異」を感じていることを、知り
ました。
確かに「異」は少数のように感じ、あまり表に出さず生きて来たように思えます。
このトシになり、自分でも受け入れられるようになったような気もします。
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Unknown (tekedon638)
2022-11-27 11:56:04
いつも有難うございます。
異と同が均衡するのが好いと思うのですが・・・
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