慰安婦をめぐる損賠訴訟で2016.4.25 に
産経新聞が櫻井よしこ氏の会見記事を掲載した
櫻井よしこ氏会見詳報
(1)「法廷闘争は言論の自由から考えて非常におかしい」
(2)「金学順さんが40円で売られたことは事実」
(3)「産経は訂正していますよね。最後までしなかったのは朝日と植村さん」
(4)「暴言とか言葉による暴力を否定しなかったことはありません」
(5完)「言論人というのは署名記事を出すとき、覚悟を決めている」
と言う長いものだ、それぞれサイトでご確認いただいてもらいたい。ここではもう一度植村氏の記事を振り返って見たいと思う。
《植村氏の記事》
元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く
日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。
尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。
植村隆、朝日新聞大阪版27面 1991年8月11日
2014年12月23日、朝日新聞社は上記の植村の記事について、『記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされた」と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。前文の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。』と謝罪記事を掲載している。
つまり当時吉田誠治の嘘を確定的にし、朝日、吉田、植村の三者が韓国の主張する「日本軍の強制連行」を証明する形で"真実"に確定させたのだ。
日本にとっては解決済み、しかもアジア女性基金すらも無視する蒸し返しに一役買ったと言うよりも寧ろ主導した。
西岡氏や櫻井氏の訴えはこの問題が日本に与えるダメージであり、自身の脅迫を反論として訴える植村氏は筋違いである。
結局この事件の問題は歴史観の違いにある。どこまで歴史を知っていたのかと言う根本的な歴史観に帰着する。
1958年(昭和33年)4月28日に高知県須崎市で生まれる。土佐高校、早稲田大学政経学部政治学科を卒業し、1982年(昭和57年)に朝日新聞社入社。仙台支局、千葉支局に勤務し、1987年(昭和62年)8月に韓国の延世大学に留学。
昭和57年入社の年教科書誤報事件が起きている。近隣諸国条項とは、日本国の教科用図書検定基準に定められている「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という規定のこと。が制定された年でもある。
植村氏が、どの程度の歴史観の持ち主であったかなどは知る術もないので、一般論となるが、早稲田の政経学科に数学を選択していれば恐らく歴史などは中学レベルに毛の生えたようなものだろう。
朝日に入社5年で永世大学に留学している。
1988年(昭和63年)8月に東京本社外報部に戻り、1989年(平成元年)11月から2年5ヶ月間大阪本社社会部に勤務し民族問題や被差別の問題を担当し問題の記事を書いた。
朝日新聞は戦後首脳陣を一掃し徹底した日本軍批判、東京裁判史観の先導者になった。
殊更慰安婦などは日本軍にとっての汚点ともなりかねず、口を噤み表舞台に出ることはなかった。
その徹底した東京裁判史観確立の為にもエリート植村氏を調査員として留学させたのは頷ける。
日本にとっての併合は韓国からは植民地支配となり、慰安婦は性奴隷となり、反日教育に拍車がかかるのも自然な流れだろう。
そんな韓国の大学に歴史観のないエリートが留学するのはあまりにもリスキーであろう。生身の、本物のオーラルヒストリーに触れれば100%の確立で衝撃を受けるのも致し方ない。
近現代史を教えない日本と反日教育の韓国が対峙すれば土下座の修学旅行も不思議ではない。
なまじ歴史を勉強していれば秀吉の朝鮮出兵の
"耳塚"や"陶工の起源"など歴史戦に不利なものしか記憶に残らないこともハンデキャップになる。
この歴史認識のズレが植村氏の慰安婦問題を同情と哀れみ、土下座的記事になった事は許容出来る。
この問題の核心は何故裏付けをせずに記事にしたのか、日本側の主張すら検証せずに、に尽きる。
その意味で植村氏と朝日新聞の反日記事の垂れ流しは著しく両国の関係と日本の国益を毀損しており、日本から見ればその反論の意味も含み"捏造"
と表現されても致し方ないだろう。
植村氏はその家族にまで脅迫される現状を鑑みれば充分制裁は下っているかもしれない。しかし、
植村氏の早期退社は明らかに朝日新聞のリスク回避であり、退社までに19本も慰安婦関連の記事をかいている。
西岡氏の言う「意図的捏造報道」からは逃れようのない事も事実である。
またその後の女性の人権問題へシフトし挺対協の活動がアメリカに移って行った流れはこの吉田、植村、朝日の三者の立役者のお陰になるところが大きい。
果たしてこの様なスラップ訴訟に何の意味があると言うのだろう。植村氏、朝日は己を守ろうとすればする程に反日性が露呈し、どんどん心象を悪化させていく。
最後に私情を入れて言えば、
この東京裁判史観は愛国心や神道と言うものが微塵もない、要するにまず第一に己を守り、次に家族となる、いわば利己的な個人主義だ。
これが戦前は国を守るとの愛国心があったから日本人は強かった。言わば己の命など省みずに家族、国を守った。だから戦争体験者は80.90と長生きする。東京裁判史観はこんな素晴らしいものまで否定してしまった。