人が右顧左眄する習性は、常に最善の選択を求めるからである。
初等・中等教育の過程で、選択肢の中から正解を選ぶ訓練・試験を受け続けた結果である。
多くの知識を、限られた期間内で網羅的に生徒に詰め込もうとすると、教育現場は、評価判定の困難な記述式の問題よりも、標準化された択一問題のテストで対処するようになる。理解や推理よりも、記憶と認識に重きを置かざるを得ない。
そのような学習・考査に慣らされた生徒は、与えられた設問の最適解をなるべく早く選択する習性が身につく。戦後の学校教育を受けた私たちは皆、その傾向を共有している。
一方で優柔不断な性格というものがある。これは端的にいうと欲が深くて決断できないのである。常に最善を勝ち取ろうとするから、なかなか決められない。
程々で良いという潔さがないのである。優柔不断な人は、主体性と決断力を持ち合わせていない。その人は較べて選ぶ人である。
こういう人々は、パニクると妄動する。拙速な答えしか出ない。
熟慮という言葉は、口で言うほど易しいことではない。
コロナウイルスの蔓延に対する対策は、成功とも失敗とも言えない。
前例の無い事態への対応処理というものは、実行してみないと分からない。つまり確率50%の成功率しか期待できない。したがってコロナ対策の結果は、各国似たり寄ったりである。
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