仙台に「無伴奏」という名の喫茶店があった。私が出入りしていたのは1970年前後の学生時代で、経営者は木村雅雄さんという方だ。
店は藤崎デパートから数分のところで、東北電力ビルの裏手にあった小さなビルの地下1階にあった。階段を螺旋形に降りていくと、店は学校の教室ほどで、正面に大きなスピーカーが、両隅に据えられており、J.S.バッハのある肖像画を模した白黒の木炭画が額縁に入れられて掛かっていた。
その「教室」の右手には、学生アルバイトなどの店員さんがコーヒーをいれたり、LPレコードを回す細長いスペースがあった。
テーブルとシンプルな4人がけのソファは、スピーカーに近い前方とお店の後方だけにあり、あとは、まさに教室の机と椅子のように皆、前を向いて座っているという感じだった。
多少のお喋りは許されていたが、真剣に音楽を聴く若い人もいた。
地方オーケストラのメンバーのような人や、仙台のいろんな大学の大学生や高校生、そして浪人生、自称詩人というような人なども来ていた。
現在、小説家、文筆家として活躍している仙台にゆかりがある人たちも若い頃ここに来ていたことは、後に彼らの作品やエッセーなどから知った。
私が最初に「無伴奏」に来たのは、ある雨の日の午前中だった。店の名に何となく惹かれ、躊躇いながらドアを開けた。
薄暗い空間に客は殆んど居らず、静かにチェンバロ曲が流れていた。今思うと、おそらくバッハのフランス組曲かイギリス組曲だったのではなかろうか。
後に、私は仙台の学生時代が懐かしくなったときは、このあたりの曲やラモーやクープランの曲を聴くことにしている。
この喫茶店は、バッハの音楽を中心にバロック音楽専門の店だったのであるが、ここに初めて入った頃は、まだ殆んど耳慣れない曲が多かった。
「 無伴奏」という名は、もちろんバッハの無伴奏バイオリンのソナタとパルティータ、無伴奏チェロ組曲を連想させるものとして名付けられたのだろうが、何となく寂しそうな孤独な学生の気持ちを惹きつけるものがあった。
グールドの弾くゴールトベルク変奏曲(茶色と黒のデザインによるLPジャケットの旧版)は、当時、よくリクエストされていた。
無伴奏では、ドアの脇に小さな黒板があり、そこに客がリクエスト曲を書き込むことになっていた。
グレン・グールドと言えば、彼が実に軽快に弾くピアノ協奏曲、特に3番、5番はいつ聴いても気分が良かった。これも実にリクエストが多かった。バッハのチェンバロ協奏曲としてより、ピアノ協奏曲として聴くほうが格段にいいと思ったものである。いや、今でも私などはピアノ協奏曲として聴きたい気分になることが多い。(続く)