
『天皇機関説』の美濃部達吉を師に仰ぐ宮沢俊義の八月革命説
昭和20年8月のポツダム宣言受諾により、主権の所在が天皇から国民に移行し、日本国憲法は新たに主権者となった国民が制定したと考える学説だが、占領軍の草案に触れず、ハーグ43条違反であることも無視されている。
このことは無効論でも触れたが日本国憲法は成立過程での瑕疵と解釈段階での瑕疵という二重の齟齬を経て70年かけてゆっくりと鐘乳石のように形成されたのだ。
しかも明治憲法第73条に基づき、憲法改正草案が天皇の勅命により衆議院と貴族院からなる帝国議会の議に付され、両議院のそれぞれの総員3分の2以上の出席で、出席議員の3分の2以上の多数により議決された。
この改正は、天皇の裁可を経て、公式令(明治40年勅令第6号)第3条に基づいて公布された。これは、改正の公布文に付された上諭に示されている。
つまり手続き上は真っ当な改正で國體も護持されているのだが、「主権の移行」という壮大な勘違いのフィクションが占領軍の草案とハーグ違反を暗示し革命と解釈せしめたこと自体が国と国民を欺く革命であったと見ることも可能である。
皇室制度を西欧の王朝と見誤り国民がその王朝から革命(敗戦)により主権を奪取した瑕疵ある筋書で草案された「主権の移行」は70年たった現在も
生前退位、女性宮家、女系天皇などによる起爆剤で未だに爆発し兼ねない時限式爆弾が仕掛けられていたという解釈も成し得るのである。