前回は標記の本の中で彝が「物の主眼となるべきレピュテ」と表記しているところ(84頁)の「レピュテ」は、想定されるフランス語の単語が私には思い当たらず、そこで、それは「ピュレテ」または「ピュルテ」の誤植ではないかと述べた。後者の意味だと文脈上、芸術の「純潔さ、純度」を表す言葉となる。そして、これはまさに中原悌二郎の芸術を語るにもふさわしい語句と思うのである。
今回は明治45年7月27日、彝が相馬リチヤアト(すなわち良・千香子・安雄・愛蔵・俊子の)家族宛てに出した若々しい書簡(153頁)に見られるフランス語を見てみよう。
旅行先の2番目の宿屋、長野県青木村沓掛の「おもとや」から出したものだ。初日に泊まった「ます屋」はどうやら相馬家から紹介されたものらしいが、彝は「悲惨な部屋に案内されて」しまった。
「まっくらな、ヒポコンにでもなり相な、カビ臭い室へポツネンと独り取り残された時には、まるで牢屋へでもたたき込まれた様で、息苦しさと、せまくるしさとで怒鳴り出したいくらい苛立ってしまいました。」
そして翌朝、彝が見つけた「おもとや」は彼の気に入った。
「涼しい六畳の座敷に寝そべりながら、…灰色の雲の影がそろそろとはうて行くのを見ていると、心の底から悠(ひ)ろびろと愉快になって、静かなるもの、ゆるやかなるものに対する極度の多感が、『ラ・ラント・エ・ボー』『ラ・ラント・エ・ボー』と言っている様な気がします。」
ここで使われている何かフランス語の詩句のような「ラ・ラント・エ・ボー」「ラ・ラント・エ・ボー」というフレーズは、おそらく正確なフランス語ではなく、単にフランス語の響きと意味を借りてきたものと思うのだが、もちろん意味は伝わってくる。すなわち「ゆっくりとした…(女性形名詞に続く)」と「美しい…(同じく男性形名詞に続く)」を単に繋いでいるだけで、その意味と響き(最初に「ラ・ラ…」の響きが欲しかったので女性形となったのだろう)を楽しんでいる。
ちなみに今日のTwitter(X)で"le lent et beau"で検索してみると、"Le lent et beaux réveil de dame nature…"(「大自然のゆったりとした美しい目覚め」)という、まさに彝が自然の中で味わったであろうような記事が出てくるが、"la lente et beaux"では、何も出てこない。
次に見るのは「感想その四」(49頁)に出てくるフランス語の一文である。
Une petite somme est parfois un grand réconfort.
これは一般には読み違えることはないのだろうが、私には彝がいつも病に臥していたイメージが強く、そうしたことを書いた書簡文も多く読んでいたので、ここに出てくる"une petite somme"を「わずかな眠りでも」の意味に解していた。
しかし、"un petit somme"なら、それでよいかもしれないが、先の文は女性形なので、「少しのものでも大いなる慰めとなる」の意だろう。
ひょとしたら、彝も私と同じように「わずかな眠りでも」の意味で書いたのかと思ったが、それは私の勝手な無知な思い込みに過ぎないものと分かった。
なぜなら、そのフランス語文の前の、4月15日付の断章にはこんなことが書かれていたからだ。
ただ静慮に依りて、涼味を得よ、
ただ節食(正食)に依りて滋味を得よ。
甘味を外に求めて真味を失うこと勿れ。
このうち、特に「ただ節食(正食)」ではっきり示されているように、これらの語句はすべて"une petite somme"に関連した断章なのだ。すなわち、このフランス語の一文は、その前の4月15日付断章をおそらく要約したもの、もしくはそれに通じたものとして彝が掲げたものであり、本来繋がっているべきものということが分かった。