茨城県近代美術館に松平雪江(1834-1916)というあまり知られていない画家の作品1点がある。
下図の左は一部加工されているが、主要な部分は分かるであろう。
(図は、拙稿が掲載されている「游美」No.69 2012年3月より)
「四睡之図」とは、四者が眠っている絵のことで、四者とは、寒山と拾得、それに豊干禅師と虎を指す。
寒山は巻物、拾得は箒がアトリビュート(標識、持物)となるから、画像の手前の二人のうち、どちらが寒山でどちらが拾得かはすぐ分かるだろう。
また、豊干禅師は、しばしば、虎に乗った姿で表現される。
「四睡之図」の意味するところは、禅の覚りの境地だという。
ところで、この作品、同館が1997年に発行した「所蔵作品図録」では、制作年不詳となっている。同館の画像検索システムでもまだそうなっているかも知れない。
だが、この作品の制作年は、答えを先に言ってしまうが、実は画面の中に書いてあった。
画面右下の落款部分である。上図の右。
雪江の名前は簡単に読めるが、その上がなかなか読めない。それでこれまで、なかなか分からなかったのだろう。
印は、二つあり、上の白文円印は簡単に雪江と読める。また、下の朱文方印は、人によって読める、読めないが分かれる部分である。
その文字は、「九=翁」のように見える。
説明の必要な人のために説明するが、これは「九二翁」ではない。
「=」は漢文と同じく繰り返し記号であるから「九九翁」であり、しかも、これは、「九十九翁」ではない。
「九九」は掛け算であり、「九・九」だから、「八十一翁」の意味である。
以上のことから、墨書されていた落款部分の「雪江」の上の文字も、画数が単純すぎて、かえって文字の区切りもはっきりとは分からなかったのであるが、印影の読みから「八十一翁雪江」と書いてあることが推測されたのである。
これが分かれば、もちろん、制作年は特定できる。つまり彼が1834年の生まれとすれば、80か81を足すだけだから、この作品は、彼の最晩年のものだということである。
下図の左は一部加工されているが、主要な部分は分かるであろう。
(図は、拙稿が掲載されている「游美」No.69 2012年3月より)
「四睡之図」とは、四者が眠っている絵のことで、四者とは、寒山と拾得、それに豊干禅師と虎を指す。
寒山は巻物、拾得は箒がアトリビュート(標識、持物)となるから、画像の手前の二人のうち、どちらが寒山でどちらが拾得かはすぐ分かるだろう。
また、豊干禅師は、しばしば、虎に乗った姿で表現される。
「四睡之図」の意味するところは、禅の覚りの境地だという。
ところで、この作品、同館が1997年に発行した「所蔵作品図録」では、制作年不詳となっている。同館の画像検索システムでもまだそうなっているかも知れない。
だが、この作品の制作年は、答えを先に言ってしまうが、実は画面の中に書いてあった。
画面右下の落款部分である。上図の右。
雪江の名前は簡単に読めるが、その上がなかなか読めない。それでこれまで、なかなか分からなかったのだろう。
印は、二つあり、上の白文円印は簡単に雪江と読める。また、下の朱文方印は、人によって読める、読めないが分かれる部分である。
その文字は、「九=翁」のように見える。
説明の必要な人のために説明するが、これは「九二翁」ではない。
「=」は漢文と同じく繰り返し記号であるから「九九翁」であり、しかも、これは、「九十九翁」ではない。
「九九」は掛け算であり、「九・九」だから、「八十一翁」の意味である。
以上のことから、墨書されていた落款部分の「雪江」の上の文字も、画数が単純すぎて、かえって文字の区切りもはっきりとは分からなかったのであるが、印影の読みから「八十一翁雪江」と書いてあることが推測されたのである。
これが分かれば、もちろん、制作年は特定できる。つまり彼が1834年の生まれとすれば、80か81を足すだけだから、この作品は、彼の最晩年のものだということである。
画像拝見しました。
「松平雪江先生直筆楠公奉輦之図」とありますから、作品の主題内容については、以下のようなものが参考になるかもしれません。
https://stone-soup.at.webry.info/201108/article_1.html
ただ、作品の価値については、あまり期待しない方がよいと思います。
その他の作品については、小生のブログとはかけ離れていますので、コメントを差し控えさせて下さい。ブログ執筆者より