
平成28年8月15日
天声人語
けっして反戦のための文章ではない。
むしろ兵士たちの勇敢さをたたえている。
それでも、日露戦争の激戦を描いた記録文学『肉弾』(桜井忠温ただよし著)を読むと、戦場の酷さが迫ってくる。おびただしい味方兵士の死体を踏み越えながら進む場面がある
▼機関銃になすすべもなく倒れる兵がいる。砲車に潰される兵がいる。こちらの爆弾で絶命する敵がいる。実際の表現はどこまでも具体的で臭いまで伝わってきそうだ
▼生き残った将校が書き、明治後期に出版された。当時も多様な受け止め方をされたようだ。
戦中も人権擁護を貫いた弁護士の海野晋吉はこの本から戦争の悲惨さを学んだと、いくつかの評伝にある
▼一方で肉弾という言葉は、その後の戦争で兵士を称揚するスローガンとして使われた。戦場の残酷さをかみしめることと、そこに英雄を見ることは、背中合わせなのかもしれない
▼作家の保坂正康さんが、特攻機の整備兵だったという老人のことを述べている。突然訪ねてきた彼が語ったのは、飛び立つ日の特攻隊員の姿だった。失神する、失禁する、泣きわめく。きれいなことを言って飛んで行った人もいたが、ほとんどは茫然自失だった。「それを私たち整備兵が抱えて乗せたんです」(『戦争と天災のあいだ』)
▼長く胸にしまっていた証言であろう。戦争を語れる人がだんだんと他界し、私たちはいずれ記録からしか学べなくなる。見たいところだけを見ることもできる。でも、それでいいはずはない。
桜井忠温


乃木将軍配下、旅順攻囲戦で体に8発の弾丸と無数の刀傷を受け(全身蜂巣銃創)、右手首を吹き飛ばされる重傷を負う。余りの重傷に死体と間違われ、火葬場に運ばれる途中で生きていることを確認されたという。
海野晋吉

昭和戦前・戦後の社会派、自由人権派の弁護士。多くの思想裁判・政治裁判の弁護をする。戦後は社会運動も行う。戦後初の最高裁判事も受けず、親友の片山哲内閣の法務大臣も受けず、一貫して在野の弁護士であることを貫く
保坂正康

「戦争の原因を自国の中でのみ探り、外国の視点がまったく抜け落ちているため、狭い蛸壺に入ってしまったような歴史観になっている」として、小林よしのりは保阪の歴史観を「蛸壺史観」と評した。