天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

国の最高責任者

2016-04-04 17:17:29 | 時事


シールズの奥田氏の発言を産経新聞がバカにしたことで奥田擁護派が逆襲。
と、どうでもいい子供の喧嘩?でプチ炎上中だそうだ。

事の発端は民進党に呼ばれた学生奥田氏の安倍首相をさして「この国の最高責任者はあなたではない」を産経が下のように批判した。

『民進党の結党大会で来賓として呼ばれたシールズの奥田愛基氏は「憲法を守りますか、日本の総理大臣を守りますか。憲法を守るでしょ。この国の歴史をバカにしないでください。この国に生きる人々をバカにしないでください」と絶叫した。首相に対し「国民ていうのは、あんたのおもちゃじゃないし、あんたのものでもない」と訴えた後、「この国の最高責任者はあなたじゃない」と、意味不明な独自の見解を披露した。』


これに対し奥田氏擁護派は

『内閣総理大臣は日本の最高責任者ではありませんし、そのことは完全に中学校公民レベルの一般常識です。日本国憲法第41条には「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」とあるように、国家権力の最高機関は国民の意思で選ばれた政治家からなる国会』

『内閣はその三権の一角の行政府であり、内閣総理大臣は単に「行政府の最高責任者」であるに過ぎません。それを産経新聞が「この国の最高責任者」と呼ぶのであれば、それは明確な勘違い、もしくは意味不明な独自の見解』




まるで中学校のクラスでもめているかのような言葉尻の取り合いだ。共産党らしく最高指導者とでも言えばまだうけたのだろうが。
東條英機は何で絞首刑台に登ったのかを考え直したほうがまだ価値のある論争になるだろう。

私は奥田氏が偏差値28などと馬鹿にされて潰されようとしているのを見ていて多少は忍びない。

彼の若くインパクトのあるカリスマ性は敵ながら天晴れであるが、彼を持ち上げて、人柱とする民進党、共産党、左派言論人の薄汚さの方がどうしても許せない。



日本人の嘘

2016-04-04 02:21:57 | 歴史
雨が降り雨に不快感があって「行かない」のではなく、雨が降ることによって足元は泥濘、川は増水し、橋は流され、家は浸水し、色んな事が起きて「行けない」

雨に不快感は嘘




《朝日新聞》
A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉
(2006年7月21日付 朝刊  )

東条英機元首相ら14人のA級戦犯が靖国神社に合祀(ごうし)されたのは、78年のことである。戦後も8回にわたって靖国神社に参拝していた昭和天皇は、合祀を境に参拝を取りやめた。その心境を語った昭和天皇の言葉が、元宮内庁長官の故富田朝彦氏の手で記録され、ていた。A級戦犯の合祀に不快感を示し、「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」とある。昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした。合祀に踏み切った靖国神社宮司の父親は松平慶民元宮内大臣だった。メモには、その名を挙げ、「松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らず」という言葉がある。


《読売新聞》
靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)と昭和天皇の参拝見送りとの関係についても、 実録は判断していない。06年に見つかった富田朝彦・元宮内庁長官の手帳メモ には、天皇がA級戦犯合祀に不快感を示し、それ以降参拝しなかったとする内容
が書かれていた。

しかし実録では、88年(昭和63年)4月28日に天皇が富田長官 に「靖国神社のA級戦犯合祀、御参拝について述べられる」とだけ記した。宮内庁は 「富田メモは断片的でいくつも解釈ができるため、正確な気持ちがわからなかった」と説明する。

《産経新聞》
現在の天皇陛下が平成8年に栃木県護国神社(宇都宮市)に参拝された際、宮内庁がA級戦犯合祀の有無を事前に問い合わせていたことも関係者の証言で明らかになった。天皇の靖国ご参拝中断とA級戦犯合祀の関係をうかがわせる事実といえる。
 昭和天皇は昭和32年以来ほぼ毎年、各地の護国神社を訪れ、靖国神社へのA級戦犯合祀直前の53年5月には高知県護国神社(高知市)に参拝したが、それ以降は取りやめられた。
 昭和天皇の靖国ご参拝中断をめぐっては、最後のご参拝の50年11月とA級戦犯合祀の間に3年の開きがあることから、合祀とは無関係との見方があったが、護国神社を含めたご参拝の経過を見ると、A級戦犯合祀が明確な分岐点となっていることが分かる。
 靖国神社のA級戦犯は本籍地の護国神社にも合祀されており、富田朝彦元宮内庁長官のメモに出てくる松岡洋右元外相は山口県護国神社(山口市)に、白鳥敏夫元駐伊大使は千葉県護国神社(千葉市)にそれぞれ祭られている。
 現在の天皇陛下は平成5年に埼玉県護国神社(さいたま市)に参拝され、天皇としての護国神社ご参拝を15年ぶりに再開。8年には栃木県護国神社に参拝されたが、いずれもA級戦犯は合祀されていない。
 栃木県護国神社の関係者によると、ご参拝は県や県警を通さず、宮内庁から直接連絡があり、「陛下が参拝を希望されている」と申し入れがあった。
 その際「そちらの神社にはA級戦犯は祭られていますか」との確認があり、「祭られていません」と返答したという。
 天皇陛下の護国神社ご参拝は、それ以来10年間途絶えている。
                 
〔皇室 慰霊・追悼続く〕
 昭和天皇の護国神社ご参拝が靖国神社へのいわゆる「A級戦犯」合祀直後に途絶えたという事実は、A級戦犯合祀が原因で靖国ご参拝を中断されたという富田朝彦元宮内庁長官のメモと符合するともいえる。しかし、昭和天皇はその後もA級戦犯を含めた慰霊を続けており、A級戦犯を排除しようとされていたと即断することはできない。
 ほとんど知られていないが、8月15日に天皇、皇后両陛下をお迎えして行われている政府主催の全国戦没者追悼式での追悼対象にはA級戦犯も含まれている。
 平成14年、当時の福田康夫官房長官の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」で厚生労働省の担当者は、全国戦没者追悼式の対象に「平和条約による拘禁中の死亡の者も含まれている」と説明し、戦犯遺族に招待状を送っていたことも明らかにした。
 この基準は第1回の追悼式が行われた昭和27年(当時は5月開催)以来のもので、昭和天皇も現在の天皇陛下も、A級戦犯を含めた戦没者を追悼されてきたことになる。
 靖国ご参拝中断後も、昭和天皇と天皇陛下は春秋の例大祭には欠かさず勅使を派遣され、三笠宮さまや寛仁親王殿下をはじめ皇族のご参拝も続いている。山口県護国神社などA級戦犯を祭る護国神社にも幣帛(へいはく)料が下賜(かし)されてきた。
 皇室がA級戦犯を含む戦没者を慰霊・追悼されてきたという実態は何ら変わっていない。(渡辺浩)

埼玉県護国神社平成5年



栃木県護国神社平成8年




日本のマスメディアは産経新聞以外は言葉少なく
横並びで昭和天皇が合祀に"不快感"を強調し、その中断が昭和天皇の意思、心情によって中断されているとしたいようだ。

そんな中産経だけが護国神社の例を挙げ、宮内庁が戦犯合祀に敏感であること、全国戦没者追悼式に戦犯が含まれること、靖国神社には欠かさず勅使を派遣され戦犯を含む戦没者を慰霊追悼されていることを挙げその実態に深く迫っている。

「昭和天皇の御親拝中断」の理由を巡って大きく二つに分かれる。
「所謂A級戦犯に対する見解」がその核心にある。

つまり、マスメディアで言えば前者は"昭和殉難者"を受け入れられない立場であり、後者は少なくともそれに疑念を抱いていることが解る。

この論争は歴史観の相違である東京裁判に帰着するが、一般的には東京裁判の判決をサンフランシスコ講和条約第11条によって受け入れる形で講和し独立している。

所謂A級戦犯を戦争責任者とするのか否か、昭和殉難者を受け入れるか否かの判断に集約され、朝日新聞は責任者であり、読売新聞は富田メモの判断を避ける形で責任者とし、産経新聞は判断していない。

このように日本人は自らが立ち上がる為に米国製の歴史観を受け入れ自らの手で歴史を評価し、検証することをせずに今に至るだけでなく、その米国製の歴史観に沿った歴史捏造という嘘を反省を装いついている。

敗戦によって嘘を付くことを強いられ、未だにそのままの状態を続けている。

今ではこの嘘によって利益を受ける隣国と日本人が国益を侵害する癌細胞になっているといっても過言ではない。

その歴史観を糾すもの達をリビジョニスト(歴史修正主義者)としてレッテルを貼り、一部の排外的ナショナリストを特定しヘイトスピーチとして民族差別へと問題をずらし、日本人の歴史観確立を食い止めようとする。

これは最初についた嘘によって反日教育に対抗する術も持たず半ばいいなりの状態で嘘を脆い壁で補強しているに過ぎない。

頼みの綱の保守政党は議席を減らし、中道保守である安倍政権に嘘を暴かれまいと襲いかかろうとしている。

もう嘘を吐き続けるのも限界である。日本の近現代史の真実の共有が急がれるのだろう。