道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

ソバーキュリズム(Sobercurism)からの帰還

2024年03月08日 | 随想
私のオッチョコチョイ・新しがり屋
は老いても熄まず、家族の迷惑の種になっている。
「ソバーキュリアスSober Curious」という考え方に興味を抱き、酒好きの私にも、素面(しらふ)の夕べ酔わない生活が可能なものかどうか、早速実践に取り掛かったのは昨年の7月だった。
1年半のソバキュリアン生活を実体験した後の今年の2月、考えが纏まり、飲酒を再開した。酔わない飲酒が可能と踏んだのである。

意外なことに、お酒を已めるのは、想像していたよりも簡単だった。常習飲酒といわれる晩酌の習慣を断つのは、何の支障も無かった。飲酒習慣が惰性であることを慥かめさせてくれたことは、Sobercurism の提唱者に深く感謝している。生活の中から酒を取り除くことは、それまで想っていたより簡単だった。

酔わない生活というものは、私に多くの好い結果をもたらした。酔っている時間が生活から消えると、ダラダラと時間を過ごさないので、
①なすべき為事が速くなる
夕食の時間も短くなる
③酒肴を用意しなくて済む
妻から見ると好いことずくめである。ソバーキュリアスは、私の多年にわたる飲酒の惰性=飲酒癖を粉砕した。存外ラクに飲酒癖を脱却できたことに愕いている。

飲み友達との集まりでお酒を勧められても、ノンアルコールビールで済ますことに苦痛はなかった。勿論家呑みはスッパリ絶ったが、それによってストレスを感じることもなかった。

飲酒の惰性と手を切ってみると、それを一定のコントロール下に置くべきものだったことがよくわかってきた。どんな銘醸酒でもアルコールは所詮薬物、量を過ごせば害が顕れる。意思の管理下に置くべきものだったのである。

食欲が減退する傾向にある高齢者にとって、飲酒は食事を楽しむ為に欠かせないものである。一年半の断酒体験で、味覚を増幅する醸造酒の役割りは、他の何ものにも変え難いことが明らかになった。
そうと分かれば、以前の飲酒癖、すなわち惰性の飲酒嗜好を避けながら、一定のコントロールの下で旨い酒と食事を楽しむ流儀を作るしかない。酔うための飲酒でなく、美味しく食べるための飲酒こそ、老人に相応しい。

お酒を飲んで酔わない生活を保つ、つまり素面に近い状態を保とうとするには、酒量制限すなわち酒量頻度に制限をかけることが必要である。惰性で酒を飲む嗜癖を断ち、飲酒量をコントロールできれば、美味しい食事を楽しむことができるはず。

私の場合、一回当たりの飲酒限度量は日本酒1合(180cc)まで、ワインならグラス1杯(125cc)まで、ビール中瓶1本までが適量。飲酒頻度は、飲酒日の間隔を中3日以上空けるのが適当のようである。
酒量制限を維持するには、何よりも惰性の常習飲酒(晩酌)と訣別する意志が肝腎である

お酒の無い生活で失なわれていたものは、食べ物の味覚が減衰することに尽きる。
当ブログでも累ねて書いているが、醸造酒と食べ物とは、互いを高め合う相乗効果がある。食べ物を美味しく食べるには、一緒に飲むお酒に勝るものはなく、また同時に食べ物がお酒の旨さを引き立てる。

和食には日本酒、洋風食にはワインを飲むのが常だが、どちらもより度数の低いビールで代替するのは自ら推奨している。5%のアルコール濃度は、酔わない飲酒の頼り甲斐ある味方である。今や私は、紛う方なき隠れソバキュリアンである。



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