天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

慰霊の日 岡本純子の記事

2018-06-26 20:43:58 | まとめ・資料

岡本純子

企業やビジネスプロフェッショナルの「コミュ力」強化を支援するスペシャリストの肩書きの彼女の記事である。



堂々としたたたずまい

6月23日、沖縄慰霊の日に、自作の詩を披露した浦添市立港川中学校3年生の相良倫子(りんこ)さんの朗読シーンだった。ピンと背中を伸ばし、始まった瞬間から、その場の空気を支配する堂々としたたたずまいにくぎ付けになった。

この詩の巧拙については、専門家ではないので、評する立場にはないが、隠喩、倒置、反復、対照法、畳みかける、列挙法、省略法、韻などといったレトリック(修辞法)を余すところなく活用していることは見て取れた。しかし、こうした技巧を超越して、聞き手の心をとらえたのは、何よりも五感を刺激するその言葉と伝え方だ。

「マントルの熱を伝える大地」「心地よい湿気を孕(はら)んだ風」「草の匂いを鼻孔に感じ」「遠くから聞こえてくる潮騒」「岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波」「山羊の嘶(いなな)き」「畑に続く小道」。聞き手の脳に情景が鮮明に浮かび上がる描写の数々。熱気、湿気、匂い、海のさざ波・・・・・・。筆者を含め、だれもが、摩文仁の丘に立っているかのような錯覚を覚えたことだろう。難しい言葉は一切ない。ただただ、美しい島の情景を写真でも見せるかのように、聞き手の脳裏に焼き付ける。

その美しかった島がまさに阿鼻叫喚の地獄絵図に変わる姿もまた、鮮烈に描き出す。「小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった」「優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた」「青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった」「草の匂いは死臭で濁り」と「平和」と「戦争」を対比させることで、その残酷、無常さを際立たせた。

彼女はまさに平和の尊さと戦争の残酷さを「語る」のではなく、我々に「見せていた」。英語圏では、コミュニケーション教育の過程で、小さいころから叩き込まれるルールがある。「Show. Don’t tell」というものだ。「語るのではなく、見せろ」。つまり、「戦争は残酷だ」「平和は大切だ」そんなありきたりな抽象論を語るのではなく、もっと生々しい言葉でイメージとして植え付けろ、と教えられる。

たとえば、「太郎は悲しかった」ではなく「太郎は歯を食いしばり、必死で涙をこらえた」となり、「秋になった」ではなく、「公園は色とりどりの落ち葉が敷き詰められ、歩くたびにかさかさと音を立てた」といったように、徹底的に彩りのある「生きた」言葉に言い換えるように訓練されるのだ。

「命」「今」「生きる」

過去と現在と未来、という3つの象限を切れ目なく行き来しながら、「過去」の過ちを再び「未来」に起こさないことを、未来につながる「今」、誓い、平和を発信しようと行動を呼びかける。

「命」「今」「生きる」という3つのキーワードをちりばめながら、躍動感のある言葉で織りなされる壮大な抒情詩は、激しい地上戦を生き抜いた曽祖母の体験をもとに紡がれたものだという。

わずか14歳だというこの少女の口から繰り出されたのはまさに「生きた言葉」の数々だった。紙やパソコンに書かれた「死んだ言葉」をただ、読み上げるのではない。「島民の平和への希求」という思いが結集して、まるで乗り移ったかのように、彼女はすべてをそらんじてみせた。シャーマンか巫女のように、自己を超越した「強い思い」に憑依(ひょうい)されていた。そのすごみはそのデリバリー(話し方)にも現れた。

堂々と、会場を見渡し、全方向に目を配り、たじろぎも恥じらいもない。「詩に込めたメッセージをしっかり伝えられるように読みたい」(琉球新報)と語っていたように、一つ一つの言葉の意味に情感を重ね合わせた。穏やかな言葉には、優しく包み込む口調で、「こみ上げるこの気持ち」という場面では、あふれ出る喜びを、そして、一転、戦争の場面では、厳粛さと悲しみを表現した。
熱量と気迫という点では、2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチをも彷彿させた。

国内外のプレゼン・スピーチウォッチャーを自認する筆者ではあるが、これほどのスピーチを日本ではなかなか見かけることがない。





おじさん政治家たちは「棒読み」

たった、14歳の子どもが、渾身の力を振り絞って、会場や視聴者の魂を揺さぶったのに、彼女の前後に登場したおじさん政治家たちは、「スピーチ」という名の「棒読み」に終わったのが非常に対照的だった。

特に残念だったのは、安倍晋三首相が、彼女のスピーチに対する感想も、コメントもないままに、淡々と下を向いたまま、「原稿を読み上げて」終わったことだ。

歴代総理の中でも、コミュニケーションには並々ならぬ努力をしていると一定の評価がある安倍首相。リオデジャネイロ・オリンピック閉会式での演出やアメリカ連邦議会での演説など、海外向けのスピーチやプレゼンでは努力が垣間見られる一方で、国内のオーディエンス向けのコミュニケーションは、なぜか、そうした細やかさが感じられないことが多い。

相良さんの朗読を目の前で見て、何も感じ入る所はなかったのだろうか。ああいった場面で、当意即妙にコメントを入れたり、自分の心の言葉を語りかけたりすることができていたら、印象はずいぶん変わっただろう。他人が作った原稿をただ、読むだけのスピーチ、判で押したような紋切り型のスピーチ、「死んだ言葉」の羅列など、人の心をピクリとも動かさないことを政治家も企業経営者も、肝に銘じておくべきである。

人々は生の言葉、生きている言葉を求めているのだ。





沖縄慰霊の日 李登輝あいさつ

2018-06-26 20:17:46 | まとめ・資料





日本台湾平和基金会の西田健次郎理事長をはじめ、理事の皆さま、そして会場にお集まりのご来賓の皆さま、こんにちは。本日、私はこの平和祈念公園において、戦争に倒れた台湾の人々を追悼し、皆さまとともに歴史を共有するために参りました。

 まずはこの、戦争で犠牲になった台湾の人々を慰霊する記念碑を建立した日本台湾平和基金会と、それを支持してくださった多くの方々に、ひとりの台湾人として改めて感謝を申し上げたいと思います。

 戦争とは恐ろしく、かつ無情なものであります。多くの尊い命がその犠牲となって失われました。

 1945年2月、沖縄戦が始まる直前のことです。台湾の基隆などから900トンもの台湾米が沖縄へ運び込まれ、県民へと配給されました。それによって、多くの命が生きながらえたとも聞きます。

 戦争の犠牲者として平和の礎に刻まれた、34人の台湾人のなかには、もしかしたらこの食料の配給業務に携わりながら命を落とした人がいたかもしれません。

 台湾人たる私は台湾を愛し、わが人生を、台湾のためにささげるつもりでやってまいりました。

 私の人生においては、戦争によって数多くの困難にぶつかることもありました。また、戦争は、生きるために、いかにして積極的に生命に向き合うかということを学ぶ契機ともなりました。

 「人間は歴史から学ぶ」と言われます。人類の偉大さは、その学習能力にあるのかもしれません。つまり先人たちの行いは、私たちが、いかにして生きるべきか、道すじを示唆してくれています。先人たちは命を以て、私たちに歴史を指し示してくれているのです。

 また同時に、私たち後世の人間は、先人たちが示してくれた道すじと教訓によって、学び、選択することができます。

 これこそ、私がこの慰霊碑に揮毫した「為国作見証」の意義なのです。

 平和、自由、民主主義は、人類をよりいっそう、かつ永遠に偉大なものとするでしょう。願わくば、私たちもまた命の尊さを以て、人間の生きる道を示すとともに、平和、自由、民主主義が後世にまで継続するよう願ってやみません。

 これで私のあいさつといたします。ありがとうございました。