芋銭の「かひ屋」(『草汁漫画』41頁)に見られる思想は、『古文真宝』そのものからの引用かどうかは措くとしても、そこにも無名氏の詩として収められている張兪の詩「蚕婦」の思想と大きく重なるのは、間違いない。
芋銭はこのことを隠していないし、それどころか、この詩の一句を自分の文章にさりげなく潜り込ませて、その出典を示唆しているように見える。
同様に、『草汁漫画』冬の部、最後の短文「雪隱禪」に見られる思想は、王陽明の詩「答人問道」の思想と重なっている。そしてこれも同様に文中に詩句を潜り込ませてその出典を示唆しているようである。
「雪隱禪」で芋銭が「唯此修業玄更玄」としている修業とは、「喰ふとひる」の二柱である。これこそが、玄の玄、「玄にして更に玄なり」と言っているのだ。これは冗談のようにも見えるが本当に真面目な思想でもある。
『草汁漫画』の「好物図」には、○△□などで囲んだ一つの図式があるが、その△には、「喰ふて描き 描きて死す 是我宗教なり」のまさに芋銭の究極のモットーが掲げられている。
そして冬の部の最後には「喰ふとひる」とを玄の玄なる修業と位置づけている。
ただ芋銭の短文に用いられたこの言葉、「唯此修業玄更玄」には立派な典拠があった。それが王陽明の先の詩だ。
王陽明は、人の道を問うに答えるとしてこう言っている。
饑來喫飯倦来眠
只此修行玄更玄
説與世人渾不信
却従身外覓神仙
王陽明の場合、腹がすけば飯を喫し、疲れたら眠る。そこに本当の修業があるし、玄の玄なる意味がある。だが、人はそれを信じようとはしない、解らないと言っているのだ。
芋銭の場合は、自ら痔の病もあって、喰ふとひるとを真面目な修業と位置づけ、玄の玄なる意味をそこに見出していたようだ。
以上の通りであるから、芋銭のこの短文の思想は、用いられた詩句をも含め、まさに王陽明の「答人問道」を典拠としていると言ってよいだろう。