高齢者は毎日が危機に晒されています。発病と事故に遭う確率は、加齢に比例して高まる一方です。無病に恵まれたとしても、僥倖に感謝はすれ、明日のことは分かりません。
転倒による怪我や誤嚥・生活習慣病・高齢者疾患という内因性の病気、インフルエンザ・新型コロナ・O-157など、感染症や放射線被曝による外因性の病気等々、数え上げればキリがありません。
それに加えて、運転能力の低下に伴う自動車事故。高齢者の運転エラーは、いつ起こっても当たり前と心得ておかねばなりません。自分の運転エラーで加害者になる確率は高くなる一方ですが、他の高齢者の運転エラーによって被害を被る確率も、軽微な物損を含めると相手の数が多いだけに、加害のリスクとは比較にならないほど高いのです。
総理お得意の俯瞰的な目で観るなら、高齢ドライバーは、ハンドルを握って天下の公道で、互いに無意識に一騎打ちをしているようなもの。事故に至らないのは、紙一重の差を、幸運と交通規則が切り抜けさせていてくれるからでしょう。
高齢者の運転する車は、常に事故の危険を孕んでいます。リスクを予見できないことは、既に運転不適格に陥っている証左でしょう。予見能力は適格検査でチェックできない項目です。ハンドルを握る老人は、自分が突然無法者になる可能性を秘めていることを惧れなければならないのですが・・・
余談になりますが、勝海舟は江戸本所の男谷道場で、師範代の島田虎之助について剣術を修業し、直心影流の免許を得た剣客でした。しかし彼は自らの刀の鍔を下緒で縛り、抜刀できないようにしていたそうです。生涯、刃傷沙汰とは無縁の人でした。心がけというか、発想が若いときから非凡な人でした。
高齢者は、運転を免許されている身であっても、自発的にハンドルを握らない心構えが必要かもしれません。人身事故を起こしたら、自身ばかりか、子弟・眷属までもが苦悩の淵に沈みます。
元工業技術院の院長が惹起した事故は、加害者の事故後の発言には、正常な認識を疑わせるものがありました。
本人の不注意で、幸せな家庭が一瞬で消滅してしまったのです。
あの高齢で、脚に故障がありながらハンドルを握る慢心は、若い時からのものでしょうか?高齢に因るものでしょうか?当人に自己の運転能力への省察が皆無だったことは明らかです。つまり省察なき人間は、必ず見切りどきを失うのです。それは、脳が正常な認知機能を失っているからでしょう。
自分の運転に不安を感じるのは、脳が正常に機能している証拠です。その時が見切りどきで、運転をやめるべきです。事件は全ての高齢運転者にとって、他人事ではありません。
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