四月には運転免許の書き換えである。 本日「高齢者講習」に行ってきた。 三時間少しの講習と実技である。 実技は満点だと煽てられた。 いくら煽てられても、次回の免許交付期間は四年だそうである。 教習者の中に、中学時代の私を知っている女性がいた。 名前を呼ばれたと同時に、判ったそうである。 自己紹介されて記憶がよみがえった。 彼女も七十歳になる。 彼女は浮き浮きとしていた。 一昨年主人を亡くしたそうだが、一月元旦を過ぎたらすべて吹っ切れたそうで、今年は「モンサンミシェル」へぜひとも行こうと思っているそうだ。女性は強い。 次の段階に歩み始めている。 それに引き換え男の未練たらしいこと。 ・・・・・・。私は違いますよ。「来るもの拒まず。去るものは追わず。」 自由奔放に生きてやろうと決心しているが、「奥様」の意向がどちらを向いているかいまだに計り知れない。
昨日のたった一日の晴天で、すべての雪が消えた。 これで少しは暖かくなるのかと思えば、昨夜来氷雨が続いている。 天気の性にして「寝正月」の延長と決め込んでいる。 もっとも低気圧と、我が家のかみさんには勝てない私だ。
低気圧の性で、呼吸が思うようにできない。 肺活量が60%に近づきつつあるようだ。 多くの「アスベスト被害者」が辿ったであろう道筋である。 国や労災の救済制度では、この程度のものは救済されない矛盾が潜んでいる。 この様な矛盾を正す機関が国には無い。 また建設関係被害者は散在している為に、「泉南訴訟」の様な集団訴訟も難しい。 ぼちぼち「単独訴訟」を考えなくてはならない時期が来たのかもしれない。
やっと雪が止んで晴天となったが、放射冷却で道路は凍結。 午前中は家から出掛けられそうに無い。 今年の初詣は、お休みである。 今朝、早々とお風呂を沸かして、「朝風呂」と洒落込んでみた。 我が家の奥様は、「朝寝」「朝風呂」である。 これで「朝酒」を決め込むと 「おはら しょうすけ」さん状態である。 「朝酒」では無いが、一日中「読書三昧」。 何れにしても、「女おはら しょうすけ」さん状態に間違い無い。 奥様は長年仕事を続けられたのだから、退職後の状態としては、待ち望んだ状態であるように思われる。 そういう意味では、「おめでたい」正月である。 昨夜から気になり始めたことがある。 五日からの国会で、どの様な政治的進展が待っているのかということである。 日本の過去を振り返ると、戦争の後に国土が増えたことにより、財閥だけが太って行ったが、 国民の目を外に向ける為の先の大戦では、本来の国土の「南樺太」や、「北方領土」を失ったが今後海外派兵を強行すれば、今度は「琉球王国沖縄」を失うことになりそうな予感がする。 もともと沖縄は日本固有の国土ではない。 今回の総選挙でも、沖縄の人々は「日本国政府を否定した」と、感じたのは私だけであろうか。 いづれにしても、四月の地方選挙が見ものである。
気温が少し上がって屋根の雪が落ち始めたが、午後三時過ぎからまた雪が降り始めた。 「初詣」に行きたくても、わが裏山の「金亀山 福王寺」の登山道は、雪で登れない。 この福王寺は、広島きっての古刹である。 開祖はかの「弘法大師」である。 「金亀山」とは、「弘法大師」がこの山にはじめて登った時に、頂上にあった小さい沼から金色の亀が出てきて「弘法大師」を出迎えたということが銘銘の謂れである。
その後かの「行基」が伽藍を拡充し、平安時代には「僧兵三千」と言われ、この「福王寺」に朝廷から「さざれ石」が下賜されて天下の名刹となったそうである。 あの「君が代」に歌われる「さざれ、石の岩をとなりて」と歌われた名石である。
この雪のため、二日続けての「寝正月」となった。 TVで二日続きの寝正月は、寿命を一年縮めるそうだが、狭い我が家では寝て過ごす以外に方法が無い。 このままでは明日も寝正月になりそうである。
幾十年ぶりかの雪の年明けです。皆様、新年明けましておめでとうございます。
昨年暮れに修理した「風呂釜」は、見事復活。 昨夜は
ゆっくりと体を温めてくれました。 やはり風呂釜で保温しての入浴は格別でした。 入浴中から外は雪模様となり、広島は雪の新年となった。
三年目を迎えた「S」さんの、「アスベスト労災」裁判が山場を迎える。 私も証人としての出廷が三月にも向かえそうである。
昨年奥様が始めた「広島Lafcadio Hearnの会」への参加は、今年も張り切っておられるようだ。 「奥様に引かれて、Lafcadio Hearnの会 詣で」に今年もなりそうである。
私は小泉八雲を、十七歳から愛読してきた。 特に「平井呈一氏」の訳が好きで、好んで読んでいた。 「平井呈一氏」といえば、永井荷風の弟子であったが、永井荷風が密かに書いていた春本「四畳半襖の下張り」を勝手に持ち出し、友人と写し取り回覧した事件を思い出す。 それが元で文壇を追放されたが、「Lafcadio Hearn」の訳者として名を成したことは有名である。 「Lafcadio Hearn」といえば「出雲」。 私が最も好んで「出雲」へ出かけていた理由を、やっと奥様が理解してくれたので、今年の出雲の旅は楽しみになってきた。