二日続きで京都に行く用事が出来ましたので京都らしさを求めて古き都を散策しました。
京都は何と言っても神社やお寺が軒を連ねています、土壁の塀は京都のどの街角でも拝見出来ますがやはり京都らしい町並みをかもし出しています。
この竹で出来た柵、「犬矢来」と云いますがこれも京都ならではのもの、犬がおしっこをするのを防ぐ柵とか、料理屋さんだけでなく近代建築の軒先に似合うのも京都ならではの光景です。
街のいたる所に社や地蔵さんが祀られています、それもキチンとお花やお供え物がされて街を守っている。この様な事が神仏に手を合わす事の大事さを幼い時から養われるのでしょう。
料理やさんに通じる狭い道にも新しい立派な社に如来さんが祀られています。
そして料理屋さんの狭い庭にも社が有り神さんが祀られていました、神仏に囲まれ守られている屋敷や街、京都。
料理屋さんの玄関にはお月見の祭壇が祀られていました。日本の神道は天地自然が総て神さんの御魂、月もススキも総て神さんの御魂と云う奥の深い信仰です。
京料理、品の良い薄味で食材の味が引き出されていました、ご馳走様でした。このお店今年で創業101年だそうです、京都では100年程度のお店は老舗の部類に入らない様です。千年の都、京都ではまだまだお若い店でしょう。
お店の玄関には変わったしめ縄。良く見ると長刀鉾、その横には蘇民将来の短冊が見えます(写真をクリックして拡大)。八坂神社に近いこの料亭、祇園祭(当時流行した疫病を封じる為の祭り)のお守りでしょう。
『蘇民将来』を調べてみると、昔むかし牛頭天皇と云う人がいました。お嫁さんを求めて竜宮城に行く旅に出ましたが途中泊めてもらえる家をさがしていると立派なお屋敷が有り一晩泊めて貰えないか尋ねてみました。お屋敷の主人は「私は貧しい生活をしているので泊める事は出来ない」と断られました。牛頭天皇は大変困りましたが蘇民の家が有りましたので一晩泊めて貰えないか頼みました。蘇民は貧しい生活をしていましたが栗ご飯を炊いて牛頭天皇をもてなしました。天皇は別れる時、宝物の珠を蘇民に渡しました、その後蘇民は良い事ばかり起きて大変豊かに成りました。牛頭天皇は竜宮城でお嫁さんを貰い8人の子宝に恵まれました。天皇が生まれた国に帰る途中もう一度蘇民の家に立ち寄ると蘇民は長者になっていいました、そして再度天皇は蘇民の家に泊まりました。それを見ていた立派なお屋敷の主人は牛頭天皇に自分のお屋敷にも泊まってもらう様に頼みましたが天皇は泊まらず立ち去りました、その後そのお屋敷では不幸ばかり重なったそうです。
牛頭天皇は悪いことを追い払う神さんだったのです。蘇民の家では代々牛頭天皇が云われた通り「蘇民将来」と木の札に書いてお守りにしたそうです。
牛頭天皇は『スサノウノミコト』で八坂神社の御祭神はスサノウノミコトです。八坂神社は京都三大祭りの祇園祭りで大変有名な神社です。