私が生まれた己斐の街の隣町が古江町である。 原爆投下時、古江小学校は無傷で残っていた。 被ばく被害者は己斐小学校に入りきれず、古江小学校に向かったが、軍部はがんとして被害者を入れなかった。 入れる訳がない。 この小学校の講堂は全ての椅子等を取り外して、風船爆弾を作る工場にしていたのだ。 ここで働く女学生には、かんこ令が敷かれていたそうだ。 女学生たちは直径10mの半円形の籠に、和紙をコンニャクイモのノリで貼り合わせる作業をさせられていたそうである。 ところが、蒟蒻ノリは、なんにでもくっ付くので、かごに張り付いてしまう。 そこで考えられたのが、竹籠を漆塗りにする事だったそうである。 その漆塗りも補修が必要でそのたびに女学生は漆かぶれで手足が腫れあがったそうである。 そんな話が、病院帰りのラジオから聞こえてきた。 確かにこの話は親から聞いた覚えが有る。 しかし、石見地方やその他の和紙の有名な地方が中心の話とばかり思っていたら。 この古江の小学校が一番の中心地だったそうである。 一つには、大竹和紙が有った事。 戦前、日本のこいのぼりの六割以上が、此の大竹で作られておたそうである。 佐伯郡には蒟蒻が取れた事。 なんといっても女学生が沢山いた事。 すべての条件が整っていたそうである。 大竹と言えば、人間魚雷の発祥地である。 軍の監視も行き届いていたのだろう。 その為被爆者はさらに西の草津小学校まで避難させられたのだ。 ある裏話が有る 広島湾に浮かぶ「似島」。 安芸の小富士とよばれる。 此の島には古くから検疫所が有った。 第一次世界大戦時、ドイツ軍捕虜が多く収容背れていて、その中の一人がケーキ職人だった。 彼が此の収容所で焼いた菓子が、日本で最初の「バームクーヘン」なのだ。 ところでこの島には隠れた逸話が有る。 この島の独房には、敵前逃亡した軍人が収容されて、軟禁されていたというう噂が有るのだ。 そして、この施設で「覚せい剤中毒にされ、人間魚雷に搭乗させられた」と言う話である。 戦後色々な話が流れ出した一つだ。
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