道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

テレビの視聴率

2020年11月29日 | 人文考察
有識者気取りのしたり顔でテレビ番組をかけ持ちし、世過ぎ身過ぎする〈駄目コメンテーター〉が増殖している。ワイドショーにとってコメンテーターは客人、MCは彼らの無知や失言に突っ込まない。言いたい放題または論旨不明のおざなり発言に終始し平然としている。

勿論ワイド番組には、〈傑れたコメンテーター〉が多いが、バランスをとるためか〈駄目コメンテーター〉も紛れ込んでいる。特にローカル局に多い。
地縁・人縁が、キー局に呼ばれない駄目コメンテーターたちを地方局に引き寄せるのだろうか?

キー局でも、ワイドショーには、能力に拠らず人縁に依拠し出演していると思しいコメンテーターが、ひと番組にひとりやふたりは居る。

視聴率の欲しいテレビ局は、番組を面白くさせるために、話題の端を〈駄目コメンテーター〉に振ることが多い。ワイドショーだからそれで好いと云う向きもいるが、公共の電波を使って愚にもつかない迷論・妄説を聞かされる視聴者はたまったものではない。
1年も出演していれば、かれらの人格・識見は自ずと知れる。SNSには、そのようなコメンテーターの名がいくつか挙がっている。
多数の目というものは、概ね正しい判断を下すものだ。

〈傑れたコメンテーター〉との同席が日常化するうちに、身の程を弁えない「駄目コメンテーター〉は、やがて自分を一廉の評論家と錯覚するようになるだろう。識見なく蒙昧な評論家を生む培地、それがワイドショーになりつつある。誤った自己認識は、国政選挙に出ようという野心を抱かせるかも知れない。

テレビの視聴率というものは、まったく世の為人の為にならない。



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