道々の枝折

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天災地変に対する安全保障

2013年09月30日 | 随想
地理的、地質的に天災を被りやすいこの国では、他国に増して気象・地象に対する高い予知能力と、防災対策が不可欠ですが、担当所管庁の気象庁が強い責任感をもってこれに対処しているのかどうか、いまひとつはっきりしません。
 

毎年台風が襲い来る気象条件下の国土であるにもかかわらず、台風による人的被害はいっこうに減っていないように見えます。戦後の日本では、戦争で死んだ人はひとりもいませんが、台風被害による累積死傷者数は、紛争地域の戦争死傷者の規模に匹敵するでしょう。市民の人的損失を防ぐ意味において、他国の侵略を防ぐ防衛省や、火災の減少に取り組む消防庁、交通事故の減少を図る警察庁と同等かそれ以上の責任と役割が課せられているのが、気象庁ではないでしょうか?

天災による被害を軽くするには、より正確で迅速な予報しかありません。発生の可能性からすれば、戦争やテロ、火事や犯罪の何百倍、何千倍も遭難頻度が高い台風・豪雨・土砂崩れ・竜巻・地震などの被害軽減への対策は、市民の生命財産を守るうえで、国防に劣らぬ重要性をもつ仕事と捉えるべきです。注意を呼びかけるだけの存在では困ります。

何故か私たちは、天災に因る人的損害死に対して極めて寛大です。自然災害は神の意思と思いこんで、予報予知の失敗、不足による未必の被害を問うことは稀です。この災害列島に住む人々は、永い被災の歴史を通じて、天災に狎れ、諦めがよくなっているのでしょうか?

天災だから仕方がないと、生来従順な気質の日本人は考えがちですが、気象学は科学であり、課題解決のための研究は日々進捗しているはずです。そのためには、国費も投入されています。気象学、地震学の公費研究には、その性質上費用対効果の物差しが当てられて然るべきです。気象庁が、どれほど私たちの生活の安全に貢献してきたのか、そして研究の成果を活用して、どれほど正確な予報を出すことに尽力しその精度の向上に腐心しているのか、私たちはほとんど知りません。予報によって、避難指示によって、どれだけの人々が救われたのか、予報対効果の実態を国民は知るべきではないでしょうか?

気象庁の職員は官僚です。技官と雖もその任務は研究者である前に国民の生命財産を守る尖兵の気概をもった人達の組織でなくてはならないはずです。被災後の気象庁担当課職員の会見が、ともすると研究機関の解説調なのは、この役所の職員の意識を物語っています。

市民の生命財産を自然災害から守るためには、気象・地象の正確で迅速な予報・予知が不可欠です。私たちが天災から命を守るには、気象庁の情報だけが頼りです。酸性雨、PM2.5、放射能汚染大気の拡散状況の報知も、気象庁の重要な役割です。被災軽減のために有効な予知と通知のシステムを構築し、果敢な予報・警報で市民の期待に応えていただきたいものです。


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