アイリス ふれあい農園

野菜作りを楽しみませんか。定年後の第二の人生の癒しに、家族で野菜を育てる楽しみ、土と戯れて野菜作りでストレス発散。

京都らしさを求めて

2012年09月26日 | まち歩き

二日続きで京都に行く用事が出来ましたので京都らしさを求めて古き都を散策しました。

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京都は何と言っても神社やお寺が軒を連ねています、土壁の塀は京都のどの街角でも拝見出来ますがやはり京都らしい町並みをかもし出しています。

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この竹で出来た柵、「犬矢来」と云いますがこれも京都ならではのもの、犬がおしっこをするのを防ぐ柵とか、料理屋さんだけでなく近代建築の軒先に似合うのも京都ならではの光景です。

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街のいたる所に社や地蔵さんが祀られています、それもキチンとお花やお供え物がされて街を守っている。この様な事が神仏に手を合わす事の大事さを幼い時から養われるのでしょう。

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料理やさんに通じる狭い道にも新しい立派な社に如来さんが祀られています。

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そして料理屋さんの狭い庭にも社が有り神さんが祀られていました、神仏に囲まれ守られている屋敷や街、京都。

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料理屋さんの玄関にはお月見の祭壇が祀られていました。日本の神道は天地自然が総て神さんの御魂、月もススキも総て神さんの御魂と云う奥の深い信仰です。

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京料理、品の良い薄味で食材の味が引き出されていました、ご馳走様でした。このお店今年で創業101年だそうです、京都では100年程度のお店は老舗の部類に入らない様です。千年の都、京都ではまだまだお若い店でしょう。

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お店の玄関には変わったしめ縄。良く見ると長刀鉾、その横には蘇民将来の短冊が見えます(写真をクリックして拡大)。八坂神社に近いこの料亭、祇園祭(当時流行した疫病を封じる為の祭り)のお守りでしょう。

『蘇民将来』を調べてみると、昔むかし牛頭天皇と云う人がいました。お嫁さんを求めて竜宮城に行く旅に出ましたが途中泊めてもらえる家をさがしていると立派なお屋敷が有り一晩泊めて貰えないか尋ねてみました。お屋敷の主人は「私は貧しい生活をしているので泊める事は出来ない」と断られました。牛頭天皇は大変困りましたが蘇民の家が有りましたので一晩泊めて貰えないか頼みました。蘇民は貧しい生活をしていましたが栗ご飯を炊いて牛頭天皇をもてなしました。天皇は別れる時、宝物の珠を蘇民に渡しました、その後蘇民は良い事ばかり起きて大変豊かに成りました。牛頭天皇は竜宮城でお嫁さんを貰い8人の子宝に恵まれました。天皇が生まれた国に帰る途中もう一度蘇民の家に立ち寄ると蘇民は長者になっていいました、そして再度天皇は蘇民の家に泊まりました。それを見ていた立派なお屋敷の主人は牛頭天皇に自分のお屋敷にも泊まってもらう様に頼みましたが天皇は泊まらず立ち去りました、その後そのお屋敷では不幸ばかり重なったそうです。

牛頭天皇は悪いことを追い払う神さんだったのです。蘇民の家では代々牛頭天皇が云われた通り「蘇民将来」と木の札に書いてお守りにしたそうです。

牛頭天皇は『スサノウノミコト』で八坂神社の御祭神はスサノウノミコトです。八坂神社は京都三大祭りの祇園祭りで大変有名な神社です。

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三寒四温の大社前

2012年03月14日 | まち歩き

この地方、昨日までは雪景色、そして今日はポカポカ陽気です。冬と春が行ったり来たりの三寒四温の毎日です。

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ここは多度大社の門前通りですが朝早いので人も車もまばらで簡素です。

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その門前通りのすぐ横に御覧の菜花の花が満開です。ここはもうすっかり春のたたずまいてす、しかしこの菜花の花は10日以上も前から咲いている様で昨日の雪で花は随分傷んでいました。

冬場にじっくりとエネルギーを貯め込んだ植物たち、そして冬場にエネルギーを消耗してしまった動物達が春を待ちこがれて動き出すのももうまじかだ。日本の四季は本当に味わい深く楽しいものです。

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叉木茶屋

2012年03月03日 | まち歩き

国道一号線を桑名から名古屋に向かうと戦前の古めかしいアーチ型の伊勢大橋を渡る、更に300m程走ると「叉木茶屋」が左に見えてきます。

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小雨の中、高い塀に囲まれた施設の中を覗き込むと手入れの行きとどいた庭園と建物が見えて来ました。

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庭にはやたらと椿の木が多い、残念な事に椿の花を楽しむのには少し遅かった様ですが小雨と樹木と和風の建物に心を癒される。

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この施設は地元の画家である「佐藤昌胤」(サトウマサタネ)画伯(明治40年~昭和45年)の生家で邸宅と屋敷を旧長島町が譲り受け現在は「桑名市情報交流施設」として運営されています。画伯はこよなく椿の花を愛した様です。

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有難い事に一輪だけ真っ赤な椿の花が私を迎えてくれた

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建物の中には小さな売店や展示コーナも有りました、そうだ今日は桃の節句でお雛様の日だ。

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ここで抹茶と花見団子を戴く、350円はお得と思った。たまにはのんびりと人気(ヒトケ)の無い空気も美味しいものだ。

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久し振りの遠距離出張

2011年08月22日 | まち歩き

今日は朝早く起きて静岡県の三島まで出張です、田舎者が久し振りに新幹線に乗るので心ウキウキです。

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盆明けの平日なので混雑も無く「こだま」の自由席に乗り込む、三島までは約2時間です。富士山が見えると良いのですが今日はあいにくの雨で富士の裾野も見えずでした。

仕事は午前中に終わり昼食後は三島見学です。

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何気なく見えるこの川、柿田川といい全長わずか1200mしかないのにこの豊な水量と透明度の抜群な事。実は富士山の伏流水です。

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水面が渦を巻いて奇妙な動きをしています、ここが富士山の湧水口なのです。その湧水の量は何と100万トン/日(東京ドーム124万立方m)ですから東京ドーム一杯弱の水量です。余りにも多いので熱海市、沼津市等に分けているとの事です。

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水面に靄が掛っています、湧水の水温は年間を通して15℃前後ですので大気との温度差で靄が出来るそうです、手を入れるととても冷たい。しかし冬は水温が暖かく感じて大気が冷たいので靄は一層深いそうです。

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富士山の恩恵はこんな所でも味わえる、そしてこの湧水はここだけではなく三島市のいたる所にあるそうです。

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本来ならば一番最初にお邪魔しなければならない三嶋大社、案内人さんの都合で最後になったが御挨拶をして三島を別れる。

 

富士山は結局最後まで顔を出されませんでしたが富士山の雄大な湧水が感動的だった。


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久し振りの八風街道

2011年04月12日 | まち歩き

三重県いなべ市~滋賀県八日市までの八風街道は鈴鹿山脈を越える九十九折れ一車線の危険な国道でしたが今回三重の北勢と滋賀を結ぶ大動脈に変身していました。

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八風街道(国道421)の石榑(イシグレ)トンネルが3月26日に開通したと云う事で二年ぶりに街道を通って見た。  

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以前は大きなコンクリートブロックを置いて2m以上の車は通行止めの街道でしたがこんなに立派なトンネルに変身していました。

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トンネルは全長4,157mの二車線です、幅は7,5m、高さ4,5mの立派なトンネルです。しかし現在の処、交通量は少なくトンネル内では一台も対向車が有りませんでした。

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滋賀県側の険しい鈴鹿山脈の谷間も御覧の様に道幅も広く、以前の九十九折れの街道のイメージは何処へやらの快適なドライブです。

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この部分の橋だけが未だ工事中でしたが交通量が少なく交互通行も待つ事なく通り抜ける、谷も深いので橋の建設も難工事の様です。

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トンネルを抜けてしばらく走ると旧道になり少し道幅は狭いのですがそれでも二車線です、眼下には永源寺ダム湖が雪解け水を集めて満水です、しかし桜の花は未だ蕾が固い様で満開はもうしばらくかかりそうです。

私は度々京都に行くのですがこの街道を通ると二時間で渋滞も無く高速道路料金も片道950円と安い街道になりました。今までの新名神経由より早くて経済的です。もう一ヶ月もすると新緑が美しいでしょう。三重と滋賀の経済的動脈としても根付く事でしょう。皆さん、一度走ってみましょう。

コメント (2)
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