(筆者が)スケープゴーティングと呼んでいるものは「罪の転嫁」のこと。これは精神医学者が「投影」と呼んでいるメカニズムで生じる。p98
邪悪な人たちの欠陥は良心の欠如ではなく、ある種のナルシシズムである。p102
エーリッヒ・フロムが「悪性のナルシシズム」と呼んでいる病的ナルシシズムである。p103
精神的に健全な大人であれば、それが神であれ、真理であれ、愛であれ、その他の理想であれ、自分より高いものに何らかの形で屈服するものである。p103
われわれは自由を選ぶことはできない。神と善に従うか、自分の意志を超える何ものにも服従を拒否するかである。この服従の拒否こそが人間を悪に隷属させるものである。p107
* * *
生きていくということは最良の条件においても困難かつ複雑なものである。p110
邪悪性の最も典型的な犠牲者となるのが子供である。p146
邪悪性とは自身の自我の統合性を防衛し保持するために、他人の精神的成長を破壊する力をふるうことである。p167
彼らはその見せかけが破れ、世間や自分自身に自分がさらけ出されるのを恐れているのである。p174
他人の自我の境界をも明確に認識することが精神的健全性の特性である。p191
* * * *
こどもが生後2年目から3年目に入ると、次第に母親はこどもに何かを期待するようになる。例えば排便のしつけなどがそれである。…
こどもは「いいこと」と「悪いこと」という言葉を覚えるようになる。いい子でいれば、またいい子でいるときだけ、いつでも完全に受け入れられるということを学ぶようになる。…愛されるためには、自分の責任において、愛されるような人間にならなければならない。pp229‐230
自分を現実に従わせることができない精神障害を「自閉症autism」と呼ぶ。p231
自閉症の人は現実の問題に無頓着になる。自分だけの世界に生きておりその世界で…p232
私が彼女(患者)から受けていた愛は決まって私の現実を無視したものである。p232
自閉症の究極の姿がナルシシズムである。ナルシシストのあるものは、マルティン・ブーバーが「我‐我関係」と呼んでいるものだけである。シャーリンが「私は先生を愛している」と信じていたことに疑いないが、しかし彼女の「愛」はすべて彼女の頭の中だけにあるものである。客観的現実としては存在していないものである。p236
私をはじめ他人が彼女との関係において経験していることは、彼女が行く先々に決まって残していくいらいらさせられる混乱と困惑だけである。p236
私は邪悪な人たちの方が普通の人よりも政治的な力を得る可能性が高いのではないかと疑っている。p255
邪悪な人たちの欠陥は良心の欠如ではなく、ある種のナルシシズムである。p102
エーリッヒ・フロムが「悪性のナルシシズム」と呼んでいる病的ナルシシズムである。p103
精神的に健全な大人であれば、それが神であれ、真理であれ、愛であれ、その他の理想であれ、自分より高いものに何らかの形で屈服するものである。p103
われわれは自由を選ぶことはできない。神と善に従うか、自分の意志を超える何ものにも服従を拒否するかである。この服従の拒否こそが人間を悪に隷属させるものである。p107
* * *
生きていくということは最良の条件においても困難かつ複雑なものである。p110
邪悪性の最も典型的な犠牲者となるのが子供である。p146
邪悪性とは自身の自我の統合性を防衛し保持するために、他人の精神的成長を破壊する力をふるうことである。p167
彼らはその見せかけが破れ、世間や自分自身に自分がさらけ出されるのを恐れているのである。p174
他人の自我の境界をも明確に認識することが精神的健全性の特性である。p191
* * * *
こどもが生後2年目から3年目に入ると、次第に母親はこどもに何かを期待するようになる。例えば排便のしつけなどがそれである。…
こどもは「いいこと」と「悪いこと」という言葉を覚えるようになる。いい子でいれば、またいい子でいるときだけ、いつでも完全に受け入れられるということを学ぶようになる。…愛されるためには、自分の責任において、愛されるような人間にならなければならない。pp229‐230
自分を現実に従わせることができない精神障害を「自閉症autism」と呼ぶ。p231
自閉症の人は現実の問題に無頓着になる。自分だけの世界に生きておりその世界で…p232
私が彼女(患者)から受けていた愛は決まって私の現実を無視したものである。p232
自閉症の究極の姿がナルシシズムである。ナルシシストのあるものは、マルティン・ブーバーが「我‐我関係」と呼んでいるものだけである。シャーリンが「私は先生を愛している」と信じていたことに疑いないが、しかし彼女の「愛」はすべて彼女の頭の中だけにあるものである。客観的現実としては存在していないものである。p236
私をはじめ他人が彼女との関係において経験していることは、彼女が行く先々に決まって残していくいらいらさせられる混乱と困惑だけである。p236
私は邪悪な人たちの方が普通の人よりも政治的な力を得る可能性が高いのではないかと疑っている。p255