今日私たちは、FB・Twitter(X)・YouTube・Instagramなど、SNSと呼ばれる膨大な情報の大河に取り囲まれて暮らしている。これをスキマ時間に閲覧していると、つい引き込まれ、気がつくと随分時間を費やしていて愕く。SNSは、それと気づかず、中毒の状態に陥り易い。ほかならぬ私がその症状を呈していると、家族から度々指摘されていた。
この大河を流れる情報は、私たちの仕事や暮らしに役立つ情報も多いが、全体から見ると、われわれ一般人には知らなくて良い情報が8割以上を占めているように思う。玉石混淆とは、玉が極めて少ない謂である。
世の中は、作為がなければ、知らせたい人が2割、知りたい人が8割ぐらいの比率に保たれているのではないかと思う。8:2の原則である。
印刷の時代とテレビの時代までは、これでバランスが取れていた。
ところが、ネットの時代になり、さらにスマホが加わった結果、知らせるに便利なソフトウェアの開発が盛んになって、誰もがそれを容易に手にすることが出来るようになった。よって知らせる側に参入する人の数は飛躍的に増え、発信される情報は増加の一途を辿る。
それ対する知りたい側の人の数は一定で増えないから、情報は過剰になるばかり、未消化の情報がネット上に溢れ、洪水寸前の状態になっているのではないかと感じている。
膨大な情報の大河から、個人にとって有用な情報と無用な情報を仕分けするという作業は事実上不可能に思える。
情報の取捨選択を自動化できないとなると、ランダムにピックアップするという、昔ながらの不効率な処理法しかない。
これは個人にとって大きな問題である。限られた生活時間を、情報の大河に吸い取られないよう防ぐ手立てがないことになる。
個人にとって有用なデータというものが、もし僅か2割しかないのなら、SNSを情報の取得源にすることを罷めてしまっても、逸失利益はほとんど無いだろう。そう考えたら、試みにSNSアプリの閲覧を罷めることに踏ん切りがついた。整理は削除や廃棄無くして成立しない。アプリを削除して拙いことが生じたら、再インストールして閲覧を再開すればよい。
ChatGptというAIソフトが現実になった以上、今後SNSの情報の信頼性は低下の一途を辿るのではないかと危惧している。老人の思い過ごしなら良いが・・・
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