今日は三重県屈指の観光都市、志摩市に来ています。
志摩市は浜島町、大王町、阿児町、志摩町、磯部町、が2004年に合併した55000人程度の市です。真珠産業で有名な温暖な地域で海と島が入り組んだリアス式の地形で魚貝類の美味しい所で、志摩スペイン村が有り観光リゾート都市です。 そこの阿児アリーナで地元の画家、故 北村勲(結婚されて山川に改姓)の遺作展が催しされたのでお手伝いをする。昨年東京ビックサイドでの出展に次いで二回目です。 地元の三重テレビやケーブルテレビ、伊勢新聞、中日新聞などの取材も有り地元の画家と云う事で一般の入場者も連休明けの平日にも関わらず沢山の方が少し変わった前衛画を鑑賞された。 北村(旧姓)画伯は北海道産まれ、1960年~1978年頃まで東京に在住、当時30歳代の前衛画家でした。その当時の大作を25点程残されてから、奥さんの生まれ故郷の志摩に移住された。その後は絵画の活動を辞められ66歳の若さで永眠されました。これらの作品は余り人目に出る事も無く30数年間山川家の倉庫に眠っていましたが画伯の永眠をきっかけにこの世に出展される事も感慨深いものを感じます。フランスのゴーギャンもそうでしたが芸術家は不思議と亡くなられると作品の価値が上がるものです。芸術の秋です、24、25、26日の三日間、阿児アリーナのロビーに展示されていますので時間が有れば見て下さい。
菰野町に有るパラミタ美術館にアンコールワット展を見に行く。
アンコール王朝は6世紀頃からカンボジア(クメール民族)によってヒンドゥー教と仏教の宗教を発展させ、アンコール遺跡群として1992年にユネスコの世界遺産に登録された。 特に有名なこの遺跡「アンコール・ワット」は寺院の有る町と云う意味で12世紀ごろに建造された石の寺院です。しかしカンボジアの内戦でポルポト派によって大きく破壊されましたが今では随分復旧したそうです。 ヒンドゥー教の神、ガネーシャです、頭は象の顔です。ガネーシャは王さんの子として産まれましたが父である王さんの顔をよく知りませんでした。王様が宮殿に帰ってきた時、無礼をはたらき首を切られてしまいました。母である王妃はこの子は王の息子である事を明かし、宮殿の側を通った最初の生き物の首をシヴァ神が息子の身体につないだのでこの様に象の頭になったそうです。智慧と幸運を呼ぶ神さんです。 これは仏陀坐像です。仏陀が涅槃(悟り)の境地に入るため7週間にわたる禅定の間、滝のような雨が一週間も降り続いた。ナーガ(蛇神)は七つの頭を大きく広げて仏陀を守った。光背が七つの蛇の頭で仏陀はとぐろを巻いたナーガの上に座っています。
日本は神道の国でしたが仏教が渡来し神仏混同の宗教文化が栄えた。カンボジア(東南アジア地方)はヒンドゥー教の地に仏教が入り込み共に栄えた、何処かよく似ている感じです。 神像、仏像などの顔を拝顔していると信仰の歴史、奥深さが時空を超えて感じられる。そして科学が進歩しても人間の本質で有り永遠のテーマである「私は何処から来て、何処へ行くのか」をフト頭の中を横切った。
今日は三重県菰野町に有るParamita museum に出かけ棟方志功の版画(板画)を鑑賞する。
このパラミタ美術館はジャスコを運営するイオングループの創設者が設立した「(財)岡田文化財団」が運営しています。Paramita・パラミタは梵語の「はらみた・波羅蜜多」の意味です。つまり迷いの世界から悟りの世界に行く仏の教えが展示されています。ですからこの美術館には池田満寿夫の「般若心経シリーズ」が常設されています、
今回の棟方志功の展示テーマは「歌と仏の世界」です。
「二菩薩釈迦十大弟子板画柵より普賢菩薩の柵」、少し色っぽい普賢菩薩さんです。
棟方志功は吉井勇(大正 昭和の歌人 )、谷崎潤一郎(大正 昭和の文豪)、大原寿恵子(明治 大正の歌人 ・大原美術館創設の孫三郎夫人) 等の歌や詩を板画にしました。棟方は誰をも師匠とせず独自の技法で苦難を重ね、歌と板画で仏の世界に悟りを求め入っていきました。
天狗の板画も有りました、 吉井 勇の歌です、「寂しければ 酒(さか)ほがいせむ こよいかな 彦山天狗あらわれて来よ」 凡人の私にはよく判りませんが寂しい時は酒でも飲もう、と云う事でしょうかね、 大いに賛成。 しかし人生に迷った時、仏の世界に悟りを求めるのか、酒を求めるのか、女性を求めるのか、大いに迷うところですね。
先日のゴーギャンにしろ、棟方志功にしろ、誰しも人生の悟りを求め、さ迷う姿が作品になった、私共の人生の作品は何なのでしょうか、何の作品が残せれるのでしょうか。
詳しくは Paramita museum http://www.paramitamuseum.com で見て下さい。
中学校の恩師が「何事も本物を見よ」と昔、云われた、映画はDVDになり、音楽はCDになり、絵画は写真になり、すべてイミティーションが手っ取り早い時代だ。だから己の感性もイミティーションで本物の良さが判らない様になっている。
と云う事で今日は名古屋ボストン美術館にポール・ゴーギヤ展を見によ行く。平日にも関わらず美術館には多くの人がゴーギャンの名画に酔いしれていました。
ゴーギャンは1848~1903。パリで生まれ最後はタヒチで亡くなりました。しかし彼の絵画は生存中は余り売れず貧困と病気、そして妻との別れ、愛する娘は若くして亡くなりゴーギャンの一生は決して恵まれ生涯ではなかった様です。
彼の最後の傑作は「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」でした。この言葉は非常に宗教的な表現で彼がいかに人生に悩み苦しんだかが現わされています。ゴーギャンはこの絵が最後でこれ以上の絵は描けないと言っていたそうです。中央の人物は旧約聖書の最後の楽園のアダブか、人々の表情はバラバラの様ですが意味深い様子です。
美術鑑賞の後は世界的に有名にスターバックスでコーヒとケーキで少し疲れを癒す、それにしても若いお客で店内は満席状態です、なぜこんなに若い人に受けるのでしょうか。
その秘訣の一つがこの写真に有るそうです。盗み撮りをしましたが柱の陰の彼女、何か一生懸命勉強、仕事、彼女だけでなく他の客もテーブルに本やメモを置いて何かしています。店員さんは彼女たちの姿を気にする事もなく平然としています。つまり何時間も席を占領しても気楽におれる雰囲気が良いとの事です。コーヒもケーキもお値打ちでした。
田舎育ちの天狗さんも時々都会の空気を吸わないと若々しさが失われるものです、今日は少し若返ったかな、感謝、感謝の美術鑑賞でした。