大東亜戦争において軍事裁判でA/B/C級戦犯とされ処刑された人。(拷問や病気などで)収容所で亡くなった日本側兵士・軍人。抗議自決した人等のこと。
《第一次戦犯指名》
1945年9月11日に逮捕命令(計40名)。逮捕されたのは主に東條内閣閣僚
東條英機(9月11日に自決未遂)、東郷茂徳、嶋田繁太郎、賀屋興宣、鈴木貞一
岸信介、岩村通世、小泉親彦(9月13日に自殺)、橋田邦彦(9月14日に自殺)、井野碩哉、村田省蔵、寺島健
上田良武
本間雅晴(B級戦犯)、黒田重徳(B級戦犯)、長浜彰(B級戦犯)、太田清一(B級戦犯)、鈴木薫二(BC級戦犯)、徳田久吉(BC級戦犯)、飛田時雄(C級戦犯)、長内茂(C級戦犯)、三浦宗一(C級戦犯)、竹内寛(BC級戦犯)、ジェームズ・W・佐々木/佐々木薫一(BC級戦犯)
1945年9月21日に逮捕命令(2名)。
土肥原賢二、阿部信行
1945年10月22日に逮捕命令(1名)。
安倍源基
《第二次戦犯指名》
1945年11月19日に逮捕命令(11名)。主要な大臣や軍上層部など。
荒木貞夫、小磯国昭、松岡洋右、松井石根、南次郎、白鳥敏夫
本庄繁(11月20日に自殺)、鹿子木員信、久原房之助、葛生能久、真崎甚三郎
《第三次戦犯指名》
1945年12月2日に逮捕命令(59名)。軍の高官だけでなく、政財界に広く逮捕者。
畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、大川周明、佐藤賢了
鮎川義介、天羽英二、安藤紀三郎、青木一男、 有馬頼寧、 藤原銀次郎、 古野伊之助、 郷古潔、 後藤文夫、 秦彦三郎、 本多熊太郎、 井田磐楠、 池田成彬、 池崎忠孝(赤木桁平)、 石田乙五郎、 石原広一郎、 上砂勝七、 河辺正三、 菊池武夫、 木下栄市、 小林順一郎、 小林躋造、 児玉誉士夫、 松阪広政、 水野錬太郎、 牟田口廉也、 長友次男、 中島知久平、 中村明人、梨本宮守正王、 西尾寿造、 納見敏郎(12月13日に自決)、 岡部長景、 大倉邦彦、 大野広一、 太田耕造、 太田正孝、 桜井兵五郎、 笹川良一、 下村宏、 進藤一馬、 塩野季彦、 四王天延孝、 正力松太郎、 多田駿、 高橋三吉、 高地茂都、 谷正之、 徳富猪一郎(徳富蘇峰)、 豊田副武、 津田信吾、 後宮淳、 横山雄偉
《第四次戦犯指名》
1945年12月6日に逮捕命令(9名)。国際検察局(IPS)が追加逮捕。
木戸幸一、大島浩
近衛文麿(12月16日に自殺)、酒井忠正、大河内正敏、緒方竹虎、大達茂雄、伍堂卓雄、須磨弥吉郎
1946年3月16日に逮捕命令(1名)
永野修身
1946年4月7日に逮捕命令(1名)
岡敬純
1946年4月29日に逮捕命令(2名)
梅津美治郎、重光葵
1946年11月5日に逮捕命令(1名)
長谷川清
その他
板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章は外地で逮捕。橋本欣五郎は国内で単独で逮捕。(都合4名)
【極東国際軍事裁判に起訴された被告人】
関東軍関係
板垣征四郎 - 南次郎 - 梅津美治郎
特務機関
土肥原賢二
陸軍中央
荒木貞夫 - 松井石根 - 畑俊六 - 木村兵太郎 - 武藤章 - 佐藤賢了 - 橋本欣五郎
海軍中央
永野修身 - 嶋田繁太郎 - 岡敬純
総理大臣
広田弘毅(外交官) - 平沼騏一郎(司法官僚) - 東條英機(陸軍) - 小磯国昭(陸軍)
大蔵大臣
賀屋興宣
内大臣
木戸幸一
外務大臣
松岡洋右 - 重光葵 - 東郷茂徳
外交官
大島浩(駐ドイツ大使) - 白鳥敏夫(駐イタリア大使)
企画院総裁
鈴木貞一 - 星野直樹
民間人
大川周明(思想家)
上記の28名が昭和21年4月29日(昭和天皇の誕生日)に起訴された。
このうち、大川周明は訴追免除、
永野修身と松岡洋右は判決前に病死したため、23年11月12日に被告として判決をうけた者は25名
GHQは戦犯擁護や極東国際軍事裁判批判などとの理由を付け削除や発行禁止などを行い言論を統制
死刑及び獄中死の14名を「昭和時代の殉難者」として合祀
【昭和殉難者】
板垣征四郎
梅津美治郎
木村兵太郎
小磯国昭
白鳥敏夫 非軍人
土肥原賢二
東郷茂徳 非軍人
東條英機
永野修身 判決前病死
平沼騏一郎 非軍人病気仮釈放後の死去
広田弘毅 非軍人 判決後病死
松井石根 B級戦犯
松岡洋右 非軍人 判決前病死
武藤章