道々の枝折

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戦争の変化

2022年03月30日 | 人文考察
太平洋戦争の最中に生まれ、空襲の度に親たちと防空壕に避難した乳児期を体験している私は、物心ついて以後、戦争のニュースに触れない年は殆ど無かったように記憶している。

朝鮮戦争・インドシナ戦争・アルジェリア独立戦争・中東戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争。シリア・ヨルダン・パレスチナ・ユーゴスラビアなどでも内戦や紛争が続いた。

2000年に入って、「戦争の世紀」との縁を絶ち切れるかと思ったら、早々とアフガン紛争が勃発した。
グルジア ・チェチェン・アルメニアと紛争は続き、とうとう今日、歴史的なロシアのウクライナ侵攻を目の当たりにしている。人類が平和な世界を実現することは許されないことなのだろうか?

それにつけても、戦争が勃発する度に、戦争の態様が著しく変化していることには、愕く外はない。
前大戦後、テクノロジーの進歩の急速化は眼を見張るばかり。取り分け電子工学の分野が急加速したのだから当然だが、兵器が進化し、戦術が変わり、戦略が根本的に見直される。凡ゆる自然科学分野の研究開発組織が動員され、実験をするかのように、戦争・動乱の都度革新的な作戦が展開されて来た。

それと対照的に、人間の知恵は先史時代からさほど進歩していない。近代になって戦争が繰り返されて来たことを思うと、人を駆り立てる戦争への暗い情念の本源というものの正体を想わずにはいられない。

2003年のイラク戦争の時、私たちは多国籍軍の巡航ミサイル攻撃の威力と空爆の凄まじさを映し出すテレビに釘付けになった。
当時世界最強と見られていたイラク軍の戦車部隊が壊滅し、戦闘がたった3日で終了するのは、夢にも考えられない現実だった。

戦争の指揮命令系統のトップをも衛星監視で直接攻撃できる時代の到来に、私は愚かにも地球上から戦争はなくなると信じた。しかしそれは早計で、予想に反して戦争は無くならなかった。戦争の指導者を抹殺しても、国民国家が存続する限り、権力の更新は途絶えることはなく、戦争を企図する指導者は絶えない。

今回プーチン大統領は、あのイラク戦争時の多国籍軍の完全勝利に近い、短期間でのウクライナ制圧を確信していたに違いない。当時とは異なる新たな兵器・戦術・戦略の時代への移行は、ひとりプーチン大統領ばかりかその作戦参謀や前線の将兵も、いや世界中の人々が予想できなかった。

今回のウクライナの戦争は、地上戦の主役の座が、戦車でも火砲でもなく、地対地・地対空ロケットやミサイル、そして折りたたみドローンなどを携行して自在に出没する歩兵に移っていることを如実に教えてくれた。
今や歩兵の攻撃目標は敵の歩兵ではなく、戦車・装甲車から攻撃ヘリコプターや戦闘機にまで及んでいる。

歩兵の英語はinfantryで、その語源は「子ども(infant英)と大差ない若い徒歩兵」の意の(infante伊)だという。
歩兵は近代戦では長い間、専門性の低い兵科だった。日本語で謂うならさしずめ兵は徒士足軽・士官は徒士侍というところである。明治まで騎兵の存在しなかった日本では、陸戦の主役は専ら歩兵だった。「御徒(おかち)」「徒(かち)組」という言葉は武士身分の歩卒である。

西洋に倣って真っ先に農民・町人から成る徴募兵を訓練して近代歩兵に仕立てたのは長州の高杉晋作だった。彼の創設した奇兵隊は、第二次長州征伐で、幕軍の武士歩兵よりも高い戦闘能力を発揮した。西南戦争でも、調練を受けた政府軍の歩兵は、薩軍歩兵を凌駕した。明治の歩兵の活躍に対する意外性信頼性が、旧帝国陸軍の近代化・機動化を遅らせた面があることは否定できない。

今日では歩兵はIT・通信・爆破・射撃に精通し、機動車両・誘導兵器・暗視装置やIT機器を駆使する、極めてスキルの高い専門性と多能性を有する兵科に進化した。携行火器は小銃・機関銃・手榴弾だけという、20世紀までの単なる徒歩兵(infantry)は、全く過去のものになった。




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