美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

版画の贋作

2021-02-11 12:31:04 | 美術の真贋

版画作品の贋作問題が数日前からマスコミを騒がせている。
美術作品の贋作はたいてい忘れた頃にやってくるものだ。ほとぼりが冷めた頃に。

贋金作りよりも版画贋作者に罪の意識が乏しいせいか、今回も版画工房の制作者は画商に頼まれただけでその後どのように使われたか自分の知ったことではないとしてTV取材も受けていた。

自分はたぶん犯罪者ではなく、ただ金が欲しかっただけで、職人として言われるとおり作り、その報酬を受け取っただけということらしい。

2月8日の読売新聞ではサインを入れたのは、画商側のように書いてあったが、ここは重要だ。

偽の署名や偽のスタンプ印を入れた時点で贋作が成立することがあるからだ。

画商は、自ら偽の署名を入れたのか、それとも別に偽の署名や偽のスタンプ印を入れる専門の人物を雇って罪を分散、あるいは曖昧にしようとしたのかどうか、ここは様々な判断をしていくうえで重要なポイントになる。

今回贋作されたのは日本画画壇の巨匠と言われる東山魁夷、平山郁夫、片岡球子、そして洋画壇の人気作家で若くして亡くなった有元利夫らの版画作品で、美術のTV番組などで頻繁に取り上げられた作家たちだ。

これらの作家は、本来筆で絵を描く人たちであって、版画制作についてどれほど詳しいのか私はあまり知らないが、自分が描いた絵の版画を監修してサインするといっても、作家によってそれぞれその厳密さは違うだろう。あまりうるさいことを言わない「巨匠」だっているはずだ。
 
おそらく自らが版を制作するなどというのは一般に現代日本画の「巨匠」たちにあっては稀なことだと思うが、多くの人たちは、デパートなどの画廊で「リトグラフのオリジナル」、あるいは「オリジナルのリトグラフ」などという言葉が飛び交うのを聞くと、「オリジナル」という言葉に眩惑されて、作家本人が自ら版(石版や亜鉛版、今日ではアルミ版)を起こして、刷り上げるまでやるのだと解釈するかもしれない。
 
だがこれは違うのだ。例えば「リトグラフのオリジナル」を「リトグラフによるオリジナル作品」の意味に解するなら、画家は版のもとになる絵を提供し、他人がリトグラフ技法で制作した版画の色味などを監修し、そこに署名や限定枚数を書き込めば、それで売る側はオリジナル版画作品と称してよいのである。
 
上記、日本画の巨匠たちの版画や複製物はかなり以前から出回っており、私も頻繁にあちこちで見かけたことがある。明らかに網点のある写真による複製物であることも多いが、リトグラフのオリジナル版画と称している高価な作品も各所で売られていた。

「版画を作って売れば先生の絵が高くて買えない人々を喜ばすことができる」などと人気のあるこうした画家たちや、その著作権を有する人たちに言って許可を取り、オリジナルの絵のリトグラフによる「複製版画」や、版画用の絵を画家たちに描かせて工房の職人が版画を制作し、それを画家本人や著作権を持っている人が監修して画商が販売する。これらはいずれも「贋作」ではない。だが、オリジナルの絵のリトグラフによる「複製版画」は、「オリジナル版画」とはふつう呼ばないだろう。
 
版画には、芸術家(画家または版画専門の版画家)が絵を描き、自ら版を制作して刷り上げる自画、自刻、自摺による完全なオリジナル版画もあるが、浮世絵のように画家が絵を提供するだけのオリジナル版画も歴史的に認められているから、画家が「版画用の絵」を提供する限り、それは「オリジナル版画」でいいのだが、手で描いた絵の単なる複製であるリトグラフ技法による版画というのは、果たして版画作品としてはいかがなものだろうか。
 
今回の贋作報道では、日本画の巨匠たちの本物の版画も近年、値崩れしているとのことであるが、私は驚かない。
 
一方、これまで正規のルートで制作していた優秀な版画工房職人が、金に困って今回のような画家本人や著作権者の監修が及ばないところで「贋作」版画を制作したとするなら、サインの有無の他、作品内容におけるその差異はそもそもどこにあったのかと問えなくもない。
 
 
 
 


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宿の忘れ物から江戸時代の使用者を特定

2019-08-02 16:03:00 | 美術の真贋
2019年7月26日の毎日新聞に載った記事から。
昔の著名人物が宿に泊まり、その時忘れ物をした。
新聞では新選組の土方歳三らの例。
木製の煙管が忘れられた。そこには付箋が結わえられ、発見場所、日付などが記入。
宿には大福帳も残っていた。
こんな風にして、昔の使用者が特定できることがあるのだな。
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読めない崩し字を読む方法(続き3)

2019-04-08 11:43:00 | 美術の真贋
「読めない崩し字を読む方法」などと大げさなタイトルを付けたが、要するに文字以外のヒントを自分なりに見つけて解を得るということでしかない。
 
いつもここでやった手法が通じるとは限らない。たまたま答えが見つかることもあるということだ。
 
今回、試しに図像を検索してみたら、ヤフーオークションに同じような人形が出品されているのを確認した。
 
そして、そこでも「山」の次の文字は読めないと書いてあった。「庭の」に相当する最初の2文字については何も触れていないし、写真からどんなふうに書いてあるのかぼやけていて読み取れなかった。
 
とにかく大事なことは、その崩し字が、どのように崩されてしまった文字なのかどうかを探ることである。つまり、解を得た後に、その崩し方の痕跡を探ることである。
 
その崩し方が、標準的なものか、あまりに我流過ぎるものなのかどうかを見極めることである。
 
これなら読めなくて当然だと自分を納得させられれば、それでいいだろう。
 
ひえつき人形は、今も地元に行けば売られているのかどうか、それはわからないが、昭和30年代から40年代にかけては盛んに売られていたのではなかろうか。私の家に見捨てられてあった、このブログに掲げた写真の人形も昭和40年代くらいのものではなかろうかと思う。
 
今回、崩し字の勉強に使って、これが宮崎県のひえつき節に基づいて作られた図像を持つお土産人形だということが改めて分かった。
 
私が幼い耳で聞いた「庭のさんしゅうの〜」は、三橋美智也や美空ひばりの声なのかどうかどうかまでは覚えいない。ただ、その最初のフレーズとメロディは耳に残っている。
 
彼らが新鮮な勢いで活躍したのもそのころだろう。
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読めない崩し字を読む方法(続き2)

2019-04-08 02:19:00 | 美術の真贋
着物姿の女性、杵を持つ、鈴に関連するをキーワードにこの女性を探っていくと、彼女は、宮崎県椎葉村の民謡ひえつき節に唄われている鶴富姫であることが次第に分かってくる。
 
鶴富姫と那須大八の逢引のサインに使われたのが正にこの鈴なのである。
 
庭のさんしゅうの木 鳴る鈴かけてヨーホイ
鈴の鳴る時ゃ出ておじゃれヨー
鈴の鳴る時ゃ何と言うて出ましょヨーホイ
駒に水くりょと言うて出ましょヨー
那須の大八鶴富おいてヨーホイ
椎葉たつ時ゃ目に涙ヨー
 
 
元はひえつきの労働歌であり、男女の営みを示す際どい唄でもあったものが、平家の落人伝説を取り入れたものに変化してよく知られた民謡となったものらしい。
 
そんなに古い民謡ではない。三橋美智也や美空ひばりも唄っている。そう言えば、私が子供のころの耳にも、「庭のさんしゅうの木〜」というメロディが聞こえていた。
 
そして、正にこの最初のフレーズがこの鶴富姫の足元の臼に書かれている崩し字だったのだ。
 
上手く画像検索できた人なら、このひえつき人形と同類のものを見出すことができたかもしれない。その中には、こんなに崩されてしまった文字でなく、もっと楷書体に近い文字が臼の上に書いてあるものを見つけることができたかも知れない。
 
私が写真提示した臼の上の崩し字は、人形職人によってかなり我流に崩されてしまったものと思う。従ってこの人形に書かれている崩し字が読めなくともそれほど悲観する必要はない。
 
ただ、答えがわかったあとなら、なるほどこんな風に崩れてしまったのかということの合理的な痕跡は認められよう。例えば、最初の一文字のしめすへんのように見えるのは、庭の广であり、えんにょうの痕跡もほんの僅かに見えている。ただし山椒の椒(桝)は、極端過ぎるほどの我流と言ってよいものだろう。その部分、州という字を当てたようにも思われるかも知れないが、それでもやはり我流に過ぎるものだろう。
 
しかし、いずれにせよ、これで人形職人が書いた文字、書こうとしていた文字は、読めたことになる。
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読めない崩し字を読む方法(続き)

2019-04-07 19:40:00 | 美術の真贋
結局、私は他の文字がどうしても読めなかった。なので無理して読むことにした。
そのためには方法論的に他のアプローチをするほかない。
それはこの人形を調べることから始めるほかない。
美術史を学んだ人たちに言うなら、この人形の図像上の意味を探りなさいということである。
着物の女性が持っているのは明らかに杵であり、私が読めなかった文字が書いてあるのは明らかに臼だ。そして女性は鈴を持っている。鈴を持っている人形の例は数多くあろうが、着物姿で、杵と鈴を持っている女性の図像は、そう多くないだろう。
そのような予想を立てて、この人形の着物の女性が、何を表現しているのか、この女性がどこの誰なのか、そうしたことを探ってみればよい。
今や図像検索が容易になった時代だ。
この方法を使ってこの女性がどこの誰なのか、なぜ杵や鈴を持っているのかを、先ずは探ってみてはどうだろう。
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