人の能力というものは多様で、各人各様、その人ならではの性能をもっている。誰もが、何かしらの能力に恵まれて生まれて来るということは、洵に心強いものがある。
人一般に共通する基本的な性能は、集中力と分散力に分かれる。このふたつの相対する性能の高低とバランスが、学び事や仕事の成果に影響する。
簡単に説明すると、集中力は理系能力、分散力は文系能力に直結している。
しかし、この2つの性能とは次元の異なる、最も大切で希少な性能というものがある。耳慣れないだろうが、統合力という性能である。この性能を備えている人は極めて稀である。
図で説明すると、このような関係である。
統合力
(高次の性能)
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集中力 ↔︎ 分散力
(基本の性能)
物事は、多様な事物の存在する全体像を掴むことと、個々の事物をより詳細に見究めることの両方が大切である。しかる後に、それらを統合整理することで、物事の実相が理解できるたことになる。
調査とか研究、分析や解析という仕事には集中力が、計画とか設計とか創作というアイデアを生む仕事には、分散力が必要である。
日本ではこれまで長く、集中力こそが人の社会的有用性を決める最重要の性能と考えられていた時代があった。
企業社会でも、戦後の高度経済成長期以降の、旧い価値観での社員採用の基準は集中力だった。その後社会が多様化すると共に革新のテンポが速くなるに従い、分散力の重要性に社会の目が届くようになった。
英語にはGeneralと謂う多様性を内包する概念をもつ語がある。その数多くある意味の中に、統合という訳語がある。軍事では将という意味になる。
Generalは明らかにCommander(指揮官)の意味を超え、より上位の能力を示す概念である。
実際に集中と分散という背反する能力を併せ持ち、巧みにそれらを使い分けながら統合の性能を発揮できる人が、将たるに相応しい。
将は軍人の中でも極めて数は少なく、エリート中のエリートである。
戦争というものは、結果がハッキリ出るから、司令官の能力は最も重要だ。
敗戦前の日本軍の陸軍大学・海軍兵学校は秀才の集まるところで、学力を最優先する軍人養成機関だったが、統合性を重視する段階には進んでいなかった。学力で測れるのは集中力だけなので、日本の大将たちの学力は優れていたが、統合力があったかどうかはわからない。悲しいかな、軍隊運用で欧米に200年の遅れがあったので、分散力、統合力への理解を欠いていたのではないかと思う。
日本の大将が、米軍のGeneralと同等同質の能力だったかどうかの検証は難しいが、南方島嶼での戦闘経過やミッドウェー海戦以降の海軍の敗北など、結果から見れば彼我の司令官の能力に、統合力が欠けていた可能性は払拭できない。
物事を上手く進めるには、対象をしっかり見究めなければならない。対象は多いに越したことはない。見究めたもの同士が最適に機能するよう整然と構築することが統合である。複雑にしてしまうのは、統合力が乏しい証拠で、失敗の因である。
個々の事物の全体の様相を掴むのが分散力、個々の事物のひとつを選び出して深く分析・解析するのが集中力。人は分散と集中という背反する性能を併せ持つことが望ましい。分析・解析された多くのものを最適に構築するには、更にその上の統合の才能が不可欠である。これはいつの時代にも変わらない真理である。
早くからこの統合力の重要性に気づいていたのは、やはり科学的思考の先進国、欧米諸国である。
彼らは、Professionalを知りLiberalを知り、Generalを弁えていた。
私たち日本人には、彼らと接触するまで全く知られていなかった能力の分別、認識である。
明治の使節団や留学生たちは、ここを見落とし、先進知識の習得にばかり集中した。見落としていたものを見据え、私たちの能力理解を教条的なものから合理的なものに改めなければ、近い将来、国際的な競争に後れをとることになるのは避けられないだろう。
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