人体を捉えるドガの素描の力強い的確さ、パステルを何層にも重ねた比類のない色彩世界、これらはむしろ少数の美術愛好家と職業画家とを唸らせるものかもしれない。
ドガが描いたこうした女性たちは、同時代の人たちには、これまでに<理想化>されてきた女性の<優美>なポーズが感じられなかったようであり、あまりに<日常的>な、それゆえに殆ど<美しくない>、むしろ<醜悪>な、あるいはそれらの裏返しの感情として<猥褻>なものと感じられたようである。
だが、ドガが描いた浴室での女性のポーズは、日常的で、現実の姿に近いものではあるが、醜悪でも、猥褻でもない。
それはむしろ清長の浮世絵における女湯の場面に見られるような日常的なリアリズムの視点に親近性を持っている。
ドガが清長の名前を知っていたことはよく知られている。そして清長の浮世絵も実際に所有し、見て、研究していた。その1点が上述の「女湯」である。
ただ、下図のようなポーズの清長の柱絵は、実際に彼が見ていたかどうかはまだ知られて
いないと思う。
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このポーズは彼の彫刻の中でもちょっと特異な感じがする「右足の裏を見るダンサー」のポーズにそっくりだし、ドガ以外の芸術家にも同様なものが見られるので、かなり前から私には気になっていたものだ。
ドガ以外の芸術家、例えばブールデルの小さな彫刻にも、宮本三郎のパステル画にも見られる。また、小森邦夫の等身大の彫刻にも見られる。
これらは、あるいは、ドガの「右足の裏を見るダンサー」のポーズからの影響かもしれない。モデルにとってこのポーズは3分と持たない姿勢であると私は小森氏から聞いたことがある。それは、現実の女性に、稀に、瞬間的にみられる姿勢と言ってよい。
清長の柱絵に見られるこのポーズは清広の下図のような作品の左側の女性にも見られる。(作品右上に書いてある文字は「子を持たぬ内が女房の初桜」と読める。)
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腰をひねらせたポーズに女性の魅力を感じている芸術家の眼が反応しているのは明らかだろう。
(ただし清長と清広の浮世絵では、このポーズの女性は、より自然な形でゆったりと縁側に軽く座っているところからの動きである。これに対してドガ、ブールデル、宮本、小森の作品では、よりダイナミックに立ち姿からのムーヴマンとなっている。)
清長、清広からドガの彫刻やパステルの多数の裸体画へ、またドガの彫刻からブールデルや小森邦夫の彫刻へ、あるいは宮本三郎のパステル画へという時間軸での歴史的な影響関係は、まだ考えなくともよいだろう。
今のところ影響関係の問題として論じることができないとしても、清長の浮世絵に見られるこのポーズが、多くの芸術家の美的感受性を共通して刺激してきたことは間違いないことを確認しておきたい。