〈上の画像、『大正の美と心 中村彝展』図録(1997、新潟県立近代美術館)より引用〉
〈上の画像、『大正の美と心 中村彝展』図録(1997、新潟県立近代美術館)より引用〉
シスレーは、印象派の純粋な画家として、きわめて抒情的な優れた風景画を多く描いた。
その中でも、ここで取り上げるのは、ある地点、ある場所から見た道の描かれた風景画のタイトルについてである。
例えば中村彝がシスレーのある作品の模写をしているが、そのタイトルはこうである。
"La maison abandonnée -chemin des Fontaines"
これを単純に和訳すると「廃屋、フォンテーヌの道」となるだろうが、これは間違いではないとしても、果たしてそうだろうか。
ここで問題なのは”des”の訳である。
des はもちろんde+lesだが、フランス語のdeには、英語の"of"や"from"の他に"to"の意味を含むことがある。
特にcheminなどの後に来るdeプラス地名などには、どこどこへの道、どこどこに向かう道を意味することがある。
従ってここでも作品名は、「廃屋、フォンテーヌへの道」とする方がよいのではなかろうか、そういう問題提起である。
もちろん描かれた場所が明らかにレ・フォンテーヌなら「フォンテーヌの道」でもいいのだが、それが特定できないのでどこかに向かう道を描いたと考えて「フォンテーヌへの道」とするのが絵のタイトルとしてはよいのではないか。
なぜなら「フォンテーヌの道」とすると、日本語としてはフォンテーヌで作品を描いたことになってしまうだろう。しかもフォンテーヌには道がたくさんあるだろうから奇妙なことになってしまう。描かれた「廃屋」ももちろんここにあることになるだろう。
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次に日本にあるシスレー別の作品の場合を見てみよう。
”La route de Mantes à Choisy-le-Roi”
このタイトルの和訳を見ると"de~à~"の縛りが強いためか、次のように和訳されている。
「マントからショワジー=ル=ロワへの道」
この和訳されたタイトルだけ読むと、道の道程すべてが描かれているわけではないので、多くの人は作品がマントで描かれ、ショワジー=ル=ロワへ向かう道を頭に描くだろう。
だが、ある作品解説を読むと、作品はどうも後者で描かれたかもしれないのである。
とすると和訳されたタイトルの本当の意味は「マントへの道、ショワジー=ル=ロワ」ということになる。すなわち、英訳するとこうなるだろう。
"The Road to Mantes at Choisy-le-Roi"または"The Road to Mantes , Choisy-le-Roi"のような表記になるだろう。
すなわち、そうすればこの作品は、ショワジー=ル=ロワで描かれたと思われて、納得されるだろう。
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同様に別のシスレー作品で、かつて「セーヴルへの道、ルヴシエンヌ」と和訳されたオルセー美術館の作品があるので、この例を見てみよう。
これは、J.Rewaldの有名な本には"The Road to Sèvres at Louveciennes"とあり、ルヴシエンヌで描かれたことが明示されている。
そしてこのタイトルはフランス語ではかつて"La route vue du chemin de Sèvres"であり、ここでも"de"は明らかに”to”の意味であり、どこどこへ行く道であることを示している。
ただし、オルセー美術館のこの作品は今日、研究が進んで"Chemin de la Machine,Louveciennes"と改題されている。すなわち「マシーヌへの道、ルヴシエンヌ」である。
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シスレーが道を描いた作品名においては、描かれた地点が重要である。「どこどこの道」と「どこどこへの道」では、少なくとも日本語において、イメージがかなり違ってきてしまうから、翻訳者や研究者は描かれた地点を考慮して和訳すべきだろう。