長崎の街も、今日被爆75回忌を迎える。 長崎には三度訪問したが、不思議と原爆のイメージが無く、むしろ異国情緒が強く感じられる街だった。 一つには、江戸時代、唯一外国に開かれた港町だったからだろう。 地名にもそんな名残が多く残った街だった記憶が有る。 日本の歴史の中で、近代史の中には多くこの街の事が出てくる。 また不思議と、歌謡曲にも多く歌われた。 近代医化学や、異国文化の取り込み口だったせいだろう。 グラバー、坂本竜馬‥‥。 明治維新に向かって、大きく世の中が転換した時代の、中心地であった。 そして、世界大戦最後の地獄のような被災地ともなった。 本日は、心静かに長崎の犠牲者の冥福を祈って、過ごすこととしよう。
「合掌」‥‥‥。