美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

中村彝「洲崎義郎氏の肖像」左手の描写(再論)

2024-06-16 11:06:23 | 中村彝

 標記の作について、私はかつてレンブラントの「ヤン・シックスの肖像」との関連を指摘したことがある。
 ①何れも画家の友人を描いた作品であり(モデルは二人とも市長になっている。ただし、肖像画が描かれた時、洲崎は比角村長だった)、②モデルの白い襟元、③外套を肩に掛けて、④片手だけ手袋をしている表現が、これらの作品に共通しているというのが、注目されたからだ。(※西洋の肖像画において片手だけ手袋をしている表現は、探そうと思えば、いくつかの例を探し出せる。が、当時、彝が持っていた画集やカタログ・レゾネなどからは、レンブラントのこの作品を見た可能性が最も高いと思われる。)

 しかし、レンブラントの作品においてモデルはマントを肩に掛けた比較的自然な立ち姿であり、これから何らかのアクションに移るかのように片手だけ手袋をしているポーズをとっている。
 これに対して、彝の作品では、モデルは室内において坐った姿であるにもかかわらず、ある意味で不自然にもマントを肩に掛けて片手だけ手袋をしている。(※もちろん、造形的には安定的な自然なポーズを構成している。)これらの違いは、どう考えるか。
 すなわち彝の作品においては、マントと片手だけの手袋は自然な姿というよりも、全体的に造形的な効果としての理由以外にはあまり考えられないモティーフ設定である。だが、レンブラント作品のモデルのポーズと全く同じようなものでないことが、私にはかえって、これらの作品の関係性を強く物語っているように思われた。画家は多くの場合あまりにも直接的な類似性や影響関係が露わになることを嫌うからである。しかし、彝は早くから洲崎に外套を着せるポーズを示唆していた。これはレンブラントの作品が念頭にあったからと思う。
 こうした理由から、私は作品創造の秘密を探るため、彝の洲崎の肖像における各モティーフの源泉は、レンブラントの「ヤン・シックスの肖像」にあるのではないか、そういう指摘を何度かしてきた。

 ところが、私はある時、洲崎の肖像における左手の表現は手袋をしているように見えるが、そうではなく、未完成なのだという記事を読んで驚いたことがあった。
 すなわち、これは、私が手袋をしていると見た洲崎の姿は、実はそうではなく、単なる未完成に過ぎないという主張に聞こえたのである。

 もし、そうだとすると、レンブラントと彝の二つの作品の関係性は、やや希薄なものになるだろう。
 確かに彝は手の描写をいくつかの重要な作品で未完成のまま、曖昧に残すことがままある。だから、この作品においてもそれは片手だけ手袋をしているのでなく、単に未完成なだけという見方もできるかもしれない。実際、描きこみはかなり足りないように見えた。
 そして、その場合、レンブラントの作品との関係性の指摘はやや過剰な解釈となるかもしれない。

 しかし、違うのだ。確かに左手は、未完成なのだが、洲崎が片手だけ手袋をしていたことは、間違いない事実だった。

 それは、何よりも洲崎自身の次の手記をよく読めば証明されるだろう。すなわち、彼はこのように言っている。

 「私の着ている上着は私の平素から着ていたビロードの単衣の仕立ての上着で薄い光る色の変化する見片が付いているものだし、左手だけにはめている手袋は青の裏なしの革製のものである。上にはおっている外套は彝さん所有のラシャトンビである。」(洲崎義郎の手記「私の肖像について」より)
 さらに、洲崎はこうも言っている。
 「ただ、残念なのは約二十日間の最後になると、さすがに疲れが重なったとみえて左手のビロード服の描写が十センチほど未完成に終わったことであった。」(洲崎の手記より)

 洲崎の左手が未完成と言ったのは、手袋の部分というよりも、ビロード服の袖口の十センチほどの部分なのだ。そして「手袋は青の裏なしの革製のもの」をしていたことが、これによって明白になるのである。実際、左手は革製の手袋のように見える。

 実は私が初めてレンブラントの作品と彝の洲崎の肖像との関係性を指摘した時は、洲崎の手記の存在を知らなかった。また、洲崎が、既に村長になっていたということまでは確認できていなかった。

 私は、画家の友人の肖像、外套、白い襟元、片手だけの手袋といった共通性と、二つの作品の比較対照から影響関係を探っていたのである。

 ※洲崎の手記については、川崎久一氏の彝関連本を参考にした。

 


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