天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

英霊との約束

2016-04-18 14:11:01 | 時事
自民党の閣僚が参拝するにつけ必ず異論を唱え、靖国の存在を煙たがり、真っ向から酷評する社会科学者や哲学者がネット上に様々な持論を展開している。

首相の参拝ともなれば各地で訴訟対象となり、通例のように敗訴を積み重ねているのも事実だ。

ここで注意しなければならないのが、一口に反靖国と言ってもその主張は様々で一見して反靖国とわからないものもある。

1.閣僚、首相、議員の参拝を問題視
2.靖国自体問題視
3.所謂戦犯を問題視

ここに先の大戦の反省、戦没者の数、戦争責任、
と言う総括が靖国神社の解釈に色濃く投影して反靖国というロジックを構成している。


東京都出身で、昭和16年、陸軍士官学校(55期)を卒業し、見習士官として華北に派遣され、
19年には、第27師団支那駐屯歩兵第3連隊の中隊長として大陸打通作戦に参戦するなど中国大陸を転戦。
第二次世界大戦末期の20年3月に内地への転勤を命じられ、内地帰還後本土決戦師団のひとつである第216師団の歩兵第524連隊第三大隊長に任ぜられ敗戦を迎えた藤原彰氏は反靖国派にとっては格好の生き証人となった。

藤原氏は主に南京事件、毒ガス事件の研究で日本軍に対してマイナスのバランスを欠いた主張であることも特筆すべきだろう。

彼の著作の『餓死した英霊たち』の題名からしてもあの戦いへの憎悪は想像に難くない。

現代史家の秦郁彦氏でさえ御用学者と見なし、歴史の事実に対してつねに過小評価する権力の犬であるかの酷評までやる。

家永三郎によるアカデミックな日本軍悪玉論は沖縄における朝日(沖タイ)の「鉄の暴風」、大江健三郎の「沖縄ノート」によって、戦争被害者としての日本人を陰惨に過大評価し、明治政府からの大日本帝国という国家権力からの犠牲的弱者を著しく悲惨さを誇張することで県民の憎悪の矛先を日本政府に限定し、自らを捨石化してきた。

それを戦地や併合された"被害国"にまで広げ、餓死するまでに至った、犬死にさせられた、身内の被害にまで拡大させた。その被害と日本軍上層部部への憎悪を日本政府に向ける左派連中の御用学者こそが藤原彰氏である。

『敗軍の将、兵を語らず』の中で彼の主張は国家に命を弄ばれた被害者としてその戦史研究者としての"箔"となり、「吉田清治的」欺瞞が、崇められる存在となっている。

ここで改めてその著作の『餓死した英霊たち』の題名からも理解出来るように、「英霊」に対して色を付けているのが解る。

つまり、戦って勇ましく銃弾に倒れた訳でなく、餓死した兵士まで「英霊」と言う美しい言葉で
責任を回避し、有耶無耶にしようとしている、とでも言いたいのであろう。

確かに兵士が戦わずして餓死する事実は戦争自体にも敵味方関係なく責任を追求するにはうってつけのネガティブな事象であると共に、その数が
多ければ多い程、攻撃対象への力となる。

秦郁彦氏の過小評価に噛み付くのも納得出来る。

この秦郁彦氏でさえ富田メモの第一人者の研究者として昭和天皇が戦犯合祀に不快感と分析し、南京事件も数の問題で事件があった派である。

この様に靖国神社には「英霊」の言葉一つだけでもこれだけの攻撃の幅が存在する。

「英霊」に上も下無い、餓死も病死も銃弾に倒れようが、皆等しく「英霊」である。

この国の為に命をかけて死んだものを「英霊」として天皇陛下が御親拝してくださる、その約束を違えてはならないし、これからも守っていく必要があることだけは変えてはならない。