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シギルマッササウルスの反撃(1)


歴史的経緯
「スピノサウルスの全身復元」を脅かすシギルマッササウルス。その研究史は紆余曲折している。まず、時系列と登場する恐竜化石だけを抜き出してみる。

Stromer (1915) は、エジプトのバハリア・オアシスからスピノサウルス・エジプティアクスを記載した。その後、Stromer (1934) は、スピノサウルスと似ているが、異なる特徴をもつ獣脚類の部分骨格を発見し、スピノサウルスB “Spinosaurus B” と呼んだ。これは脊椎骨に比べて異様に後肢が小さく、脊椎骨と後肢は別個体と考えられたものである。もちろんスピノサウルスも“Spinosaurus B”も、第二次世界大戦の空爆で失われた。

時代は下って1996年に、Russel (1996) はモロッコ産の分離した脊椎骨に基づいて、2種の獣脚類を記載した。1つはスピノサウルスの新種、スピノサウルス・マロッカヌスで、もう1つは新属新種シギルマッササウルス・ブレヴィコリスである。いずれも1個の頸椎をホロタイプとして命名された。Russel (1996) は、シギルマッササウルスの頸椎はStromer (1934) の“Spinosaurus B”とよく似ていることを見いだし、同じ種類と考えた。

ところが、Sereno et al. (1996) はカルカロドントサウルスのほぼ完全な頭骨の論文で、“Spinosaurus B”の頸椎をカルカロドントサウルス・サハリクスのものと考えた。またBrusatte and Sereno (2007) はカルカロドントサウルス・イグイデンシスの論文で、シギルマッササウルスとよく似た頸椎を記載している。つまりSerenoらはシギルマッササウルスを認めておらず、カルカロドントサウルスの頸椎と考えた。

Canale, Novas & Haluza (2008) は、カルカロドントサウルスの頭骨の化石とシギルマッササウルスと似た頸椎は、関節状態でも交連状態でも発見されていないことを指摘し、またシギルマッササウルスの頸椎は、南アメリカ産の確かなカルカロドントサウルス類の頸椎とは大きく異なることを指摘した。彼らはイグアノドンの頸椎との類似性から、鳥盤類の可能性を提唱した。

Evers and Rauhut (2012), Evers, Rauhut and Milner (2012) は、シギルマッササウルスがスピノサウルス類であるという解剖学的根拠を示した。

McFeeters et al. (2013) は、シギルマッササウルスのホロタイプや参照標本を再検討し、Russel (1996) の記載したすべての頸椎をシギルマッササウルス・ブレヴィコリスとした。ただし胴椎や尾椎は除外した。McFeeters et al. (2013) はシギルマッササウルスを固有の特徴をもつ有効な獣脚類と認め、鳥盤類の可能性は否定した。彼らの系統解析ではテタヌラ類の根元でポリトミーをなし、スピノサウルス類とまでは特定できなかった。

Ibrahim et al. (2014) は、ケムケム産のスピノサウルス類の部分骨格を記載し、シギルマッササウルス・ブレヴィコリスもスピノサウルス・マロッカヌスもスピノサウルス・エジプティアクスのシノニムとした。ただし詳細な根拠は示していない。

さらにAllain (2014) はイクチオヴェナトルの完全な頸椎の発見を報告し、系統解析ではシギルマッササウルスをスピノサウルス類とした。

そしてEvers et al. (2015) は、スピノサウルス・マロッカヌスとシギルマッササウルス・ブレヴィコリスは同一の種類であるとし、シギルマッササウルス・ブレヴィコリスに統一した。しかしシギルマッササウルス・ブレヴィコリスはスピノサウルス・エジプティアクスとは異なり、またIbrahim et al. (2014)のネオタイプとも一致しないと結論している。

こうして研究史をみると、シギルマッササウルスはセレノと因縁?があることがわかる。そしてセレノらは認めていないが、ヨーロッパ・カナダでは過去20年もの間、シギルマッササウルスが有効な種であるという認識の研究が、脈々と受け継がれてきたようである。ただし、それがやはりスピノサウルス類であると認識されてきたのは、わりと最近のことらしい。

つづく
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