東京大空襲
3月10日一夜にして10万人以上が亡くなる火災は焼夷弾という意図的に火災を起こす兵器が使われたことによるものだ。
1983年には特定通常兵器使用禁止制限条約で民間人や人口密集地への使用は禁止されることとなるほどの威力である。
これが東京の下町を中心に大規模に行われたのであるからひとたまりもない。
大規模空襲はその後4月、5月とおこなわれるが、5月25日夜から26日未明にかけて470機ものB29爆撃機が飛来、それまで空襲を免れていた東京山の手に大規模な空襲を行い、死者3651人・焼失家屋16万6千戸の被害をもたらした(5月25日の大空襲、山の手大空襲)。
この空襲で渋谷区の東京陸軍刑務所も猛火に包まれた。米国側の主張だが、収容されていた日本人の囚人約400名は救出されたのに対し、以前の空襲で撃墜されて捕虜となっていた米兵捕虜62名は留置場内に置き去りにされ焼死、さらに逃れ出ようとした数名が看守により斬殺されたとある。
11.5万人以上亡くなった東京大空襲
これをジェノサイドや大虐殺、戦争犯罪と呼べないのは戦争に負けたからに他ならない。
また広島、長崎と合わせた30万人が南京事件の総数30万人とバランスされるのもジェノサイドと呼べない原因だろう。
東京はこの日を東京都平和の日と平成2年に定めているが、『犠牲者の追悼』と『平和の意義を確認し、平和意識の高揚を図るため』との二つの意味合いの行事とされている。
【東京都平和の日】という名称からは当時の大焼殺の意味合いは薄れ、後者の平和の意義と平和意識だけが強調されるようになる。
つまり、本来の犠牲者の追悼が平和に侵食されているようにも思えるのだ。
平和な中で平和の意義と平和意識の更なる高揚を図ることが、ウイグル人へのジェノサイドに無関心で鈍感な日本人を量産しているように感じてならない。