美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

発見が待たれる中村彝の消えた手紙

2023-09-20 20:02:32 | 中村彝

 鈴木良三氏の『中村彝の周辺』(1977)ではなく、茨城県近代美術館発行の『中村彝とその周辺』(1999)に同館が所蔵する彝書簡のリストがある。しかし、このリストはいくつか訂正すべき点がある。なかでも重要なのは、このリストに入っている大正5年8月8日伊藤隆三郎宛の手紙である。これは、実は同館には無いので、特に注意しなければならない。

 この手紙は、封筒のみが在り、その中に入っている手紙は、前年の2月頃に大島から出された毛筆の書簡である。だから、一般の研究者や美術愛好者たちのために、この手紙もリストに加えられなければならないし、先の書簡はリストから除外されるか、封筒のみであることを注記すべきであろう。

 中身を読めば明々白々であるが、封筒と中身とが違ったのである。しかも、この封筒には朱色の文字で「(此文屏風二張ル)」と書いてあり、「書翰集P.255」とも書いてあった。

 大正5年8月8日の手紙は、「田中館博士の肖像」や、中原悌二郎が前にモデルとして使っていたお島を描いた「裸体」の制作の様子が分かる特に貴重な手紙である。油彩作品の「裸体」を所蔵する茨城県近代美術館にとっても重要な手紙となるべきものだ。

 これは、おそらく毛筆で書かれた書簡であろう。彝の人格と、その手書き毛筆文字の素晴らしさがこの手紙の受け手である伊藤に強く感じられたのかもしれない。だからこそ屏風仕立てにしたのではないか。しかも、彝を取り巻く多くの芸術家の名前が登場し、著名な作品に言及している。

 そこには女性モデルお島に対する「ワイタルフォース」なる言葉も出てくる。さらに中原悌二郎の彫刻作品制作の様子も書いてある。すなわち、中原は、手紙ではホーマーと表記されているホメーロスの胸像か、手紙ではポールローランと表記されているジャン=ポール・ローレンスの胸像(ロダン作)のような作品を制作するだろうとも書いてある。 さらに彝は、秋には岡山に行って「ルノアール(「泉による女」1914年作)の摸写」をし、帰りには奈良で仏像を研究したいとの希望も述べている。この頃の彝は体調も良かったようだ。

 封筒に書かれている朱色の文字は伊藤隆三郎本人によるものかどうか分からないが、その可能性もあるだろう。いずれにせよ、この手紙は屏風仕立てにして彝の作品とともに、伊藤家に飾られ、伊藤は、絶えずこれを目にすることによって、その藝術的嗜好に自ら大いに満足したに違いない。

 いつかこの屏風が古書店辺りから世の中に出てくることが待たれるのである。

 

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マネの二つの作品と中村彝の「婦人像」(メナード美術館蔵)

2023-09-17 20:37:09 | 中村彝
 メナード美術館に中村彝が最も愛した相馬俊子を描いた横長の未完の大作「婦人像」がある。そしてこの館には、さらにもう一点の小さいけれど佳品の俊子像(俊子像の中でもおそらく最初期のもの)もある。
 彝のアトリエに未完のまま、その死後まで、秘められたかのよう放置されていたのは前者の横長作品で、彼のものでは最大級の大きさと質を誇る作品である。これは、実は文展出品を目指していた作品ではないかと私は推測している。実際、未完成とは言え、今日でも十分にそのままで優れた作品として鑑賞できるものである。
 
 茨城県近代美術館には、多くの彝作品があるが、油彩画の俊子を描いた作品はない。このような作品が彝の故郷の美術館にあったら、どれほどよかったことか、かえすがえすも同館に油彩画の俊子像がないことが惜しまれる。というのも、現在、横須賀美術館にある俊子像にも、残念ながら故郷の美術館の手は届かなかったからだ。
 
 ところで、メナード美術館の彝の作品「婦人像」は、一般に指摘されるルノワールとの関連のみならず、彝とマネとの関連を示す重要な作品でもあると私は考えている。
 
 実は私、あるお宅で、マネがニーナ・ド・カリアスを描いた「団扇と婦人」
Fichier:Édouard Manet - Nina de Callais.jpg — Wikipédia

Fichier:Édouard Manet - Nina de Callais.jpg — Wikipédia

 

と題される作品のカラーの複製画(本の挿図ではない独立した一枚の複製画)がある古い洋書に挟まれているのを見たことがある。
 おそらくこの複製画は、彝からそのお宅に間接的に伝えられたものだと思う。
 
 もっとも彝は、マネの作品をかなり詳しく知っていたから、彼がマネの「団扇と婦人」を見知っていたとしても元よりまったく、怪しむには足らない。けれど、この複製画をそのお宅で偶然見た時、「ああ、やはりマネの影響はあったのだな」と強く思った。
 
 メナード美術館にある彝の「婦人像」は、おそらくマネの有名な「オランピア」における室内に横たわる西洋の伝統的な裸婦像の構図と背景を二分する縦の軸線が特に注目される。それから、室内における植物の描写に見られるような素早い筆致もマネのある種の作品を思わせる。
 一方、ニーナ・ド・カリアスを描いたマネのこの「団扇と婦人」は、特に彝の「婦人像」と鏡像関係にあるポーズ(肘をついて横たわるモデルのポーズ)や着衣の黒の色彩(マネの黒は特にスペイン美術からの影響が重要だ)に目が行く。
 彝は、「婦人像」において、この二つの作品から無視し得ない複合的な影響を受けたように思う。
 
 
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呟きとメモ2023-6-18まで

2023-09-13 00:18:36 | 日々の呟き
「全日本棍棒協会」をつくった人の新聞記事を読んだ。#東祥平

*

#三善晃 の反戦三部作、レクイエム、詩篇、響紋についての #片山杜秀 氏の記事を読んだ。

「なぜ、彼が殺され、自分は生き残ったか。実は彼が私で、私が彼なのではないか。」片山氏の記事より

「私は『響紋』を、彼岸と此岸の断絶を描く絶望的な音楽だと、初演以来思っていた。だが、情の深い山田(和樹)の解釈はそのようには聴かせなかった。目から鱗が落ちた。」#片山杜秀 #三善晃

*
「少年、なにかが発芽する」というような表現は、詩の分野では、奇妙でも珍妙でもない。#AI

AIは、ときおり、シュールな自動筆記を産出してくれるから、詩的感性の持主は、それを選び取るだけでいい。#AIとシュール #AIとシュルレアリスム

現代の詩人、歌人や俳人はAIから大いに利するところがあるに違いない。
けれどシュールな表現にうんざりして、伝統回帰という方向やもっと別なものへの探究も出てくるかもしれない。
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マネとレンブラント(印象派とオランダ美術)

2023-09-03 20:09:29 | 西洋美術
 マネのいくつかの作品にはレンブラントの具体的な作品から明らかな影響を受けていると思われるものがある。
 例えばマネがある少年を描いた作品。
 モデルの少年は、自殺し、それがボードレールのある詩にインスピレーションを与えているが、マネが描いたその少年の愛らしい微笑みを湛えた作品は、レンブラントが少年ティットスを描いた作品の明白な影響が窺える。
 そのほか、マネの裸体画などにもレンブラントの作品からの影響が窺える作品があるだろう。
 今日のマネ研究では、もはや、とうに明らかにされているのかもしれないが、私としては、もう何十年も前にやり残したままになっている。
 マネのスペイン美術からの影響や、マネのジャポニスムについてはかなりの研究の積み重ねがあるが、マネとオランダ美術との関連はどのくらい進んでいるのだろうか。少し気になっている。
 また、マネの他、ドガの室内空間の描写や音楽モティーフなどとオランダ美術との関連なども面白い研究課題だと思っている。
 さらに広げるなら、印象派絵画全般とオランダ美術との関連は、面白い研究領域を提供するものだろうと思う。
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