道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

故郷

2020年08月02日 | 随想
世界がどれほどボーダーレス化して、人の動きが地球規模になろうとも、個人にとっての故郷は、かけがえないものである。故郷はいつも其の地を懐かしく想う人の心を、温かく優しく包んでいる。それは、故郷に在った頃の生活が、温かく優しい人々に触れていた時代だったからであろう。

故郷との絆を進んで絶つ人は少ないが、就職や結婚で故郷を後にしたり、拠ん所無い事情によって心ならずも故郷を離れる人はいつの時代でもいる。3・11東北大地震・津波によって住むところを失った人々のような、災害によるものもある。現代人は、様々な事情で故郷を離れる。

ここに故郷から一度も動いていないのに、故郷を喪う例がある。
行政上の地名変更というものは、強制力をもって人々の遠祖の代から馴れ親しんだ故郷の地名を奪うものである。旧くからの地名を失うことは、住民に故郷のイメージと連帯感を損なわせ、人々のアイデンティの基盤を失わせる。そこを故郷をする人々には我慢のならないことである。私は合併による地名の変更を、人文破壊のひとつに挙げる。歴史的に意義のある地名を行政の都合で変更することは、政治的には許されても、社会的には権力による歴史文化の破壊である。

地名は、地勢的・地形的・歴史的・社会的な事象よって生まれた文化的遺産であって、ある意味人の戸籍のようなものである。人の人名を誰かが勝手に変えられないように、地名も安易に変えてはならないものである。

今日人々は自然破壊には極めて厳格になったが、前世紀まで自然破壊の言葉は無かった。自然からの収奪と破壊で人類は発展してきたが、それを意識したのは人類の歴史から見れば極く最近である。それが回復不能て危機的な状態になって始めて、自然破壊には市民の厳しい眼が注がれるようになった。

しかし人文破壊には、この国の人々は甚だ寛容である。行政に効率性・経済性・便宜性を謳われると、反対するのは難しい。しかし、いつか必ず人々の心の頽廃という形で、人文破壊を反省する時が来るだろう。特に平成の大合併は、適否を歴史的に検証されるだろう。

山川岬海の風光と、生活を共にした人々、目にした動植物、そして郷土の味覚、それらの総体が故郷である。人は故郷無しには生きられない。嬉しい時も悲しい時も、人の心には故郷がある。生育した過程の様々な記憶が、故郷のイメージをつくりあげている。

それ故に、故郷はいつの時代でも、直ぐ特定できるものでなけなければならない。故郷の地名を想う度に、沿革を辿るようでは、故郷のイメージは薄れてゆく。その意味で、検索項目の筆頭に該る古くからの地名が失われるのは甚だ良くない。合併によって郷土の地名を変えたり消滅させたりする行為は、自然破壊にも匹敵する。為政者はそのことに無関心であってはならないと思う。

洵に粗雑なまとめだが、人には誰もが大切な故郷がある。故郷を失くしてはいけない。故郷を失くしたら、その人は、アイデンティティの大切な部分を、喪うだろう。
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